政治家による撤去要請と表現の自由

はっきり言いますと、「表現の不自由展」を巡る問題で表現の自由の侵害と言いうるのは、脅迫の存在のみです。政治家が特定の表現行為に反対を述べること自体は、表現の自由の侵害ではありません。もしそれが自由の侵害なら、「ヘイトスピーチをやめろ」と口にすることさえ自由の侵害であることになる。

と青識亜論さんは述べています。はたしてそうでしょうか。

 当該政治家が、その権限の行使をチラつかせて、特定の表現を特定の公開の場から撤去するように求めることは、一市民としての批判という範囲を超えて、当該表現の公開の継続を躊躇させるものとなるのであり、表現の自由を侵害するものと言えるでしょう。これは、上司が人事権を不利益に行使することをチラつかせて、特定の表現活動をやめるように要求することが表現の自由の侵害となりうるのと一緒です。

 もちろん、表現の自由とて公共の福祉による制限は受けますから、ブログやツイッターなどのSNSを用いて自分と異なるイデオロギーを有している人たちを侮辱しまたはその名誉の毀損を行うなど違法行為を行っている場合には、やめるように要求することは許されるでしょう。私は、特定の属性集団を侮辱したり、特定の属性集団について危害を加える旨告知する類のヘイトスピーチは、その集団に属する個人について、受忍すべき限度を超えて屈辱感や恐怖を与えるものとなるので、違法行為に当たると考えていますので、「ヘイトスピーチはやめろ」ということは、それが上記の類のヘイトスピーチである限りは、問題がないということになります。

 では、あいちトリエンナーレで展示された「平和の少女像」や大浦作品を展示することが、特定の集団に属する個人について、受忍すべき限度を超えて屈辱感や恐怖を与える違法行為に当たるかというと疑問です。従軍慰安婦問題については、彼女たちに精神的苦痛を与えることになったこと自体は日本政府として公式に謝罪をしているので、そういう過去があったことを改めて確認することになったとしても、誰かに、受忍すべき限度を超えて屈辱感や恐怖を与えるということにはなり得ないからです。

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