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「着替えてくるね」
 ルナがロッソに言う
「俺もウェイターやろうっと」
 2人で着替えに階段をあがる。
「あれでよかったの?」
 ルナが問う、ドレスのすそを気にしながらロッソに手をひかれゆっくり階段を上がる
「ん?」
「ガリア王のほぼ思い通りだわ、ラテンへ行っても、ガリアの後ろ盾でアルテミス妃の発言力が大きくなるだろうし、ガリアが力を蓄えて海峡を戻ってきたら?」
「大丈夫、向こう200年はブラバスを攻められないさ」
「どうして200年なの?」
「まず、海峡の断崖絶壁に常駐の守備隊を置きパトロールを編成する、外交と守備を俺たちが子供を教えて、その子供が孫を教えて、孫が曾孫に・・そのくらいまでは俺たちの想いも届くから」
「なるほど、ステキね」
「そうだろう」
 3階に到着し、キスをしてそれぞれの部屋に別れた。

 着替えが終わると3階の踊場でロッソが待っていた。二人腕を組んで階段を降りる。
「このほうが動きやすくて好き」
 メイド服のルナが自分の服を見ながら言った。
「ドレスのルナも綺麗だけど、それもステキさ」
「ありがとう」
 キスを交わし二人は上機嫌で下へ降りて行く。ルナもロッソもバトラーや召使に混じり客人たちにサービスをする。
 中にはロッソやルナだと気づき目を丸くするものも居る、ヒルダも混じり皆で客をもてなすのが、シヴァの流儀だとロッソは客に笑いかける。
 ルナもロッソも、厨房のどこになにがあるか、身体が覚えている、今年初めてサービスに周ったヒルダも持ち前のカンの良さでてきぱきと動く。
 祭りのときは街の平民に王族がサービスするのがシヴァの慣わしでもあった。

 サービスをしながら、呼び止められると諸侯と話をし冗談を言う、踊るようなステップで飲み物を運び唄うように客人に声をかける。

 ハドリアヌスとアルテミス夫妻がラテン王と話をしている、ゲルマニア王とカステリア王が歓談している、アッチラスは?エイジアの悪魔と神皇勢力に恐れられた大王は、カノンと並んでぽつんとしていた、イシュタルは弟といっしょに別のところで、セイワ―の家臣と話し込んでいる。

 ロッソがワインのカップを乗せたトレイを持って、アッチラス大王夫妻へ歩み寄るのをルナは見ていた。
「アッチラスさま、奥方さま、お腹いっぱいになりましたか?ワインのお代わりは如何です?」
 子供のような無邪気な笑顔でワインを勧めている。アッチラスはロッソより首一つ背が低い、オリエントらしい大きな顔を左右に振り、楽しそうに上を向いてロッソに話しかける。 ロッソはニコニコ聞いている、カノンはなにやら表情は硬いが、それでも彼女特有の媚を見せながら嬉しそうにロッソを見つめ話しかけている。
 ルナは暫くそれを観察していたがロッソの背中から気が立つのを見て、命の水と呼ばれる酒のトレイを持って近づいていった。ロッソが右頬で笑っている。カノンは怯え、その場の空気が凍っていた。
「さぁさぁ、大王様、黄金の御酒ですわ、命の水ウィスキーです、錬金術師が造ったお酒ですのよ」
 ルナがトレイを差し出した
「おぅこれは王妃殿、ブラバス名物の命の水ですか」
 アッチラスは銀のカップを取ると一息に煽った。
「うまい!!」
 ウィスキーは常温の水で1:1に割って有る、一番香りの立つ飲み方だ。 現在の市販のものと違い、樽だしそのままだから、アルコール度は60~70度、水で割ってやっと現在のものと同じくらいの強さになる。

