日記(2022/05/11)

昨日もまた寝る前は『吉増剛造詩集』(ハルキ文庫)。

幻の、幻の、幻の、幻の、幻の、幻の、幻の、幻の、夢幻の現あらわれ、幻の大河に幻の彗星を狩猟する数人の幻の死者の影像を、幻の斜めの亀裂にそって、ある神秘的な器官がぼくの胸部を突き刺すように囁く

「頭脳の塔」(p.87)

この「幻の」を8回連続で繰り返す箇所。黙読するとき、心の中で、閉じられた口の中で、この「幻の」を律儀に8回繰り返すわけだが、それが気恥ずかしくなる。誰に対して恥ずかしいのか分からないが、その自分の、読むときの律儀さになのかな。これを詩としてでなく単に文字情報として受け取るのであれば、別に8回繰り返す必要もなく、「何か7、8回くらい繰り返すんだな」程度の受け取り方しかしない。もっと粗雑に、「ああ、ここは1回目の『幻の』を読めば、あとは読み飛ばしていいや」と思うのかもしれない。でも、あくまでも詩となると、一応、律儀に8回読む。それを恥ずかしいと思ってしまうのは何なのか。

今朝は行きの電車で千葉雅也『アメリカ紀行』を読み、夕方は帰りの電車で岩波文庫『失われた時を求めて』の2巻を読んでいた。もうすぐ「スワンの恋」パートが読み終わる。本当にあと7ページとかで最寄り駅に着き、電車を降りた。めちゃくちゃ面白い、めちゃくちゃ面白いが、スワンの苦しみが延々と続く後半は僕も苦しくなった。読み進むにつれてどんどん面白く、どんどん苦しくなる。しかし渋谷から最寄り駅まで三駅ほどあるが、その間にスワンの心に平穏が戻りつつあるような気配がある。スッと苦しみが引いていくような美しい場面の途中で電車を降りた。このあと続きを読む。

帰りに部屋の消臭剤を買いたいが近くの薬局には匂いのテスターとか置いてない。仕方なく商品そのものを手に取って鼻に近づけてみるが、香りして来ず。パッケージの「文字」でどんな香りかを想像するしかない状況。ほんまもんの「読解力」がある奴しか買えない店。結局買わず帰宅。

イヤホンから蝉のような変な音がするので買い換えることに。明日届く予定。これからまた『藤枝静男著作集』を読む。(今日は終わり)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?