玉藻前・殺生石割れた 6
晴明に相馬小次郎将門から都へ上るように使いが来た。
「検非違使か」
晴明は使いの書状を見て笑った、警備に使う馬を持ってこいと言うことだが、将門は宮廷の警備を任されているが手が足りないらしい、警備の真似ごとはかなわぬと晴明は思う。
国の北の地震に加え、西の九州で噴火が有り、巻き上げられた噴煙に陽が射さない。前年来の悪天変続きで、西国まで大飢饉と言う禍に覆われている。
都では死骸が道端にあふれ、餓死する者は数知れない。葬るのが間に合わず、代々白鷗ゆかりの寺の僧が死者の額に「阿」の字を書いて死者の冥福を祈って回った。
天下大変な飢饉であり、人民の多数が死んだ。わずかに生き残った者も土地を捨てて郷を出てここかしこに行き、あるいは妻子を忘れて山野に流浪し、巷にさまよい憂いの声が耳に付くほどである。
更に前年の夏から始まった疫病が、放置された死骸のせいか流行し、飢え死にしなかった者も病で死んでいった。
都では道々に死人が多く倒れており、馬車、牛車も死人の上を通る有様である。遺体の臭いが都中に満ちて、道を行く人も大変だと記されていた。
そんなことを知らない由良は晴明の側で甲斐甲斐しく働き楽しく暮らす。
晴明の館は質素だが良く考え抜かれて造られていて、使いやすい。それだけではなく、何かにふわりと包まれるようで心地良い。
炊き出しの手伝いでここを訪れて感じたから、瑞穂のならわしに逆らい、由良は自らの想いで、ここに住むことにした。
父母は反対したが、一時も晴明から離れたくないし、晴明の館は婚礼用の月の館の隣にある小高い山の上にあり、吹き渡る風の爽やかさがすっかり気に入っていた。
秋葉の原の実家まで二里の距離、歩いても一刻だ。
晴明の事は由良が世話をすることにしたが万事失敗だらけの由良は粗相が多い。また、背の高い秋津に合わせて作られた収納棚に収められた道具、調理器具を、由良は踏み台なしにとることが出来ない。
そんな時、気の利く如月か葉月がどこからともなく現れ、さりげなく優しく補佐をしてくれた。
元々坂東は北と西から栄え、晴明たちの土地は都の瑞穂には過疎地と思われている、晴明が地頭を勤めるのは江の戸(えのへ)と呼ばれる入り江の近い所で、川が入り組む湿地に築山を崩して均している。 井戸を掘れば塩水が上がるので、西へ行き川の上流から管を通した水を引いている。 館からは千代田、日比谷入り江の白波が見える。
西には不二と呼ばれる霊峰を望み、その手前は小さな山がうねうねと連なり、二つの活発な火山の火山灰土のせいで畑作には向くが、稲作は難しい。
江の戸に湊を作り、船を浮かべて交易をして生計を立ててきたのが晴明の風間一族だ。
竈で薪が赤々と燃え、蒸篭でイモを蒸かしている。その下の蒸篭では豆。
晴明の治める里では餓死者が一人も居ない。カンナギ達は天の気も良く読むので、気候を予め読み、その年の作物を決めている。余分な分を造ろうとしないから、大豊作にはならないが、不作と言う物と無縁だ。自分達が食べる分は何とかなる。
坂東の北で米が豊作の時は領主将門の差配で手に入れた米の配分があるし、馬や織物で、瑞穂の百姓から求めて来るが、不作の時は、この国では余り広がっていない馬鈴薯や甘薯を食べる。
由良は蒸かしあがったイモと豆を皿に乗せ、干し肉と、伝来の茶を煮出したものと一緒に居間に運ぶ。
晴明は木簡を読んでいたが、由良が来ると木簡を片付け、食卓を二つ、敷き畳の上に並べた。由良も用の無いときは晴明の木簡を読み、書を習い、学んだ。
「お食事ですよ」
由良は女らしく精一杯優しく言った。
「ありがとう」
夕餉は明るいうちに始め、日が落ちたら早々に眠る。
