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 自己欺瞞に耐えられず、心が求める方にシフトしたら猛烈に乾いた、ロッソを欲した。
 気づいたら、シヴァの城へ押しかけていた、思いもかけずクロイツェラーに参陣が叶い心弾む日が続いたが、また、今、これだ・・・。
 馬が半分凍った雪に穴を穿ちながら進んでいく。

 昼前に神皇区の城塞の前に広がるヒースに布陣する、物見が雪を蹴立てて戻ってきた
「シヴァ兵およそ6千、城壁前で布陣しております」
「なんと・・」
 ゾイテルが呻いた。

「あはははは、あはははははっ」
「姉上、何がおかしい」
「さすが、シヴァ王、相手に不足なし、見て参る」
 イシュタルが馬を走らせると、ゾイテル、グンター、ハーゲンも続いた。軍勢もゆるゆる移動した。

 シヴァの城塞前に白い雪の上に、白い軍装をつけたシヴァの軍勢、騎馬隊を中央にロングボォを携えた弓兵、歩兵を展開させ鶴翼に構えている。
 白い胴に人を喰った踊るイノシシの絵が紅い線だけで描かれて腕を後ろに楽しそうに足を跳ね上げている。
 さらに人を食っているのはシヴァ勢の顔、布を鉢巻にしてその下に丸いガラスが2個、煤で染めたのか、簡易サングラスを掛けている。

 鶴の左翼はクロノスの見知った顔、皆がシヴァのイノシシ軍装をつけている
「あっはははははは」
 イシュタルはまた笑った、公爵の兵、領民でいるより、公爵の妹が嫁いだシヴァの者になることを選んだわけか・・・・私が公爵領の人間でもそう思うわ・・・

 イシュタルは馬をゆっくりフィールドの中ほどまで歩かせた、ロッソがルナを伴ってやってくる。
 黒いグラーネとサイドバイサイドの鹿毛のスルスミ。ロッソは白い軍装に兜を被らず赤毛を風に揺らせている。ルナは紅い翼の着いたヴァルキューレの兜、そして、執事のジョナが「そり」をつけた馬に乗ってくる。
そりにはカノン巫女が乗っていた。ゾイテルが顔色を変える。
 フィールドの中央で両者が向かい合う

 ロッソが鉢巻ごと、とぼけたサングラスをはずした。
「お帰りなさい、義姉上、忘れ物?」
 ロッソがにこにこしながら声を掛けて来た。
「あはは、こら、ひねた義弟、私におとぼけは通じぬぞ」
「何を言ってんの、大切なものを忘れたでしょう」
「大切なもの?」
「私の愛・・」
 ロッソのさりげない物言いに、イシュタルは、ぎくりとした。
「おい!!」
 ロッソが笑いながら馬を下りた。足首を雪に埋めながら、そりに近づく、ルナとジョナは馬を下げていく。
「カノン」

 ゾイテルが呟いたのをイシュタルは聞き逃さなかった。ロッソはそりの脇に膝を突いた、カノンの顔を覗き込む。
「あたし、あたしじゃない、あたしは何もしてない」
 カノンが叫ぶように言った。 ロッソがカノンの唇をキスで塞いだ。
「馬鹿だな、カノン、クリエムヒルド。 私がそんなことを思うわけ無いじゃないか」
「ジークフリート、思い出してくれたのね」
「もちろんさ、前世で永遠を誓った仲じゃないか、今、一万六千人の前で今生の愛を誓い合おう」
「あぁ、うれしい、やっとあたしのものになってくださるのね」

 ロッソの激しいキスにカノンがうっとりとした、カノンが掛けている毛布のなかにロッソの手が忍び込んでいる、神皇区の方角の青空に稲光がした、ごろごろと空が鳴る。
「あっ」
 ロッソの手の動きにカノンが仰け反った。
「こんなところで恥ずかしい・・」
 頬を染めていた。
「ロッソぉおおお」
 ゾイテルが馬を走らせた、蹄がリズミカルにくぐもって鳴り響き、雪が舞い上がる、ゾイテルが抜刀、ジャポネスクの白刃が光る。 屈んでいたロッソを斬り飛ばそうと、馬から右腕を伸ばす、そりについていた馬が嘶き棹立ちになる、ロッソの身体がマリのように丸まり宙にあった。 そのままオーバーヘッドキック、ゾイテルが雪の上にどぉっと落ちた、起き上がる前に、鳩尾辺りにロッソの蹴りが決まる。