「ロッソ殿は召し上がらぬのか?」
「ただいま、酒は遠慮しております」
「なんと」
「申し訳ございませぬ、戦続きで身体と心が疲れて居りますゆえ」
「疲れたときこそ酒じゃ、酒を飲み女子を抱く、これが疲れの取り方じゃ」
 アッチラスは大きな顔を上方のロッソに向けて突き出しながら酒臭い息を掛ける。 イシュタルが弟を連れて飛んできた。
「父上、シヴァ王はお仕事中でございますぞ」
 オリエントの黒髪の娘は、父、大王をなだめようとする。
「客と酒を酌み交わすのが仕事であろうが」
「ごもっとも」
 ロッソが不敵に笑う。
「このように、召使の真似事をして嬉しがっているから女房殿の尻に敷かれるのだ」
「敷かれるのが楽しいくらい、ステキな尻なんですけど」
 ルナはロッソをつねった。
「だから、このイシュタルを妃に迎えよと申しておる」
「大王様ご無体な、イシュタルさまは、義兄クロノス公爵の奥方にございます、私にはルナという奥がおりますゆえ」
 ルナはロッソに寄り添った。大王は詰め寄るように、ずいっと半歩踏み出しロッソに身体をぶつけるようにする。
「なに、イシュタルは汝の嫁になると出かけたが、汝が既に嫁を迎えていたゆえ、隣国に嫁いだのじゃ」
「あらま、そうなの義姉上」
 ロッソがイシュタルに振り返る。
「んっ まぁね、それよりロッソ、オヤジは酒乱だから」
「酒乱とは誰のことじゃ」
「まぁまぁ」
「まぁまぁではない、ルナ殿は我が妻として、アッチラスへお連れするゆえ、イシュタルを娶られよ、まだ、金髪の妻が居らぬゆえ楽しみじゃ」
「カノン殿と言う妻を娶られたのでは?」
 不意にロッソの気の立ちかたが大きくなった、ルナが宥めようとしたが既に蒼い目から笑いが消えていた。
「ロッソ・・」
 ルナが腕を引いた。
「さてもさて、神皇区の騎士とはなんと無礼なことよ遠来の客人と酒も酌み交わさず、みやげも持たせぬとは」
 ロッソが召使たちに合図をして、広間の中央にテーブルを作らせた、樽出しのウィスキー、カスクストレングスがビール用の大きなカップに浪波と20個並んだ。
「じゃあ、呑みましょう」
 ロッソが笑う。

 テーブルに向かい合って立つロッソとアッチラス大王、一番端からカップをつかみ目の高さに上げる、視線はアッチラス大王を射すくめるように光っている、アッチラスもそれに習う、ロッソはアッチラスにカップを突き出すようにする、アッチラスも突き出す、肘を直角に曲げる、互いの肘が直角に絡む。  楽団のドラムスがリズムを刻む。
「アインス ツバイ ドライ プロジット」
 ゲルマン語で掛け声をかける、そのまま、カップを自分の口へ持ってくる、キスをしそうな近さでロッソの顔と黒いひげモクジャの大王の顔が近づき音をたてて60度のウィスキーが口に流れ込む、強烈な香りが周りに立つ。
 同時にかんっと音を立てて、カップがテーブルに置かれ、同じ様に2個めのカップ。 広間に居た楽隊がそれをみて、ドラムスに合わせてお囃子を入れる、にぎやかな音楽ロッソの目がいたずらに笑う。
 ビールのカップ一杯のウィスキーは悠にビール15杯分のアルコールに相当する、ラッパが鳴る、2人が腕を宙で絡めるとドラムが鳴る。飲む速度に合わせてどんどんどんっとバスドラムが鳴る、広間中が大喜びでこの飲み比べを見物している、ルナははらはらしていた。
 2人はその調子で大きなカップに入ったカスクストレングスを全部飲み干してしまった。
「大丈夫かな」
 イシュタルが言う
「ロッソも」
 ルナが自分の両手を握りしめて見つめる。
「まずいよね」
 いつの間にか寄ってきたヒルダが、ルナの隣で同じ様に心配そうな顔をしている。 ロッソの赤毛が音を立てるように逆立ってくる、アッチラスの目も据わっていた。

「お酒足りましたか?」
 ロッソはにこにこしている
「まだまだじゃ、良い酔い加減で金髪の女子をひぃひぃ言わせるのに最適じゃ」
 金壷眼でルナを見た。
「父上様、新しい奥様にも失礼でございましょう」
 イシュタルが言うと、大王は余計にいきり立つ。
「なんの、妻は何人居ても良いのじゃ是非ルナ殿もお連れするぞ、金髪妻2人じゃ」
 イシュタルが止めようとしたのをロッソが腕を伸ばして制した。
「酔い覚ましに、雪を食いに行きませんか?」
 ロッソがへらへらという、剣呑な雰囲気だ。
「雪に汝らの赤い血をくわせてやろうず、ダルヘンから1万の我が兵を呼び戻して滅ぼしてくれよう」
 雰囲気に反応して、大王のセリフは更に剣呑だった。
「父上!!」
 イシュタルが顔色を変えた。
「大丈夫よ義姉上」
 ルナが制した。 ロッソがちょっと息を吐いた、さすがに酒臭い。

