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宮殿からほど近い道長の館、道長と康成が酒を酌み交わしていた。
「首尾よう運んでおるの、女童のような玉藻を九尾と言う妖しにしてしまうとは」

道長は上機嫌で酒の入ったかわらけを空ける。
「晴明めの術の裏を掻くは苦労でございましたが」

康成は姿勢正しく座り酒を楽しんでいる。
「やはり、坂東に戻るに際し、術を掛けて行ったか」

「主上の睦みの気が式神に向き、逸らされているを、玉藻に戻しました」
康成の目が蒼く光る。

「主上が睦まれていたのは、式神だったか」
「御意」

「放っておいたら、如何なった」
「おそらく、腎虚で亡くなられたかと」

「恐ろしいのぉ、カンナギの術は」
「なれど、主上はそれはそれは桃源の中に遊ばれて、お隠れに成られたことでしょう」

「では、わしは主上の望みを邪魔してしまったか」
 関白は楽しげに言う。

「いえ、あのままでは玉藻に思いを残し、怨霊となり関白様の政もうまく運ばなかったでしょう」
「ゆえに康成の術で式を抑え、弱っている主上の身体に玉藻への欲望の気を送り込んだ」

「はい」
「なれば、わしは忠臣じゃの、主上の想いを遂げさせ、曲がったものを良き政へ戻す道筋をつけた」

「玉藻を乗り殺したとき、主上の想いも果てられるでしょう」
「ついでに命も果てると」

関白は口の端をつりあげV字にして笑った。  

「貧しき者を助けるは政なれど、荘園を召し上げられるのは堪らぬ、儀礼典礼が行われなければ、橘も中臣も潤わぬ、白鷗は大人しく祭られる神でなければの、神をまつり、民を治めるから政(まつりごと)なのじゃ」

 儀礼典礼の時、重臣たちは賂を受け取るのがしきたりだった。

「次の主上は、関白様のお孫様」
「されば、約定の通り、康成には坂東の南を遣わすゆえ。して、乗り殺すまでに、いかほどの時間が必要じゃ」

「さて、半年、または一年」
「そのように長いのか」

「晴明の気が玉藻を守っておりますゆえ、玉藻と睦む主上も命を長らえます」
「なんとかならぬか」

「なんとか致しましょう」
康成の目が蒼く光った。 

宮殿では連日評定が開かれた。

「あれは妲己と言う、唐天竺の王朝に禍を為した九尾の狐、狐の毛色を髪の色としております」
「玉藻が妖しならば、早々に退治せねば」

「なれど、玉藻のおかげで主上は都病より快癒され、わしらも四足を食せるようになった、粟稗を喰わされたのは、閉口じゃったが」
「稗粟ともうしておるが、狐のする事じゃ、何を喰わされていたかわからん」

「ほれ見ろ、やはり邪気じゃ、狐どもが祟りをなしておるのじゃ」
関白と左大臣が話し合って、関白が白鷗を説得に出向いた。 

「嫌じゃ」
白い寝巻のままの白鷗は激しくかぶりを振った、玉藻は賄い所へ行っている。

「玉藻を遠ざけるなどできようはずがない」
「なれど、玉藻は狐にございます、唐天竺渡りの妲己と言う妖狐、そしてもともとは秋津の妻女」

「そのようなことは関係ない、証拠に朕の都病を治したではないか」
「されば、申し上げにくき事なれど、閨にて主上の精を吸っているのでは」

「いや、あれは」
 女官との荒淫が原因だとは言いづらかった、玉藻に拒まれたので、式神との淫卑な行為に溺れたとは知られたくなかった。

「はて、傾国の魔女に誑かされましたか」
やっと玉藻と閨を共に出来たのに二度と手放す気は無い白鷗は黙った、玉藻との時は珠玉だ。

「では、主上は女狐めに執り殺されても構わぬと」
 関白は扇で口元を隠しながら言った。

「玉藻は瑞穂じゃ」
白鷗は必死に言った。

「瑞穂の石室と言う家の前に捨てられた、捨て子でございます」
 扇は畳まれ関白の右膝を指す。

「あのようにたおやかで、美しくかわいい女が狐のはずがない」
「では、土御門の技によって主上をお守りする事あたわず」

 扇が関白の右膝にぴしりと音を立てた。

「なんと」
土御門と聞いて白鷗はぞっとした顔になった。爾来、何度も白鷗の王朝は土御門に助けられている、白鷗自身、康成の護符で妖しを遠ざけたこともある。

「康成が女狐と申しておるか」
「妲己と言う九尾にございます」

関白は頷いた。白鷗は気弱そうに何度も頷き、致し方なく祭りを許可した。
関白は康成に泰山府君の祭りを命じた、また、康成に手配させ乱破素破を雇い入れ、祭りの時に玉藻の前を亡き者にするように命じた。半弓を使う根来の者が建物や塀のそこかしこに配置された。

