#介護 胃瘻しても生きる
クリスマスイブに入院、手術がうまくいき、心配するような容態の変化はなく、元旦にHCUで、お父さんおめでとうを言った。
脳圧も順調に下り安定、回復はどうだろう?
入院している間、家の中は平和だ。 戦時中にぽっかり休みがある感じ(笑)弾が飛んでこない、塹壕?
戦場を視察する、 トイレのタオル掛が破壊されている、壁が石膏ボードでネジを打ち込む感じだから、パテで埋めてから打ち直すか? とりあえずダイソーで両面テープのやつを買ってきた。
シャワーのホースに巻いてある、ステンレスのカバーは直らない、折を見て、ハウスメーカーに依頼しないと、特注品らしく、ホムセン、Amazonで入手不可能。
床の掃除を念入りにし、重曹・セスキでクイックル、アルコールでクイックルをした。
各階の壁、白い壁紙によく見ると、血の跡。 独居の時に、階段で何度か転んだ様だ、下まで落ちたら、介護で大変な想いしなくて済んだのにw
塩素を薄めたものが役に立つ、血は重曹・セスキで落とし、落ちないところは塩素。
アクアズキュータムのパジャマ、ブランドのロゴやデザインが、きつい塩素を掛けたら、真っ白なパジャマに(笑) シーツは漂白してから2度洗い。
便秘の便はしつこい。
しつこい、宗教勧誘も閉口した、独居の時に何度も来ていたらしい。
「交流させてもらってたんで」 だからなんだよは言わなかった
20代のあんちゃんみたいなやつ、行儀の悪いガキが2匹、おまけでひっついてきて、扉をガチャガチャしてる。 柏太鼓系の宗教だ、すっげしつこく訪ねてくる 猫と散歩いる時の藪蚊みたい。
そういや、独居老人に取り入って なんて話は、警察からも聞いている。
帰ってください、お引取り下さい、帰れ! 今ので3回目ですよと言ったら、敷地から出ていった。
不退去罪は知っているらしい、慣れてるみたい(笑)
毎日、病院には通った。 トン子と かちあったり、ずれたり。 日々、ほぼ、変化が無く、HCUの天井をぼぉっと見ている感じ、バンテージは替えられ、清潔、常に5~6人の患者がいるが、ICUの次に重症な人たちだから、静かだ あちこちの人の酸素がこぽこぽ、加湿器がしゅうっと。
松が明けて、カンファレンスが有った、担当は執刀医、30代の腕利きだ、病院のHPには載っていなかったが、ナースさんからの情報では、留学経験が有るようだ 彼の迅速な対応で親父は命を取り留めた。 (ちっ)
KOの医師 木村くんと同様イケメンなのだけど、遥かに知的で育ちも良い、 きっと飯を食うのに肘を突いたり、握り箸はしないだろう。 男も惚れそうなオーラが有る。
27インチのWindowsにゴースト。 MRIの画像が映し出される。
「硬膜下血腫が今回の急性のものだけではなく、いくつか慢性のものがありました」
確かに白く映る部分が数箇所有る。
で、今回の転倒で大きな硬膜下血腫になり、抗血栓薬で血が止まらず、脳を圧迫し、脳幹に至る脳梗塞を発症、脳幹が壊れ回復の見込みは無いそうだ。
HCUは出られる、生命の危険が無くなるまで面倒は見てくれると言うので、個室を頼んだ。
一泊9千円(笑) おー テーノー未熟大学の25%以下(笑)
しかも、新宿西口のホテルのシングルより新しく、テレビ無料、ネット繋ぎ放題(笑)
あの病院、歌舞伎町の交番周りの店みたいにボッタクリじゃね?
5回目の入院の時なんて、38,800円(税別)徴収するくせに、人手が足りないから、夕飯時はアテンドしろって10回、夕飯の為に通ったんだぜ(笑)
今度は、綺麗な個室に通った。 今どきのテレビは煩いだけなので、CDプレーヤーを持ち込み、親父の好きな曲を10枚ほど持ち込んだ。
シューベルトのます、越路吹雪、マリア・カラス等など。
ほぼ、植物状態だと言われたが、好きな曲を聞くと にこにこ嘲笑うし、あーあーと合わせて歌う。
穴を開けた箇所も落ち着いて、毛髪も生えてきた。
2月の中頃、またカンファレンスが有った。
とりあえず、命の危機は去り、終末病院を探すようにとのアドヴァイス。
病院でコンサルタントを紹介され、いくつか終末病院を回った。
当家から歩いて5分、次女の保育園があった近所に一箇所(笑)
土地勘があるし、そこも良いなと想って見学。
地域の救急病院だったのを終末病院に改築したらしく、玄関、受付は朧気ながら、記憶があった。
小学校でやらかしたときに、ここに運び込まれた筈(笑)
改築、増築を重ねた廊下は迷路の様だ。 部屋の入り口は?
中は綺麗、ゴージャスな感じになっている、でもね、歌舞伎町のホテルを連想してしまうのは、 はいっ 僕が不謹慎だからです(笑)
救急病院だったころ、ここはヤブの評判(笑) パスしようか?
練馬の病院
青梅街道のあっちの市部の病院
千葉、埼玉 ぴんと来ない
そして、昔、サナトリウムだった病院、母が通った中学、高校の近所だから、ここも土地勘が有る。
ここが良いねと二人で話した。
辿り着いたのが3月の初め、旧陸軍病院は救急が専門だから長居は出来ない決まり、担当医にも、早く決めろと2度ばかり、せっつかれていた(笑)
3月11日に転院。
桜がつぼみに成る頃、前の病院で条件としては胃瘻の処置をしてくれと。
口から食べられない患者は、胃への挿管で鼻から栄養を摂るか、腹にコックをつけて、そこに管を繋ぎ、栄養を入れる。
空中給油機みたい。
担当医に頼んだら、渋い顔をされた。
「申し上げにくいのですが、延命です」
それでも、してもらった。 まだ、親父は笑う、歌う、僕を見れば、今は正直にぶぅううっと唇を鳴らす(笑)
僕が嫌いだったんかぃ(笑) お互い様だけど(笑)
「死にたくないよ」
が 言葉にした最後の意思表示だし、生きてたら良いんじゃないの(笑)
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