「ジョナ」
 ロッソが呼んだ。
「これから、素手の試合をするから外の広場の場所空けて」
 ジョナが頷いた。
「シグムント」
「おぅ」
「オッズを決めて、お客様に楽しんでいただいて頂戴」
「承知」
 ルナが気づくとカノンがなにやら呟いていた。
「どうして私の周りの男は酒乱なの?父と言い、大王と言い・・・」
 ロッソもよ・・ルナは口の中で呟いた。

 教会前広場は大騒ぎになった、アッチラスの従者も付いて来た、彼は若く体格もロッソより大きく、しきりにアッチラスに何かを言っている、こちらに向き直り、たどたどしいブラバス語で言った。
「シヴァ王様、主人は酔っておりますゆえ」
「わしは酔ってなぞ居らぬ」
 大王は従者を突き飛ばさんばかりに、言い放つ。
「大王さま、私がシヴァ王と立ち会いたいのです」
 掛け金を集めていた街の両替屋の帽子が停まる。
「シグムント、2:1の対戦に変更、オッズチェンジ!!」
 ロッソがフットワークを使いながら叫んだ。
「おのれ」
 どこに持っていたのか短刀を突き出しながら、従者が、つっかけてきた。ロッソが瞬時にしゃがむ身体が伸びきった従者の太腿に肩をあて、そのまま立ち上がる、若い従者はもんどおりを打って倒れた。

 ロッソが短刀を蹴り飛ばす、起き上がろうとした側頭部に足の甲がヒットする。従者は白目を剥いた。
 ロッソは足を振り下ろしたそのまま走り出し、大王に迫る。胃の位置に強烈な右アッパー、雪のなかで、ぼこんっと音が響いた。飲んだ酒が髭に覆われた噴水のように、瀧のように全部口から迸った、大王が腹を抑えてのた打ち回る。

 ロッソがシグムントを呼んだ、指示をしてシグムントが頷く。
「賭けが成立せぬゆえ掛け金はシヴァ王が倍にして戻す、両替屋の記録にしたがって払うので後ほど両替屋へ取りに来るように」
 大声で告げると歓声が起きた。
「殿様の勝ちじゃねえのかよぉ」
 声がかかった。
「光り物が出た時点で、ご破算だよ」
 ロッソが戯けて言った。

「殺さないでくれてありがとう」
 イシュタルがロッソに言い、大王と従者を介抱に行った、アッチラスの兵が手伝いに寄る。

「シヴァ王様」
 ルナが大きな声を掛けた
「掛け金の払い戻しも王のお小遣いから引きますゆえ」
「ええーーー?」
 ロッソが雪の中にへたり込み観衆からやんやの拍手。 
「王妃様の勝ちぃ」
 教会広場が笑いに包まれた。

 レジデンツの6階、使用人が寝る部屋。頭から被る白い寝巻きを着せられたロッソ、女の細腕で着替えさせるのに、うんと苦労した。

 雪の中でへたり込んだ振りをして見物人から、やんやの喝采を浴び調子よく手など振っていたが喧嘩が終わると限界で、近寄ったルナに、そう告げた。

 馬に乗ってシヴァの街へ帰ることが出来ず、誰かの部屋をとりあげるわけにも行かないので、仕方が無いからレジデンツの屋根裏の夫婦の使用人が使っていた部屋が、たまたま空室だったので泊まる事にした。

 並み居る諸侯に先に休む非礼を詫び、さっそうと階段を上がりきって、ドアの中に入ったら糸が切れたみたいに崩れた。
重たい思いをしてベッドまで運んだのはルナだ、ロッソの醜態を余人に見せられない。
 ロッソが余りにも酒臭くルナは同衾するのを一瞬躊躇した。
 部屋中にウィスキーの臭いが充満し、それにロッソの汗の臭い愛しい夫とは言え。
「なかなか我慢しがたい臭いだわ」
 ルナはつぶやいた。放り出してシヴァへ帰ろうかとも思ったが、事の起こりが事だけに邪険にも出来ず介抱が必要だと思い我慢した。
雪が降る前に摘んでおいた、二日酔いに利く薬草は飲ませた。 ベッドは一応ダブルサイズなのだが、いつも寝ているベッドに比べたら、うんと狭い、ロッソは苦しそうな呼吸をしながら仰向いている、時折ゲップをするたびに。ウィスキーのオークの臭いが広がる
「まったく、いろいろあるからって、いくらなんでも飲みすぎ」
 ロッソがいつもするように右肘を枕にして寝顔を見つめる。鼻すじを左指ですぅっとなぞる、頬をつんつんするとむにゃむにゃと反応する、面白くて顎の骨をそっと・・
意識が無いのにくすぐったがっている。