「汝に愛しきカノンを渡すまじ」
 ロッソが言いながら、にやりと笑う、また、稲光。雷鳴が轟く空が俄に暗くなり何か緑色の瘴気が飛んできた、それがまるごとゾイテルを覆う

「くっそ、くそぉ俺を馬鹿にしやがって、オヤジも赤毛も俺を馬鹿にしやがって」
 吐き出すように言いながら、ゾイテルの身体が見る間に膨れて行き、緑の瘴気が包んだ所から化学反応のように赤く染まる。
 見る見る竜に変化(へんげ)して膨れていく、うろこに覆われて赤い身体、眼は赤いランプのように炯炯と光り蝙蝠の羽を広げ、前脚に刃物のような鉤爪。

 口から赤い炎を吐いている。皆が見上げるような6メートル級の赤竜。
「喰ろうてやる」
 竜がロッソに覆いかぶさる、白い雪に赤い竜のコントラストロッソは竜に覆われて見えない。 そこへ白銀の剣、竜の背中から切っ先が飛び出した。竜の身体がじりっじりっと持ち上がる、後脚で立ち踵が浮き上がり、爪先だけが雪にめり込んでいる。神剣グラムでロッソが竜を支えていた。そのまま右へ、剣を抜きながら引いていく、竜の身体が胸のところから水平に両断され、どんっと雪の上に落ちる。ぶわっと血が噴き上げざぁっと降って来た
一面の雪が赤く染まる、ロッソは上を見ながら、何度も飛んで、飛んで血の雨を避けた。
「なんと、ゾイテルが竜とは」
 イシュタルが吐き出すように言った。

「なんと?だよね、魔法をかけた心とシンクロしたのでしょう、嫉妬は怖いね、化け物を造る。おやじ様への不満、カノンへの横恋慕、そんなところかな」
 イシュタルはぎくりとした。
「さて、義姉上、どうする?喧嘩するの、それとも、城へ行ってお茶でも飲みながら話をする?」
 イシュタルは黙っていた、ロッソが後方に合図を送る、しゅんっと音がして、黒い「てつはう」が飛んできた。

 アッチラスも装備している、てつはうは陶器だが雪の中では割れないので威力はない、 シヴァの「てつはう」は鋳鉄だから余計に割れず、使えないだろうと踏んだ、性能に勝る、てつはうが無ければ騎兵の数で勝る。騎馬戦で押し込めると踏んでいた。

 てつはうは2発飛んできた、それはイシュタルの遥か後方に落ち轟音と共に榴弾が飛び散る、2発目は焼夷弾、雪の上でオレンジの炎を上げた、火薬の威力も格段に上がっている。

「雪でも割れるのか?」
 イシュタルが努めて静かに言った。
「ヘイバイトスと相談して振り子を仕込んだのさ、落ちた瞬間に振り子が炸薬を叩く、どこでも落ちれば割れるようにして有る」
 ロッソの目がいたずらっこのようにきらきらしている。しばしロッソと見詰め合った。
「喉が渇いた」
 イシュタルは低く、つぶやくように言った。
「そうこなくちゃ、俺もいっしょに戦場を駆けたアッチラスの衆と命の遣り取りは気が進まないのさ、ありがとう義姉上」
 ロッソはグラムの血を雪で拭い鞘に収めた。

 シヴァの城に着いた。ロッソ、ルナ、イシュタル、グンター、ハーゲンが暖炉の有るダイニングでテーブルに着いた。
 暖炉の上に槍の穂先が置いてある、グンターとハーゲンには見覚えのあるグングニルの槍、父、ヴォータン王の持ち物だったはずだ。
「父上のです、結婚式の前の日に夫と立ち会ったそうよ」
 ルナが2人に説明した。

