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マコが来てくれた、更に和んだ気持ちで親父と接するようになった。
何が有っても笑っていられた。
ベッドから降りるやいなや、オムツから横珍して、小便をされても、ブラインドの金具を破壊されても、ささっと対処できる。

2ピンポン

トイレなら、下用のタオルを数枚、ファブリーズ、塩素を入れたカゴを持っていき対処。

壊したものはネットで調べてリペア。
直らないものは、暫く放置、後ほど業者に手配。

夜中の歩哨も相変わらず、2時間に一度、起こされる。 かたっと音がしても 3回誰何はしない(笑)
リビングに座らせ、テレビかJcomから古い映画を選び 見せて、眠くなったら、寝床へ誘導。

食べ物は親父のリクエストで、あれこれ作る。

12月23日
「明日はローストチキン、頼んであります、今日は煮魚か何か軽いものにします?」
「ハンバーグ」 オイ(笑)
「デミグラ? 和風? ホワイトソース?」
「デミグラで芋」

ちいと気張って和牛の挽き肉を こねてこねてこねて つなぎなしのハンバーグステーキを作り、デミグラソースもハインツに赤ワインを足し、あれこれ香料を足して、親父の好きな店の味に近づけた。

ベイクドポテトにバターを乗せチェダーチーズ とろっと溶ける

スープはJALのコンソメで勘弁(笑)
ブロッコリー、レタス、トマト、アスパラのサラダ。

「お替り!」
「まだ、あるけど、すでに200g食べているから、明日の朝、パンで食べましょう、ソースをおろしポン酢にするから」

不満げだったけど、一応納得したはずだった。

風呂も済んでいたし、ベッドへ連れて行くと、寝た。
3人分の食事を持って1階へ、匂いや音がすると、親父が起きるから、マコも同伴で長女の部屋で、娘二人と3人の夕食。
疲労が貯まっていて、僕も23時には就寝、親父の寝室の前のソファが変身する簡易ベッド、横になっては居るけれど歩哨(笑)

午前3時だった、起きたなと想った、でも身体が動かない、起きなくちゃと想っているのに、起き上がれない。

放尿している音がする、横珍攻撃、よいしょっと起き上がった。やっと意識が覚醒し、リビングの電気を点けた。

あーあ、放水して(笑) ハンバーグのお替り出来なかったから嫌がらせでしょ、やれやれって寝ぼけながら起きた。 撒き散らし対応カゴを手に戻ったら、どんっと音がした、親父が仰向けになっている。

あれま、自分の小便で滑ったな、頭打ったかしら。 僕も覚醒した。

「お父さん」
「あ~」

「痛い?」
「痛い」

受け答えができるから、とりあえず、寝室に戻そうと、裸エプロンと同じくらい望まない、姫だっこを親父にw

っと想ったら、ぼたぼたっと血が落ちた。

濡れていない床にストレッチ用のマットを広げ、タオルを何重にもして、出血部分に当てた、7回目の119。

夜中だから、直ぐに来るだろうと想った

長女と次女に知らせ、濡らした床にバスタオルを宛てがい、長女に救急車を迎えに出てもらう。

親父に声がけをしながら濡れた下半身を着替えさせて居るうちに救急隊が到着。

隊長に状況説明、仰向けに転んだ時、折悪しくリビングとキッチンを仕切るスライドドアのストッパーに後頭部を打ち付け、裂傷になっていた。
掛かりつけのKO病院は脳に対応できる医者が居ないと拒否された、仕方がないので、旧陸軍病院、至近では一番腕の良い救命救急に運ぶことに。

救急車の中からトン子に連絡、戸山町の病院へは7分で到着した。

ブルーの服を着たドクターやナースが引き継いで、処置室へストレッチャーを押していく、5分ぐらいで目の前を救急隊が、書類を持って通る、挨拶をして送った。

待合室でカウンターに呼ばれ、あれこれ書類を書いて、待っていた。
ブルーの服を着た女医さん来る。
「かかりつけはKO病院で宜しいですか?」
「はい」
「お薬手帳は?」
渡した、診察券、他一式お預けした。

