「自己選択」を女性に押し付けるって?
仁藤夢乃さんが次のように述べています。
社会学系の人は「構造」という言葉が好きなのですが、どんな構造があるのかを客観的に明らかにすることはほぼありません。仁藤さんの上記発言における「背景にある構造」についても、それがどのような者なのかは明らかではありませんし、そのような構造が存在することが客観的に示されることはありません。
そもそも「『自己選択』を押し付ける」って、何を言っているのか理解不能です。日本国憲法は、女性にも幸福追求権や表現の自由、職業選択の自由を保障しています。したがって、全ての女性は、その能力と嗜好に沿った職業を選ぶ自由があります。だから私たちは、女性たちに対して、「あなたはそのような仕事を選んではいけない」「あなたはこう言う仕事に就きなさい」と命じたりしないのです。その結果、仁藤さんが侮蔑している職業を選択する女性がいたからと言って、私たちは、彼女に「『自己選択』を押し付け」たということにはなりません。彼女たちは、私たちに彼女の全てを決めて欲しいと願っていたわけではないからです。
このような自由な社会においては、各個人は、その能力と、優先度の高い獲得目標に合わせて、自らの職業を選択することになります。したがって、女性の人権を守るためとして特定の職業に女性が就くことを規制すると、当該目標を達成することを阻害することになります。例えば、若いうちに相当な金額を稼ぎたいとして、その性的魅力を活かした仕事に従事している女性に対して、その仕事を取り上げてしまった場合、その女性は、若いうちに相当な金額を稼ぎたいという目標を取り下げるか、その女性にとって「よりやりたくない仕事」に従事するのかの選択を強いることになります(「よりましな仕事」で若いうちに上記目標金額を稼ぐ見込みがあるのであれば、そもそもそちらの仕事に就いている可能性が高いからです。)。
仁藤さんは、誰かが押し付けない限り、女性たちが、「若いうちに相当な金額を稼ぐために、その性的魅力を活かした仕事をする」という選択をするはずがない、と本気で思っているのかもしれません。しかし、どのくらいのお金を何歳くらいまで稼ぎたいかは、人によって感覚が異なります。自分と同じ感覚を全ての女性が持っているはずだと考えるのは傲慢です。また、多くの男女にとって、若いうちにまとまった金額を稼ぐ手段は限られているのです。ですから、誰も押し付けなくても、「若いうちに相当な金額を稼ぐために、その性的魅力を活かした仕事をする」という選択する女性が相当数存在することは自然なことです。
「性搾取を温存」というのも、わけの分からない表現です。
サービス業の中には、対価等と引き換えに、その受け手に快楽や幸福感を与えるものが少なくありません。市場経済のもとでは、サービスの提供者がその労働の成果として受け手に快楽や幸福感を与え、その対価として一定の金銭的な給付を受ける。そこには「搾取」という構図はありません。事業者または事業者に雇用された労働者が提供するサービスによってその受け手が快楽や幸福感を得ることは、何ら非倫理的なことではなく、経済的に不当な利益を得るものでもありません。
もちろん、事業者から雇用されてその業務として顧客に対し一定のサービスを提供する場合、顧客から得た対価の全部が労働者に帰属するわけではなく、通常はその対価は一旦雇用主たる事業者に帰属し、その一部が賃金としてその労働者に分配されます。このことを一般に「搾取」というのですが、これ自体は、資本主義経済下では必然的なことであり、何ら非倫理的なことではありません。労働者による労働の対価の相当部分を自己に帰属させることができるからこそ、雇用主は労働者を雇用するのです。
そして、これらのことは、労働者によるサービスの提供により受け手が与えられる快楽や幸福感が「性的」なものであっても、同様に当てはまります。
そういう意味では、仁藤さんは何が気に入らないのだろうという感覚に陥ってしまいそうです。
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