氷室から出してきた撹拌した牛の乳に塩を入れたものをイモに着けて、燻した干し肉と一緒に食す。塩を振った黄金色のイモにほんのり甘い牛の乳の脂。
「美味い」
箸につままれた芋に晴明のきれいな歯型が着いた。
「ほんとうにおいしい、晴明、もっと喰え」
口調が戻り炊き出しの時と同じ由良の物言いに晴明が噴出し、二人は笑い合う。
「婚礼の時由良の母者はとまどうておったが、瑞穂は、男女で食事をする事がほとんどないのは、食事は褥より恥ずかしい事だと言う、誠か?」
「何故だろう、我が家も父と母は別じゃった」
「分からん、男は敷き畳の上で喰い、女は板の間で喰うらしいの」
「ほんに、こうして一緒に食べたほうが美味しいのに」
「さもありなん、顔を見ながら同じものを食らえば、気を同じうし易い」
「私も瑞穂のままであれば晴明と食を共に出来ず板の間か」
由良は食卓を見ながらつぶやいた。
「瑞穂だ秋津だと差別するだけでは足りず、男女でも上下をつけねば気が済まぬのだろう」
「何故だろう」
「自分が偉い事にしておかないと不安だからだ、どんな偉い男も女から生まれ、男だから賢いわけではない、女が愚かなわけではない」
由良は晴明のそんな考え方が好きだ。
「来年は米を食えるかな、あれは瑞穂の持ってきた良いものだ、塩気のある惣菜には、あのほんのりした甘みがたまらん、塩味の魚とよく合う」
食いしん坊の晴明は芋を食べながら米に思いを馳せている。
「作柄が良くなると良いの、でも、都では何も食べられず死者が出ているそうな」
「小次郎からも知らせてきた、気の毒な」
「このイモを分けてあげる事は出来ないのかな」
由良は黄金色の脂が沁み込んで良い香りのする芋を見た。
「都の貴人は、こうであらねばが多いからな、イモを勧めたら、気を悪くして毒だと言うに決まっている」
「さもありなん」
「米がなければ民は荒れ地でも採れる稗粟だ、蕎麦ガキを食えれば良い方ではないか、まあ、瑞穂の方々は滋養が良くないから背も低く、寒いところから来て、頭が冷えないように顔がでかい、走らないから脚が短い、白鷗家は面白い」
「瑞穂の血を引く、私の様にか」
由良は箸を持つ自分の子供のような手を見た。
「由良は可愛いから良いのだ、全体にちっこい」
晴明は江の戸の方言で言った。
「ちっこくて悪かった、晴明みたいに六尺なんてない」
「これ、俺がこれだけ惚れているのに、なんの不服がある」
気づくと晴明の膝に乗せられ、由良の箸から芋がころりと落ちる、抱きしめられていた。頭を大きな胸に預けると安心できた。
後刻、同じように湯殿の中で晴明に後ろから抱きしめられた。
頭を胸に預ける、湯の中で髪がゆらゆらと揺れているだろう、私を可愛く愛しいと思ってくれているだろうか、由良が振り返り見上げると、晴明の優しい顔が由良を見ていた。
カンナギ達は良く風呂に入る、由良も晴明も風呂が大好きだ。
「身体をきれいにして、臭いを消しておかないと獲物に気取られるでの」
晴明は笑う。
晴明は領内のあちらこちらから噴き出ている温泉を熟知していて、大きな桶で運ばせる。更に石鹸を使って身体も髪も洗う。
牛の脂や胡麻の脂に海藻を炭にした灰汁を加え、よく撹拌して石鹸という物を造り、身体を清潔にしている。
これで疫病がかなり防げるし、石鹸で傷口を洗う事で化膿を防げる。
晴明に習って由良は石鹸自体を工夫して、身体を洗う物と髪を洗う物では使う脂も練り込んでいるものを変えた。
身体を洗う石鹸で髪を洗うとぱさぱさになるので、由良は石鹸を造る時にそれぞれ色を着ける様にしている。