 ルナは自分の髪を一束つかみ、それで頬をくすぐってみる、ロッソが唐突に、がばっと起きるから。驚いて「きゃっ」と声が出た。
 大きな手を広げ、ベッドサイドに置いた水差しから水を貪り飲む。嚥下にあわせて動く喉仏が、これまた見ていて面白い、飲み干すととんっと音を立てて水差しをテーブルに戻す、一瞬ルナを見てほほ笑んだが意識は無い様で、ばたんっと仰向けになり、また、唐突に寝息を立てた。

 アッチラス大王が無体を言ったからって、酔った上のことなのに、あの対応は、あきらかに怒っていた。それも・・・
「意外に不器用なのね」
 立ち上がって、水差しをお代わりに変える。
細い指で赤毛の生え際の汗をそっと拭った。改めて布で拭いてやる。自分のために怒ってくれたと思うと、ちょっと嬉しかった。

 赤毛の額に唇をあてて、寝ようと横になる、その刹那、とてつもなく大きな悲鳴、甲高い女の声だ。
 随分声量があり、肺の息を全て吐き出すほど長い、女の甲高い悲鳴はきりきりと神経にねじ込んでくる。
ルナの感覚が一気に覚醒した、3階の大王たちが寝ている部屋だなと見当を着ける。
 あの声はカノンだろう、こんな夜更けに・・・大王は酒を吐いたから回復して、カノンに挑んだのか?

 睦み事をするなら、旧教会へ移動すれば声も外に漏れないのに、やれやれ、おかしなプレイなどしていなければ良いが、レジデンツでは各国の衛兵がそれぞれの王を守り、建物はイノシシ武者が警備をしている。
 よもや不埒な者が、王族に狼藉を働くことはあるまいとルナは思っていたから、カノンへの反感とあいまって、悲鳴を嬌声か、あのときの声だと思った。
「まったく、あられもない」
 ロッソを相変わらず酒臭いと思いながら、レジデンツの天井を見ていた
 ロッソが造ったものだから、シヴァの城と同じ職人たちの作で、屋根裏部屋とは言え造りは悪くない、快適に出来ている。機密性も良く、出来るだけ外に中の声が漏れないようになっているのだが、それであれだけ聞こえるとは何事か。

 そう思っていたらドアが小さくノックされた
「ロッソさま」
 ジョナの声。
「どうしました?」
 ルナが声を掛ける
「3階で火急の事態が」
「わかりました」
 ルナは起き上がりすばやく平服に着替えるとドアを開けた。
「ロッソは使い物になりません私が参ります」
 ジョナと一緒に3階へ降りる。3階の廊下はアッチラスの衛兵が固め、シヴァのイノシシ武者が数人その向かいに立っていた
 そして、兄クロノス公爵、イシュタル、ハーゲン諸侯も何事かとドアを開けて廊下を伺っている。
 ここでも激しくアルコールの臭い、それに加えて、むわっと血の臭いが鼻を突いた。
 ものものしい雰囲気のアッチラスの衛兵に道を開けさせ、イシュタルが部屋へ入る、ルナたちもそれに続いた、エントランス、次の間、その奥に寝室、6階のルナたちの部屋の3倍以上の広さがある。
アルコールと血の臭いが立ち込めていた。部屋は一面壁まで真っ赤に染まっている
 ベッドの脇に従者の青年が立ち尽くし、その足元にあられもない格好のカノンがへたり込んでいる、薄衣を纏った、その身体は血に染まり真っ赤だ。