「先方にデータを問い合わせます、同意頂けますね?」
「もちろんです」

問い合わせに対して、必要資料一式をFAXで貰うらしい、ただ、それに時間が掛かったと後で聞いた。

去っていく女医さんが てきぱきしていて綺麗だった、プロとして、鍛え上げられた美しさ? どう表現して良いか、未だにわからないけど…(笑)

それから20分くらいで、今度は40代の男性の医師。
「内科の武田と申します」
「お世話になります」
「転倒による、硬膜下血腫です、脳内の出血が止まれば症状は落ち着くと想います、今日はHCUで様子を看ることになります」
「はい」
「では、お移しいたしますので、どうぞ」

トン子に連絡を取り、容態が急変でもしたら、知らせるので来なくて良いと言った。

ナースが一人付き添って、医師自ら、ストレッチャーを押してくれる、あれま大学病院と随分違うんだ、ドクターとナースのカーストが無い(笑)
医師の物腰も柔らかで、凄く安心出来た。
HCUと書かれた扉に、IDカードをスライドさせてエレベーター
運ばれる親父は、良いことでも有ったのかニコニコしている。
さっきの女医さん綺麗だったもんな 女好きもDNA(笑)

エレベーターは9Fに着き、扉を入って、清潔な大部屋、見渡せる感じで、患者が何人か寝ている、スタッフの動作はキビキビしている。

ストレッチャーからベッドに移されて点滴も所定にセットされる、モニターを繋がれて、にへらとしている親父に笑いかけた。

「では、午後にでも参ります」
医師とナースに挨拶をして、見舞い用のエレベーターで下へ。
地下鉄の始発が出ている時間だったけど、ここからだと遠回りに成るから、車を拾った。

家に戻って、出勤した長女、疲れて寝ている次女を見て、マコがご飯を食べたのを確認 トイレを清掃。

娘達が洗濯機に入れておいてくれた、昨夜の汚物、まだ回せないけど、洗剤を掛けて、風呂の残り湯をバケツで注いでおく。 血の着いたものは薄めた塩素を掛けておく。

やれやれとトイレに座ってジーパンを脱いだら電話が鳴った。

「旧陸軍病院の○○と申します」
若い男性の声
「容態が急変しまして、緊急手術になりますのでおいでいただけますか? 硬膜下血腫の出血が止まらず」
「すぐ行きます」 みなまで聞かずに答えた。
「所要は?」
「30分で必ず」

ウォシュレットもきっちり使い、顔を洗って、冷蔵庫からペットボトルを出し、20秒レンチン、車に乗った。

温めたお茶を飲み飲み、明治通りを超えるまで8分、そこから7分 15分で到着。1階の駐車場からの入り口に武田と名乗った内科の医師が待っていた。
「申し訳有りません」「いえいえ」

いやいや医療ミスじゃないのは解っている。
降圧剤と、抗血栓薬のせいだ、KO病院でフルコースフレンチで食えるくらい薬が出され、トン子と僕で介護をするようになり、セーブはしていたのだけど、長年使い続けていたので、血が止まりにくい。

「同意書に署名します」
執刀医と麻酔医が居て、執刀医が説明をしてくれた。
サインをしながら説明を聞いた、やはり止血が出来ず、脳が血液に浮いた状態、どんどん腫れて行き、しまいには…
頭蓋に500円大の穴を開けて血を抜くという。

5階の手術用待合室で待機した、トン子もやってきた。

95分後にオペが終わったと、医師が呼びに来た。
ブルーの手術着にブルーのクロックスを履き、熱気と血の臭いがした、待合の隣のブリーフィングルームでWindowsに移されたゴーストを見ながらの説明。

麻酔医として紹介された医師だった、30代?
オペの概要、今の状況を非常に解りやすく説明してくれた。

「後ほど、移動のお知らせに来ますので、また待合でお待ち下さい」

30分しないで、ナースが知らせに来て、8階のHCU 9階より規模は小さいが清潔で機能的な印象だった。

親父は頭を包帯でぐるぐるにして寝ていた。500円ホールが見られるかと想ったが、包帯が厚く、見分けがつかない。

とりあえず、生命に別状は無いという説明だったので、引き上げることにした。

親父がベッドから降りた時に動ければと、ちょっと後悔したが、どうしようもないよねと自分を納得させた。

JRの駅まで歩いて、トン子と別れ、僕は家まで歩いて帰った。

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