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日記(2022/08/11)

実家に帰ると猫が出迎えてくれたが猫は久しぶりだからといってテンションが変わるわけでもなく平常通りで拍子抜けするが猫の時間感覚がどうなっているのか気になっていて、猫が何かを久々と感じないとすれば、猫には過去がないということになるが顔を覚えてくれてるので過去がないということは決してない、過去がないのではなくて猫にとっては過去でさえも現在なのかもしれない、人間もそうだが猫もたえず何かを思い出しながら生きていて、猫が思い出すとき思い出している対象を猫は「今ここ」で感じている、それは過去の然るべき時間に置かれているのでは無くて、思い出している最中は「今ここ」に存在しているものとして認識している、だからたえず何かを思い出しているとすればその何かは過去にいる時間よりも現在にいる時間の方が長くなる、僕も猫に毎日思い出されていたのだとすれば、猫は毎日僕と会っているので全然久しぶりじゃないということなのだろう。

磯崎憲一郎『鳥獣戯画』読み進める。女優の少女時代の初恋が語られる場面。

冷静に振り返ってみると、その女は現在の彼女よりもずっと若かった、二十代の前半か、せいぜい半ばに差し掛かったぐらいだったのではないか?いつの時代でも、嫉妬心に囚われた十代の少女からすれば年上の女なんてみな老けて、衰えて見えるものだが、けっきょくこの半年の間に二人はそういう関係になってしまっていた、

『鳥獣戯画/我が人生最悪の時』
講談社文芸文庫 46頁

「そういう関係になった」のが二十代の女なのか十代の少女なのか、ここで語られる女性登場人物が二人いるだけに一瞬分からなくなる瞬間があって面白い。映画でも小説でも作者の意図の有無に関係なくこういう「錯覚」が起こるとき静かな興奮をおぼえる。

午前中、家族と地元のイオンモール。鎌倉パスタ。午後は河原町へ行き三条のブックオフ。岩波文庫『失われた時を求めて』10巻と石牟礼道子『苦海浄土  わが水俣病』買う。帰省するたびブックオフ行ってる。三条ブックオフは全集本で良いのが安くあったりするけど今回は無かった。

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