「巫女はいかがしましょう?」
「教会に帰してあげて」
 ロッソがジョナに指示を出した。ジョナが下がり、ベルが支度をしているとカノンが駆け込んできた。

「ジークフリート、あたしよ」
カノンが切なげに叫ぶ、皆がカノンを見た。
「巫女さま、これより和睦の話し合いを致しますゆえ、ご遠慮いただけますか」
 ルナが言った。
「永久(とわ)の愛を誓ったのはあたし、邪魔をしないで、ブリュンヒルド」
「おやおや、何を血迷われて」
 ルナは微笑んでいた。
「貴女は嫉妬から、あたし達を引き裂いたんだわ、今生は、あたしより先にジークフリートに近づいたのね」
 カノンは全身から激しい気を出していた。
「いにしえの話がしたいなら、彼が母の胎内に居る時、ジークフリートと名づけたのは私です、でも、それはこの人ではない、名づけたのも今の私ではない。 貴女に忘れ薬を飲まされて、そのときの私を忘れたのもこの人ではない、今の貴女はブルグンドの姫クリエムヒルドではなく、ゴジャッペーの巫女、カノン・ゴットバウム・ゾンネブルーメという男を渡り歩く化け物です」
 ルナの声は静かだった。

「前世で、貴女は妻のあたしからジークフリートを奪うために殺させた」
「前世にしがみつく哀れな人。そのときですら貴女は彼の妻ではなかった。愛人として惹きつけていただけ。彼の妻は私です。彼は私と永遠の契りを交わしました、あなたと出会うずっと前に」
 カノンは不意に悟った、巫女としての箔をつけるため、また男を手中にするために造り上げた、出任せに語っていた自分の前世の譚が実は本当であったこと、そのときジークフリートの本当の妻が誰であったのか?
ルナの緑色の瞳がまっすぐにカノンを見つめる。

「死の時を迎え、彼は流れ出た血と共に忘れ薬を流し、私を思い出しました」
ルナの声は厳かでさえあった。
「それが彼の魂への歯型となり、生まれ変わる度に私を探してくれます、永久(とわ)の愛とは、愛しさを決して忘れないこと」
暖炉で薪ががさりと崩れた。

「前世というのは、パピルスに描いて積んで有るのさ、見たいときにいつでも見られるけれど、今の俺たちではない、そして人は今にしか生きられない、生きていない」
ロッソが嘆息しながら言った、暖炉の炎がごぉと音を立てる。

「どうして赤い竜が出来たのか、ヒルダが調べました、私のところへあがった報告を全て検討すれば、クロイツェラー以来、巫女さまが私の夫にどう接してきたのかも、全てわかっています、皇帝、兄たち、諸々の男たちとどう接したのかも、これ以上何をなさりたいですか?」

 ルナの声は低く、穏やかで哀しげだった。カノンは大きく目を見開きロッソを見つめた、ロッソが見つめ返す、カノンが目をそらし、ルナを見る、ルナは穏やかに微笑んだ。カノンは踵を返すとスタスタと部屋を出て行った。

「酒にしようか?」
 ロッソが嘆息しながら言う
「あら、和睦の話は?」
 ルナが問う。

「顔ぶれを見ろよ、シヴァとクロノスの身内だけだぜ、後は姉上の身内、大王の下手人がわかったのだから戦争もないでしょう」
 ロッソが笑う。
「そうね」
 ルナがベルに指示をした。
「私は命の水をお湯で割ったのが飲みたい」
 イシュタルがリクエストをだし、ウィスキーとしゅんしゅん言うサモワールが届いた。
 カップに熱い湯を入れて、ウィスキーを注いで行く、暖かく優しい香りが部屋に立ち込めカップを両手で包むようにして口へ運ぶ、熱いウィスキーが喉を通るとき、身体がほわっとあったまり、イシュタルは寒かったのだと実感した。皆で暖かい酒を飲み、心も少し温まった気がする。

 カノンの話を聞いていて自分も同じ事をしていたと、イシュタルは思う。自分は武術と戦略が使え、カノンは魔法が使えた、カノンは前世とやらの過去、自分は結婚式前にルナから、ロッソをほんの少し掠め取ったそれだけの違いだ。 ロッソは必ずルナに戻る

「ラハブさまは?」
 ルナが聞いてきた。
「ストーブのある本営のゲルに居るから平気」
「よかった、よければ中へ連れてくれば宜しいのに」
「さっきまで戦闘状態で対峙していた相手のところへ世継ぎを置けないわ、兵が納得しないもの」
「それはそうね」
 ロッソはぼんやりと2人の遣り取りを見ている、グンターとハーゲンは黙って酒を飲んでいる。
 ロッソはジョナを呼んで、千人隊の隊長十人を呼ぶように頼んだ。間もなく隊長たちが入ってきた、それぞれにカップが行き渡る。
「我が窮地に駆けつけ、力をくれた朋よ汝らと争わずに済んだことを喜んでいる」
 ロッソがバリトンで言った、乾杯をした。

