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ゾンビズ⑳

トヨカワが事務所に入ってきた。俺はコタニと休憩室にこもっていた。そこを奴が訪ねてきた。
「なんか変な奴が来てるんすけど」
俺ではなくコタニに対しトヨカワが告げた。
「どんな奴?」
コタニが尋ねると
「なんかモジャっとした髭面の汚らしい奴ですよ」
とトヨカワは答えた。
「コタニている?て聞かれましたよ」
トヨカワはそう続けた。
「おいおい、あいつまさか」
コタニは席を立った。
「知り合いすか?」
俺が尋ねると、
「とりあえず来ねぇ方が良いよ」
とコタニは言った。俺はコタニを見送ると、そこまでに至る経緯をトヨカワから聞くことにした。
トヨカワが一階を巡回していると、ヒゲモジャの男が入り口から真っすぐトヨカワの元に近付いてきた。酩酊しているような様子だった。なんだこいつ。そいつがいきなり野球ボールをトヨカワに向け軽く放ってきた。うぉっ。トヨカワはそれを拙い運動神経で何とか受け止めると、無言でボールをすぐに髭面に投げ返した。その髭面はボールを手にニヤニヤとボーリングのレーンに対して設置してあるポール椅子に腰掛けた。こいつ何かが違ってるとトヨカワは思った。髭面は目がギョロギョロと動き、瞳孔が開いてしまっていた。その顔がトヨカワに南米を思わせた。ただ妙に身長が低かったのが気になった。イスから垂れる足が地べたまで全然届いていなかったのだ。その髭面がトヨカワの方を振り返り
「今日コタニいる?」
とトヨカワに尋ねた。
「分かんねぇっす」
とトヨカワが告げると、髭面はそれから何も言わず懐から茶色い小瓶を取り出し、首を仰向けにしその中身を飲み干した。
以上がトヨカワがさきに引き受けた場面の話だった。興味がわいた俺は
「俺もちょっと見てこようかな」
とトヨカワに言った。
「あれはそーとーキマってるよ」
とトヨカワが俺に言った。
事務所を出て一階のボーリングフロアに下りるとレーンの右端の方にコタニが見えた。そのコタニの陰に例の髭面の男がいるようだった。俺は何とかその面だけでも拝みたかった。俺と彼らの距離はまだ二十メートル程あった。徐々に近付いていく。ほんの二三歩動いたところで、コタニが意図せず横にずれた。髭面の姿が顕になる。俺はそれをそのまんまの距離から見ていたら、 コタニの陰から覗いた髭面のギラギラと鈍く光る両目と、俺のがすぐにかち合ってしまった。そのすぐ次の瞬間には、その髭面の男は俺の方を見たまんま右手を「オーッ」という調子で挙げてきた。俺はリアクションがうまくとれなかった。とりあえず頭を下げた会釈に留まった。コタニは髭面の動作から背後に振り返ると、それで遠く背後にいる俺に気付いた。コタニは俺に、だから止めとけって顔をしていた。俺はそれを見送ると、すぐに二階への階段の方へと振り返り、またそちらへ歩きだした。
コタニが二階へと戻ってきた。さっきの髭面の男は一緒でないようだった。
「やばいっしょ、あいつ」
とコタニが俺に言った。
「あの人なんなんですか?」
俺がそう尋ねると、
「あいつがマルオだよ」
とコタニが答えた。ああ、と思わず俺は声が出た。そういえば前にコタニから聞いたことがあった名前だった。マルオはコタニが有するバンドのボーカルだった。マルオのせいでバンド活動が捗っていない事から始まり、確か脳味噌がシンナーでだいぶ溶けてしまってるとか、学生時分に他校に殴り込んだ事があるとか、そういう如何わしいエピソードも飲んでた折にコタニから聞いていた。どうしてもエピソードが先行し、俺はマルオがどんな容姿をしているのだろうかとはずっと気になっていた。まさかこうして相対するとは思っていなかったが。
「で、あの人何しに来たんですか?」
俺がコタニに尋ねると
「あいつちょっと入れてきてたね」
とコタニが苦笑いで言った。入れてきたとは?恐らくキツケとかそういう類の何かだろうなと俺は推理した。
「する事なくて寂しかったんじゃねぇかな」
とコタニはマルオを受け止めていた。
「どうやってここまで来たんですかね?」
と俺がコタニに尋ねると、
「壊れかけの原チャリ」
とコタニは答えた。何となく耳を凝らすとブリブリブリブリーという破裂音がちょうど外から聞こえてきた気がした。音が遠くになっていく。コタニから、ね?という目線を受けた。あれがやっぱりそうだったんかよ。
「もう帰ったから安心してね」
コタニは俺にそう笑いかけた。
「失礼ですけど、随分背が低かったですねぇ」
と俺がコタニに言うと
「あれ、こびと」
とコタニはそう答えた。

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