 ベッドにはボロ雑巾のようになったアッチラス大王が横たわっていた。手足を人形のように投げ出し、目と口を大きく開き逞しい胴体は血に沈んでいる。
「いったい、なにが」
 イシュタルが冷静に死体を見つめた。
「ゾイテル、次の間に控えて居ったのであろう、何があった?」
 静かな声で従者に問いただす。
「わかりませぬ、今宵、大王は酔われておとなしくベッドにお入りになり、奥方も」
 ゾイテルが足元のカノンを見やった。
「何事も無くお休みになられたはずでした、私も次の間で休んでおりますと、突然奥方様の悲鳴が」
 部屋に入るとこの状態だったと言う。カノンは硬直して何もしゃべらない、ただ、布をかけられた肩を小刻みに震わせているだけだ。
傷ついた小鳥のように哀れな風情にルナが歩み寄った。
「カノン、別の部屋で休むと良いわ」
 ルナの声にカノンが顔を上げた、ルナを見ると目が大きく開かれ悲鳴を上げる。
「ロッソ、ロッソが大王を引き裂いた」
「なんですって?」
 ルナとイシュタルが同時に叫ぶ
「足元に顕れ、笑いながら大きな鉤爪を大王の胸にめり込ませ、ゆっくりとひいたわ、ルナ、貴女がやらせたのね」
 全員がルナを見た
「そんな筈はないわ、ロッソは酔いつぶれて寝ていたもの。今も起きられなくて私が来たのよ、ずっと介抱していて水を飲ませて、うとうとしたら悲鳴があがってジョナが迎えに来たの」
 ジョナが頷いた。
「シヴァ王はまだ事に気づかず、酔いつぶれてベッドに居ります」
「嘘よ、ロッソが殺したの、私の夫を引き裂いたの、今度は私を殺しに来る、私は殺される」
 カノンは恐慌につかまれ震えている、目が尋常ではない。
「ロッソを見に行くわ」
 イシュタルが部屋を駆け出す、全員が続いた。6階へ駆け上がる、ドアを開けると相変わらずアルコールのすえた臭いロッソはシーツをつかんで枕に顔を埋め、苦しそうに呻いていた。

「これじゃ、オヤジを殺すのは無理ね」
 イシュタルが嘆息する。ルナはロッソの右脇に腕を入れてベッドから引っ張り出す。 ベッドサイドの水差しの水を頭から浴びせた。ロッソの身体がびくりと痙攣する。
「ジークフリート、起きなさい私を助けて頂戴」
 屈みこんだルナの金髪がカーテンのように広がり、ロッソの頬を撫でた。
「うっうーん」
 ロッソがベッドから落ち、のろのろと四つんばいになる、腕を思い切り伸ばし背中を反らせる、犬がするように赤毛を左右に激しく振る、しぶきが皆にかかった。

 よろめきながら立ち上がる、白衣の寝巻きが水に濡れて裸同然だ、また、頭を振る、手を伸ばし、ルナから水差しを受け取り、残った水を一気に飲み干す。
「どうした?」
 はっきりした声で、ルナに尋ねた。
「大王様が亡くなりました」
 ルナが応える。
「そうか、下手人は?」
「カノンが貴方だと、私が殺させたと言っているわ」
「なに?」
 一間の部屋の隅に置いてあった着替えを、周りに人が居るのにかまわず、裸になると、とてもすばやく身に着けた。
 風のように部屋を出て、また全員で3階へ行く。ロッソが部屋に入るとカノンが硬直した、じっとロッソを見つめ何も言わず呼吸だけしている。
「さぁさぁ、カノンさま、風呂に湯を張りましたゆえ、沐浴して、お着替えをなさいませ」
 ヒルダとベルがローブで血まみれのカノンを包み、部屋から連れ出した。