 雪原には竜の死骸が転がって、そのままになっていると報告された。
「魔法が解けないのか、よほどカノンが好きだったんだな」
 ロッソが呟いた。
「罪な女ね」
 ルナがほんの少し眉をひそめた
「他に手段を知らない哀れな女かもしれないわ」
 イシュタルがホットウィスキーをこくりと飲みながら言った。

「神皇区の宿や空き部屋を全部使ってくれ、飲み食いは俺のつけで良い、アッチラスヘ帰るのは年明けでもよかろう、大王も許してくれるさ」
 ロッソが言うとアッチラスたちから歓声が上がった。ドアを開けてイノシシ武者が覗いていた。
「あぁ、おまえたちの飲み食いも俺が持つよ」
 ドアの向こうでも歓声が沸く。
「広間へ行こうぜ」
 ロッソがカップを持って立ち上がると皆が習った。広間にはロマーナ式の手の掛かる甲冑をつけたシヴァ、クロノスの隊長たちが勢ぞろいしていた。
「兵たちは門の中へ入れてやれ、同じ飲み物を振舞って、アッチラスの衆は神皇区までお送りして、あっちで一緒に飲むものは同道してよし、ただし」
「飲むならはずせですね」
 隊長の一人が腰の剣を叩いた。
「その通り、アッチラスの衆にも守っていただいて」
「承知」
「俺、当分小遣いなしだぜ」
 ロッソがぼやいた
「私のを廻して差し上げます、私の所領で収穫できた葡萄の代金が入りましたから」
「ルナ、ルナ愛しているよ」
ルナが言うとロッソが小躍りして喜んだ。
「お小遣いで愛しているの?」
「お小遣いでも愛している」
「もぅ、ばか」
「殿様ぁルナさま あついよぉ」
皆に冷やかされて、ルナは頬を染めた、ロッソに抱きしめられる、アッチラスたちからも、ひゅうひゅうと冷やかされた。

 
 雪原でがぁがぁと姦しくカラスが群れで何かをしているのが聞こえる。
「竜がゾイテルに戻ったか?」
 気を読んでロッソが呟く、ゾイテルの遺体から魔法が離れ、人の骸に戻り、食い物としてカラスに啄ばまれているだろう。
「哀れだな」
 ロッソはウィスキーを乾すと、盛り上がっている皆に気づかれない様そっと部屋を出た。
「どうするの?」
 ロッソが目配せをするのでイシュタルが続く、ルナも一緒に外へ出た。皆、帯剣して納屋から橇を引き出しスコップを放り込んだ。

 ハーゲンがグンターに目配せをした、門を出て白い雪原に黒い塊カラスが固まりになるほど群がっている。
 羽ばたき骸の目を突付くもの、分断された胴に黒い頭を突っ込むもの紐のような内臓を大きなくちばしに咥え引っ張り出す。
 流れてきた雲、雷光、稲妻、ごろごろと空が啼く。雲が流れ瘴気に覆われる。
 ロッソが近づくとカラスたちは一斉に飛び立つ、かっと見開いたゾイテルの目、たなごころで目蓋を閉じてやった。
「シヴァ王よ、カラスがなんと啼いていたか、わかるか」
 ハーゲンの声
「俺は神話のジークフリートじゃないんだ、鳥の言葉はわからん」
 ロッソは背中で答えた
「教えてやろう、恨みを晴らせと啼いていたのだ」
 左足を雪に踏み込みハーゲンの手からグングニルの槍が飛んだ、ゾイテルの骸にしゃがみこんでいたロッソの背中に吸い込まれたかに見えた、グラムが抜き放たれ槍を払った。
音叉のような音を立ててグラムが半ばから折れる、槍とグラムの切っ先は雪の上に突き刺さった。

 瘴気がイシュタルを襲った、手に入らぬ男。 私を女にして忘れている、想いに何一つ答えず妻と睦まじくしている。私より側室を大切にしている。私、私の居場所は?見えない手にきゅうっと心を掴まれた、我がものにならぬなら許すまじ・・・。

