戦争に対する反-立場表明

エマニュエル・トッドの『第三次世界大戦はもう始まっている』という本を読んだ。ウクライナにおける戦争を「ダークホース=アメリカ」というスタンスで論じていく本だった。日本に住んでいるので、反ロシア的な報道が飛び交うなか、本書は——不謹慎を承知で言うが——スリリングな主張を展開していた。

さて、ここでトッドに賛成するか否か、という問題には触れない。彼は本書で、世界情勢に対する具体的な立場以上に重要な指摘をしているからだ。曰く、昨今われわれが目にしている情報は戦時下の情報なのである

戦時下に発せられる情報に対してどのような態度を取るべきだろうか。私の考えは、「留保すべき」である。コミットも反発もしない。正しいとも嘘だとも言わない。ただそういう情報が発せられているという事実のみを受け入れる。なぜなら、いま世界はロシア側/反ロシア側 に分断されているのであり、一方は他方を悪だと主張するために情報を流しているからだ。そこに客観性があると信じることこそが「思う壺」なのであり、端的に言って戦争にコミットすることになる。

戦争に関する情報の扱いに警鐘を鳴らす人にはあまり出会えない。日本で何人かそういった善良な論客がいるのを見つけたが、私の見る限り、彼らに共通しているのは、第二次世界大戦を経験した親族がいるということである。

私くらいの世代になると、そういう親族と接する機会はなかなかない。私の曽祖父・曽祖母はおそらく先の大戦を経験しているが、彼らの存命中は、私はまだ幼かった。「国が発する情報には気をつけろ」と言われても理解できないくらいの年齢だった。祖父母も戦争を経験しているが、彼らは戦時中、たかだか小学生であり、「国が発する情報には気をつけろ」という教訓を社会から読み取れたかどうか、甚だ疑わしい。

要するに、大きく言って「日本の若者」——もちろん私も含まれている——は国が発している情報に対するガードが甘すぎる。そのことに自覚的にならなければいけない。かといって、「国は嘘しかつかない」と決めてかかるのはナンセンスだ。そのスタンスは、(多めに見積もっても)せいぜい国と同じレベルの信憑性しか持ち合わせることはないだろう。

われわれがメディアを通して目にする戦況には、プロパガンダ以上の価値はないのかもしれない。そういう可能性を視野に入れておかない限りは、意図せずして別の何か大きな力を肯定してしまいかねない。いま「正しく」振る舞うことができるとすれば、それはプロパガンダに用心すること、徹底的に用心することではないだろうか。

反戦の態度とは、反ロシアでも親ロシアでもない。戦争に対する立場表明を留保すること、反-立場表明をすること、それこそが反-戦の主張を可能にするのではないだろうか。

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