 ロッソが大王を見た。胸は寝巻きごと裂かれ確かに3本の鉤爪で引いた傷になっている、一番左側の傷は心臓まで達しているようだ、それぞれ肋骨が砕かれ、胸がひしゃげている、肉がちぎれここまで無残な死体は、そう見ない。
苦 悶の表情でかっと開いた黒かった目は既に白く濁り始めている、ロッソはたなごころをかざし瞼を閉じてやった。
 ロッソの身体が吹っ飛んだ、大王の従者ゾイテルが渾身の力で、かがみこんでいたロッソの顎を殴りつけた。
「ロッソ」
 ルナが駆け寄る
「ゾイテル」
 イシュタルが叱りつけたが、大王の従者ゾイテルは激昂していた。
「大王に触れるな不埒者め」
 ロッソは立ち上がり赤毛を左右に振る、ルナが寄り添った。
「ありがとう、今のショックで完全に酔いが醒めたよ」
「きさま!!」
 ゾイテルは歯噛みをして立ち向かおうとする。
「ゾイテル、汝も見ての通り、シヴァ王はルナ殿と寝室でお休みになられていた、大王を殺めることあたわず」
 イシュタルが言った。
「しかし姉上、下手人はこの赤毛なのです」
 ゾイテルがイシュタルに答える。
「姉上って・・・」
 ルナがイシュタルを見た
「ゾイテルは庶子なので、大王の従者をして修業をしていました」
 イシュタルが言う。
「嫁さんが8人じゃ、さぞかしお子様も沢山だろうね大王様」
 ロッソが大王の遺体を見やる。
「56人よ、私を入れて」
 イシュタルが答える。
「嫡子は連れてきた9歳のラハブと私だけ」
「なるほど」
「貴様、貴様」
「やめておけよ、ゾイテル、2発目は不要にしとくれ、おまえが見たとおり、俺はかみさんに抱っこされて、酒精地獄に彷徨っていたんだ、おまえの親父様を殺めることは出来ない」
「いや、あの気はおまえだ、今お前がここに来て確信した」
「気を感じるのはわかるのだが、物理的に成り立たないな」
「貴様は魔法を使って竜になり、父を殺したのだ大王妃が言うとおり、紅い竜が父を殺した」
「おまえ、見てなかったのじゃないか?」
「今、見える」
「この国では紅い龍はマサカド殿のことだ、俺は紅いイノシシ、もしくは豚。 マサカド殿には大王を殺める動機が無い」
「きさま!!」
 ゾイテルが掴みかかろうとしたら、その頬でよい音がした、ルナの左平手がゾイテルの右頬にヒットした。
「ゾイテル殿、どうぞ頭を冷やしてください」
 ゾイテルはルナに矛先を変えた、動いたゾイテルは瞬時に固まった、ロッソの右手がゾイテルの顎の下にはいり、ロッソの蒼い瞳が炯々と光り、腕は筋肉が膨れ上がっている。 そのまま腕一本でゾイテルの身体を持ち上げる、ゾイテルは手足をばたばたさせるが、どうしようもない、頚動脈がしまり顔が紅潮している。ルナがロッソの腕をつかみ下ろさせた。ゾイテルの身体はドサリと床に落ち、大きく咳き込んだ。
「誰も逃げも隠れも致しませぬ、我が夫が下手人ならば、そうとはっきり示した上で、ご存分になさればよろしかろう」
 ルナが言い放った。
「魔法をどのように証明せよと言うのじゃ」
 ゾイテルは泣き声だった。
「証明のしようがないな」
 ロッソが顎を掻いた。
「おのれ!!」
「待てよ、証明のしようがないから魔法なんだろう、身体があるのに魔法を使うこと自体、反則なんだが、大体、俺がアッチラス殿を殺すのに魔法を使うと思うか?」
 ロッソが嘆息した。
「喧嘩を売ったのは、汝のオヤジさまだぜ、殺されても仕方の無いことを仰った、そして、それを庇おうと汝は、この街でご禁制の飲酒の上での刃傷沙汰、ルールでは100叩きだぜ、殺す気ならあの場で殺している。俺は1万の兵を貸してくださったことに恩義を感じているから冗談で済ませた」
 ロッソの背がぴんと伸びた。
「ゾイテルよ、我が王妃が申したとおり、私は逃げも隠れもせぬ、私が下手人と皆が納得したならば、私を討てばよかろう。それより今は大王の安らかな眠りを祈り、汝の国の平安を図ることが急務ぞ」
 ロッソの厳かな言葉にゾイテルも頭を垂れた。
「ゾイテル、朝まで大王に付き添いなさい、父上にお別れをするのです」
 イシュタルが言った。
「私は2階の部屋でラハブと共に居ます、父上の身体を清めてからラハブにお別れをさせましょう」
「エンバーミングの手配をさせます」
 ルナがジョナに指示をした。ロッソが廊下に出る。
「諸侯、各国の王よ 大変お騒がせを致した、アッチラス大王にご不幸があり、亡くなられました。仔細は調べてご報告いたします、今宵はアッチラスの兵とシヴァの兵が警護を致しますゆえ、どうぞ、朝まで休まれよ」
 廊下は尚も暫くざわざわしていたが、そこは戦場を駆け巡る騎士たちのこと、豪胆に部屋に引き上げていった。
「ゾイテル、義姉上、俺たちは6階に居ます」
 ルナはロッソと使用人部屋へ引き上げた。


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