玉藻前・殺生石割れた 11
また女中頭が呼びに来る、茶を持って白鷗の部屋へ行く。
「由良、共に茶を飲もう、干菓子も喰え」
高価で珍しい茶は余程の身分で無いと飲めない。
白鷗は由良を放そうとしない。由良は食後の茶につきあい、坂東の話や下々の話をする。やがて都に到着した折の都大路、裏の広場の光景を伝えた。
「餓え死ぬ者は、そのようか」
初めて聞かされる餓死者の話に白鷗は身を乗り出した。由良の真摯な言葉から、その悲惨さが心に沁みているようだ。
「朕は何をすれば良い」
「ご自分でお考えなされませ、もし今、目の前で由良がひもじい思いをしていたら、如何なさいます?」
「食べ物を由良に与えるよう、命じる」
「なれば、そのようになさいませ、御上の民も由良も同じ民にございます」
「布施米をすれば良いか」
「それは良きお考え、いっそのこと、炊き出しを度々行われればよろしいかと思います、また、病に伏せるものに、薬師を」
「わかった、道長に命じよう」
「それをなさる為に、関白様が民の租庸調を増やす事があられませぬよう、今は飢饉で、どこの国も厳しき折」
「費用はどのようにすれば良いか?」
「儀典費等を削られては如何かと存じます」
由良は白鷗の傍に侍り儀典の手伝いをするようになり、その馬鹿馬鹿しさを目の当たりにしていた。
「それでは王家としての体面が」
「儀典費を削って布施をなさっていることを、民に知ろしめれば、体面が保たれます、それどころか、民を思う王として栄誉なことに存じます、また、民もそのように思い喜ぶことでございましょう」
「なるほど」
少し後押しするだけで、白鷗は面白いように動いた、そして意外に性急で強引だった。
儀典費を削るだけではなく、関白、左右大臣家の隠している荘園から租庸調を取ることまでして見せた。
隠し荘園の件は才蔵から聞いて由良が耳打ちをした。
白鷗は中臣、橘両家が何度となく苦情を呈しても、どこ吹く風で布施の炊き出しを続け、費用を両家の荘園に申し付けた。
また、由良の進言で無料の養生所も作り、都やその周辺の病人、けが人を受け入れた。
ますます物入りになれば、それだけ、カンナギの調べてきた上級貴族の隠し財産を次々と狙い射ちにして財源とした。
おかげで、白鷗と王家の評判は都から徐々に上昇し、それにつれて内裏での白鷗の発言力が増して来るが、上級貴族たちの間で由良への怨念が生まれ育ちつつあった。
布施米をするたび、由良は坂東でした様に先頭に立った。
また養生所ができると、出かけて行って、薬師と相談し、病人、怪我人の滋養になるものを作り供することをし、養生所で老人や病人の背中を石鹸を使い洗うことをした。
衛生状態を良くすることで、病が治癒するものも居る。
また、坂東の国許から芋の苗を取り寄せ、路地やわずかな土地、荒れた土地でもできるそれの栽培をさせた。
おかげで冬を越し春になると、都では飢え死にするものが目に見えて減った。
女の童のような小さな身体で精力的に優しく強い由良は、都人の人気を占めるようになり、またその美しさと暗がりでは光る着物を着ていた為、官位は無いのに御前と呼ばれるようになった。
更に、晴明の書庫を読みつくした由良は、すっかり博識になっており、白鷗の酒宴で給仕をしているときに、白鷗や貴族の様々な問いに優しく答えて見せ、また関白や上級貴族、三浦の介、上総の介にけしかけられた学者どもが恥をかかそうとする質問をいとも容易く、わかりやすく答えて見せた。
詩歌管弦の遊びの折も、白鷗に求められて御簾の内に座り、投げかけられた和歌にすらすら答えた。
その時、一陣の風が御殿の灯りをすべて吹き消したが、由良の身体だけ蒼白く光っていた、馥郁たる香りと共に、玉のように丸く明るく、ほんのり光る。光は色の薄い由良の髪を金色に染めた。
それを見た白鷗は大層不思議がるとともに喜び、由良に玉藻と言う名を送り、以来由良は玉藻の前と呼ばれるようになった。
「玉藻の前か、才蔵が風を起こして灯りを消せと言うから何かと思った」
賄い所で晴明が笑う。由良は着物の袖を水平に伸ばし、暗がりで光る柄を見ている。
「才蔵悪戯が過ぎる」
晴明は才蔵を見つめて笑う。
「なあに、機を織る時に蓄光の糸を使っただけじゃ」
才蔵も悪戯っぽく笑う。
「伊賀の狐火に使う糸だな」
「面白い趣向だろう」