髪を洗う石鹸は橙色、身体を洗う石鹸は生のままで灰色だ。香を粉にして石鹸に練り込むと、洗った身体が香を焚きこめたようになる。それもこれも晴明が書や木簡で知識を仕入れ教えてくれた事だ。
身体に石鹸を塗り、布でこすると泡がたつ、湯船から出て順番に相手の背に石鹸を塗り布で擦り合う。夫婦の楽しいひと時だ。
晴明の背中は大きい、由良は台に座った晴明の背中の背骨から左を三分割右も三分割にして上から下へごしごしこする。
全体を洗うのにかなり時間がかかり、息が上がっている。
桶で湯を組み背中に掛けると晴明が微笑み、由良を抱き上げて一度湯船に入る、まるで赤子を抱くように横抱きにし、顎の下に手を置いて、耳に湯が入らないようにする。
「私はややこじゃない」
晴明の腕から逃げようともがいたが、更に強く抱きしめられた、力が抜ける。
「あはは、稽古させてもらっている」
そう言いながら唇が近づいてくる。
「んっ、ややこが出来たら晴明が風呂へ入れるのか」
唇を離しながら由良は問うた、瑞穂の男は子育てに触れようともしない。
「それも楽しいと思っている」
晴明は朗らかに笑う。
「やや子を風呂に入れる稽古を私でとな、人をなんだと思っておいでだ」
「恋女房殿だ」
「なら、宜しい」
由良は笑う。
「恋女房殿と暫く、離れねばならぬゆえ、色々な角度で、可愛らしいかんばせを見ておきたいのだ」
「離れねばならぬって?」
由良は目を吊り上げた。
「馬を都へ治めに行かねばならぬ、都へ行っている小次郎殿より使いが来た」
「税か?」
「そうだ、馬の小次郎と呼ばれている平将門殿だからな」
「私を置いていくのか」
「すまぬ」
「どのくらい留守をする?」
「まあ、二十日から一月かな」
「どうして、そんなに」
そんなに長く晴明と離れるのは耐え難かった。
「都まで百四十里有る、一日十五から二十里が良い所だろう、都で馬を収め、所要を済ませてから、摂津の湊まで出て、船に乗れば行きの半分で、江戸の港まで帰ってこられる」
「晴明」
由良は咎めるように叫んだ。
「ダメじゃ、由良」
晴明が制した。
「ダメじゃない、私も連れて行け」
由良が跳ね返す。
「物見遊山に行くのではないのだぞ」
晴明の声は優しい。
「なれば、尚更じゃ、晴明を心配して留守番しているのは嫌じゃ」
「飢饉故、道中物騒じゃ、都では流行り病も心配じゃ」
「これから秋を越えて寒くなる、冬の間は流行り病でもあるまい」
由良は強く言った。
「由良」
「行く、絶対行く」
由良は頑是ない子供の様に頑張った。
「連れて行ってくれぬと、晴明が戻っても口をきかん」
晴明は苦笑いをした。
「口をきいてくれぬのは困る。わかった、夫婦(めおと)に成って何処へも連れて行っておらぬゆえ、都へ連れて行こう」
晴明がしぶしぶ折れる。喜んだ由良は湯船から飛び上がったつもりが、足を滑らせ仰向けに転びそうになった、晴明の大きな手が背中と頭を支えた。
「ほれ、おまえの番じゃ」
晴明が由良を台に座らせ背中に石鹸を塗った、鎖骨から頸にかけての所を左手で押さえられ、晴明の大きな手に握られた手拭いで上下二往復で由良の背中は清潔になった。
「終わったぞ」
晴明が由良の左肩に唇を着けた。
「くすぐったい」
由良が体をひねった、小さな左の拳が晴明のこめかみに当たる、晴明がどうっと板張りの洗い場にのめった。
「えっえっ?」
由良は何が起きたか分らず、晴明を揺り動かした。
「はる、はる、どうしたの」
晴明は息をしていない。振った拳の当たり所が余程悪かったのか、由良は泣きそうになった。
「はる、晴明殿」
由良が泣き声で言うと、晴明の身体が揺れだした、笑い声をあげる。
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