 ロッソは槍を右手に握り立ち上がった、肘から上が水平に振れた、素晴らしいスピードで空を切り飛んでいく、槍はハーゲンの首に突き刺さり仰向けに倒した。
 更に勢い余ってハーゲンを固い雪 に縫い付けた、グンターが殺気を発しルナに斬りかかった、ルナが上半身を反らし刃風を避ける、起き上がるときには左手にバルムンク、そのまま腰が綺麗に回り、グンターの胴を抜く、ルナの小指にきゅっと力が入った、雪が赤く染まりルナの兄が仰向けに倒れる。

 それを見て緊張していたロッソの表情が緩んだ、ルナを見つめて、一瞬気を抜いた。 
 真に優しげな表情。イシュタルは自分でも判らぬ焦燥と怒りに抜刀した、思いにつかまれ揺り動かされる心、どうにもならない衝動、右足を踏み込み、左のふくらはぎに力が入る、ロッソの白い軍装に切っ先を突き入れた、固いバターにナイフを入れるように、ぬるっと刀が入って行く、左胸の乳の下を捉え肩甲骨へ切っ先が出た。一瞬仰け反ったロッソの顎が落ちてきてイシュタルの頭に乗っている、苦しそうな呼吸が髪にかかる。

「汝が初めての男だった、なのに私を選ばない、覚えても居ない」
 歯を食いしばって白い軍装の胸に呟いた。
「忘れるわけが無い、チャドルの下の綺麗な顔と私を愛しんでくれた可愛い女」
 ロッソの声がかすれている喋るたびに口から血が噴出す。

「どうして?」
 この男はわかっていて、とぼけていた私の為に・・・?
私はこの男を愛していた、そばに居るだけで良いと役に立つだけで嬉しいと、そのようなものでありたいと、行動してきた。それを誇れた。
 なのに、この怒りは私の物ではない、人を想い、受け入れられない想いが、その怒りがシンクロして私を操った。
 一番大切なものを毀してしまった、ロッソに注いできた想いをロッソが美しいと言ってくれた刀で貫いた・・・。

 イシュタルから瘴気が抜け自らの行いに驚いて刀を引いた、刀身を握っていたロッソの指がばらばらと雪の上に落ちた、左の親指を残して指が散らばる。
「なぜ?」
 ロッソとイシュタルを見ていた、ルナの唇から呟きがこぼれる、空気が凍った、見たものが信じられない。次 の瞬間雪を蹴り疾風のように駆けた、凍った表面を割り、足音がざくざくと響く、左にロッソの佩刀バルムンクを靡かせ、木偶のように立ち尽くしているイシュタルに剣を振り下ろす。
きぃんと音叉の音がした、ロッソが折れたグラムでバルムンクを受けている。
「何故?」
 再びルナの唇から同じ言葉が出た。ロッソは首を横に振っている。
「魔法は解けたよ、生きているほうが辛いさ」
 右の頬で笑うとロッソの手からグラムがすとんと雪に落ちた、その後ロッソが物のようにすとんっと膝を落とし、仰向けに倒れた。

 イシュタルは血刀を雪に落とし次に膝を落とした。 雪に膝をついたまま、両手をだらりと下げ、倒れたロッソを見つめている、眦からぽろりぽろりと涙が零れる、雪の中にロッソの指が沈みかけていた、切り口から赤い血を流す指。ルナは雪に膝をつき4本全てを懸命に拾った。

 ロッソの白い軍装の胸がバラのように赤く染まっている、命の火が消えかけていた。

「ロッソ」
 ルナがロッソの傍らに膝をつく。
「ルナが産んでくれた子、抱きたかったな」
 喋るたびにごぼごぼと胸が鳴り血を吐く、顔はかすかに笑っている。
「死なないで」
「無理言うなよ」
 苦しそうに笑う

「どうすればよいの?」
「ごめんな」
「愛しているわ」
「愛しているルナ」
 唇からこぼれた最後の言葉、ルナはロッソの唇を吸った、血の味がした。ロッソの胸が大きく膨らみ次に大きく息を吐いた。 城門から女の悲鳴が聞こえた。

「ハイネス」
 叫びながら、ヒルダが城門を飛び出してきた、駆け続け、何度も転びそうになりながら辿り付いた、ロッソは既に事切れている。
「ひどい、私にお別れも言わせてくれないなんて」
ヒルダがロッソに縋って泣き叫んだ。

お邪魔でなければ、サポートをお願いします。 本日はおいでいただき、誠にありがとうございます。