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自由の苦悩、自由からの逃走の苦悩 『素粒子』読書感想文

ミシェル・ウェルベックの著作『素粒子』を読んだ。題名から勘違いされそうだが、物理学の書ではない。小説だ。

この物語の主人公は二人いる。一人は自らの性欲に毎度打ち負かされ、人生を狂わされる、モテない教師ブリュノ。もう一人は、性欲をほぼ感じず、同時に愛情に対しても無感覚な、生真面目な分子生物学者ミシェル。二人は異父兄弟である。

この見事に対極的な兄弟は、どちらも幸福になれない。前者は発狂し、後者は自殺する。この二人は、現代社会に生きる苦悩の極地に象徴として描かれている。

ブリュノの苦悩

ブリュノはフリー・セックスに代表される、現代の自由が生み出す闘争の敗者である。資本主義の自由市場を見れば分かるように、自由とは絶え間ない闘争だ。それは性や愛に関しても言える。持てる者/持たざる者 の対立を生み出す市場経済とちょうど同じように、モテる者/モテない者 が生まれる(モテざる者と言うとなんかかっこいいな。今後使っていきましょう)。たとえばお見合いのような制度が十分に普及していれば、モテない者は問題にならない。閉鎖された村社会でも同じことが言えそうだ。独身の若者の母数が少なければ、モテる/モテない は無視できる程度の問題だ。自由な社会では、敗者は不幸を背負い込むことになるのだ。

また、誘惑が絶え間なく訪れるのも自由市場の特徴だ。YouTubeを見る人ならすぐに納得するだろう。絶え間なく挟まれる、興味をそそる広告。次々とオススメされる次に見るべき動画。異常な速さのコマ割りと話すスピード。全てが誘惑だ。誘惑に乗ることで、たしかに快楽は得られる。しかしそこから得られる幸福感はあるだろうか?

ミシェルの苦悩

自由への対抗はストイシズム以外にない。一つの道に固着すること。そうすれば誘惑に惑わされることはない。しかし、人生で出会う他者は全部誘惑である。他者とは人のみならず、モノ、概念、時空間に至る森羅万象のことだ。性欲に限らず、羨望や嫌悪など、他者はあらゆる欲望の対象である。それらの欲望の複雑な絡み合いに喚起されるのが愛情だ。しかし誘惑を退けると言うことは、生理的な欲求を除く全ての欲求を排除することであり、すなわち他者との心的な繋がりを排除することだ。愛情を覚える隙がなくなる。そんな人生に幸福などあるだろうか?

苦悩の解決

この両者に代表される、生きる苦しさを、ミシェルは科学の力によって解決しようとする。そして、ストーリー上では、実際に解決の方向に向かって行く。この流れが非常にシニカルで面白い。科学主義というのは現代社会の病理の一つとして言われることが多い。にもかかわらず、最後にこの社会を突破できるのは科学だけだという科学主義的・唯物主義的な結末は悲劇的だ。小説内で「唯物主義は終わった」かのような表現が散見されるが、結局そこにすがるしかない。たぶんこれは著者の物語創作上のミスではなくて、現代社会には冷笑するしかないという立場なのだと思う。少なくともそう思わせるような筆圧の強い小説だった。

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