「万一、玉藻を仕損じたときは」
関白が言うと、康成は頷いた。 

康成は玉藻の部屋へ行き、祭りの打ち合わせをした。
「それで、玉藻様には幣をとって頂きたいのです」

康成が言った。
「私のような卑しい者にそのような大役」

「いえ、この役は白鷗様に一番近しい方でないと務まりません」
「それでしたら、身分の低い私ではなく、妃様が」

「白鷗様の御所望です」
「畏まりました」

玉藻は渋々大役を受けた。

祭りは、にぎにぎしく執り行われることになった。御殿の中庭に祭壇が作られ、鐘太鼓の支度もされた。

中央に大きな護摩が焚かれ、周りを美しい織物で飾り立てた。

中庭を見下ろす部屋と縁には錦の召し物で着飾った関白、左・右両大臣家、その他大倭の国の重鎮達が祭りを見つめることになった。

康成が祝詞をあげ幣を振る、鐘太鼓の音に合わせ、大勢の女官たちに伴われた玉藻が門をくぐり宮殿の中庭に現れる。

玉藻はいつもとは違い、金糸銀糸の着物を着てえも言われぬ雰囲気を纏い、幣を両手に捧げしずしずと歩く、それは荘厳ですらあり、小さな玉藻の身体が大きく見えた。 

玉砂利の敷かれた護摩壇の前に進み、打ち合わせ通り護摩壇を挟んで康成と向き合う。

玉藻は康成に事前に言われた通りに幣を高く挙げた、樫の棒を振り上げ、振り下し左右に振る、棒の先に着いた紙で出来た幣がさらさらと鳴る。棒に針が仕込んであり、握った玉藻の右の小指を刺した。

思わず玉藻が幣を取り落す。
「幣を取り落した、やはり妖しぞ」

関白が叫ぶ。 

突如、鷲の尾を使った矢羽が風を切った、三方から矢が玉藻を目がけて飛ぶ、鏃が肉体に減り込む鈍い音、白鷗は顔をそむけ、女官や女御達の悲鳴が上がった。一本は玉藻の頭上を掠め地に突き刺さった。

白鷗が恐る恐る視線を戻すと、玉藻の足もとに身代わりになった二人の女官が胸と背に矢を突き立て、白い着物を赤く染めて倒れていた。
「葉月、如月」

玉藻は二人の女官が晴明の屋敷の葉月、如月が扮したものだと、今気づいた。

「曲者じゃ」

関白が大声で呼ばわる、武装した十人ばかりの兵が中庭に乱入し、太刀、薙刀を光らせ、玉藻に殺到する。
玉藻は頭を抱えてしゃがみこんだ、はる、晴明、心で晴明を呼んだ。

「動くな」

上のほうで男の声がした、誰もが一瞬凍りついた。風間晴明が見事な枝ぶりの松の上に立っていた。

「晴明」

 見上げる玉藻の顔がぱぁっと晴れた。
「斬れ、玉藻を斬れ」

関白が叫び、兵たちが反応した、小さな玉藻に太刀や長刀を振り上げる。護摩壇が爆ぜた、白く光る焔が立ち、真っ白な煙をもくもくと吹き出す。
「白鷗、こんなことのために玉藻を、預けたのではないぞ」

空から声がした。
「おお、見よ」

誰かが叫び扇で指すと玉藻の体が宙に浮かび、猫の様な姿勢で御殿の塀に飛んでいく、金色の髪が風になびき狐の尾のようだ。

「玉藻は狐だったのじゃ妖狐じゃ、妖しじゃ」
関白が大声で叫び、自分の声に本当かも知れないと思っていた。

晴明と玉藻に殺到しようとした根来の忍は伊賀の者に行く手を阻まれ、剣戟が始まった。
弓矢を良くする根来者は剣では伊賀者に遅れを取り、一人、また一人と倒れていく。

玉藻に向かって飛んだ矢は全て宙で何かに弾かれ、地に落ちた。塀の上に立った玉藻は振り返りもせず、塀の向こうに消えた。

玉藻の身代わりになった葉月と如月の死体が消えた、残っているのは鏃に貫かれた紙の人型。
「白鷗様」

関白の声が再び響いた、白鷗は御簾の向こうで首の左を三条の爪に裂かれ噴水のように血を吹上げ空を掴むように腕を差し出していた、金糸の畳に倒れ込んだ時、既に息絶えていた。
「白鷗様は妖狐に弑された」
関白が大声で皆に告げた。

 

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