Aという属性を有するBというキャラクターについてCという側面を強調する表現

女性の性的な側面を強調したステレオタイプ表現がダメなのですよ。そういう表現は女性が性的な存在であるという偏見を植え付けるものですから。女性差別の温床になるわけです。

https://twitter.com/foxatnorth_mk2/status/1698181481527677153

という見解があります。

 これ、フェミニズム系の人たちがよく使う理屈なんですが、全く理解できません。

 これ、抽象化すると、

 Aという属性を有するBというキャラクターについてCという側面を強調する表現は、AはCという存在であるという偏見を植え付けるものだから、A差別の温床となる

ということになります。こうやって抽象化してしまうと、

Aという属性を有するBというキャラクターについてCという側面を強調する表現は、AはCという存在であるという偏見を植え付けるものだ

というところがまずなり立ちそうにないことが分かります。

 例えば、特定の男性キャラクターを筋骨隆々に描いたところで、「男性というのは筋骨隆々たる存在だ」なんて偏見を植え付けることは困難です。また、特定の女性キャラクターについて真面目で優しい側面を強調して描いたところで、女性とは真面目で優しいものだという偏見も生まれてこないと思います。

 さらにいうと、女性が男性にとって性的な存在であるということが女性差別であるという考え方も理解できません。この考え方に立つと、女性差別を解消するためには、男性が女性を性的に見ることを禁止していかないといけないということになり、政策的には、異性愛を禁圧しなければならないということになります。

 しかし、異性愛自体は本能的なものなので、これを実現するためには、公立・私立を問わず学校等で異性を好きになることは非倫理的なことなのだということを強調する教育を続けるなり、性欲を司る部分を壊死させる手術を強制したりする必要があります。

 「相手に性的な関心を持つことは相手を自分より低い存在と見下すことだ」というフェミニストさんの独自理論に迎合するためにそこまでする必要性って、あるのですかね。

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