それは伊賀の忍び技で、相手の注意を引くために鬼火や狐火に見せるためのホタルの尻と同じ成分の物を織り込んだ服部秘伝の布だった。香りは和希が調合した匂い袋で、風に良く乗る香りを使っている。
「白鷗が由良の言う事を聴くように、いろいろ細工するのはよいが」
晴明は心配そうに嘆息した。
そのころ由良は、たびたび危ない目に遭った。
白鷗の部屋から下がり廊下を歩いていると、妃の女中が三人向こうからやって来た、由良が廊下を庭側へ避けると、三人は幅寄せをしてきて、身体の小さな由良に圧力を掛けて来た。更に大柄な一人が由良の脇を肘で突く。
小柄な由良は堪らず、欄干に膝のあたりを引っ掛けて庭へ大きく傾いた。
「きゃあっ」
由良の悲鳴に女中が笑う。
「毛色の違う狐めが」
ふわふわと落ちながら、そんな声を聴いた、由良は真っ逆さまに廊下から落下し、頭上で笑い声がする、地面に叩きつけられると目をつぶった時、ふわりと抱きとめられた。
目を開けると、晴明の顔が青空を背景に笑っていた。
「大丈夫か」
「あいっ」
由良は微笑んで抱き留められた晴明の首に腕をかけた。
女中たちは決まり悪そうにそそくさと廊下を去って行った。
夜、あまり飲めない酒を白鷗に勧められ、疲労に体がだるく、晴明に断わり、先に褥に入ろうとすると、瘴気を感じた。
掛物をめくろうとすると、声がかかった。
「めくるな」
晴明が由良を後ろから抱え、そっとあとずらせ、掛物を取る、太い縄のようなものが、驚くほどの勢いで飛び上がった。それを宙で掴むと、ほいっと才蔵に渡す。
「もう大丈夫」
才蔵の手が三角形の蛇の頭をつかみ、腕に蛇の尾が絡み付いている。
「南の島の蛇じゃ、毒の量が多い、噛まれたら助からぬ」
才蔵は蛇を持って部屋を出て行った。
次の朝、由良は朝餉の支度をするため、賄所に行こうと与えられた部屋から草履を履いた。
歩こうとすると和希が肩を押さえ止めた。
足元に屈みこむと由良の左の草履を取り、何やら指でつまんだ、それは細い縫い針で、知らずに歩いていたら足に突き刺さる所だった。
「由良様、気をつけてください」
「和希様、かたじけのうございます」
由良は頭を下げた。
勝手では晴明と才蔵が朝餉を作っている。
準備が整い、由良は湯漬け用の湯を窯から汲もうと、よろめきながら木の重たい蓋を取った。
強い力で引かれ晴明が由良を後ろから抱きとる。
重い木の蓋が土間に落ちる、窯から間欠泉の様に熱湯が噴き上がり、由良の立っていたあたりを黒く濡らしていた。
暫くすると、何時の間に勝手を出たのか才蔵が和希を伴い戻って来た。
「晴明、天井裏へ、俺は霧隠れで部屋に入る」
「わかった」
いつもの女中頭がやって来て勝手を見まわした。
「殿御、おふたりは?」
「薬草を摘みに出ております」
和希が答えると女中頭は由良に白鷗の給仕を伝え、和希と三人で膳を運ぶ。白鷗の部屋の天井裏に晴明が忍び、才蔵は人の気から外れ、意識の外に在る霧隠れと言う術で部屋の隅に座っていた。
由良が給仕をすると白鷗は上機嫌で朝餉を平らげ、箸を置いた。
「由良、そなたにはいろいろと教えられている」
不意に白鷗が言う。
「御上、いかがなさいました」
「由良と話していて気付いたのじゃ、朕は今まで間違えていたようだ、民の事など考えた事もなかった」
「お気づきになられたは、喜ばしき事」
「中臣や橘がまつりごとを致し、税をとれれば国が回ると思っておった、朕の役目は後継ぎを作る事と思っておった」
「あい」
「この頃は布施米をして民が喜ぶことが、我が喜びとなった」
白鷗は本当にうれしそうに笑った。
「それはようございました」
由良はほっとした思いになった。
「由良のおかげじゃ、朕のそばにいて、ずっと教えてくれぬか」
「私は約定通り、御上の都病が治れば坂東に戻りまする、坂東にてすることがあります」
「由良に帰られては、朕は恋の病になりそうじゃ」
白鷗の眼差しはいつになく真摯だった。
「おたわむれを」
「由良、女御になり、そばに座(わ)しておくれ」
「御上、そは叶わぬ事、私は晴明の妻にございます」
「朕は自ら政(まつりごと)をしたい。どのように政を為せば、由良が言うように民が苦しまずに済むか、共に在って考えてほしいのじゃ」
白鷗は膳の上に身体を乗り出さんばかりだった。
「さしでがましいとは存じますが」
和希が口を挟んだ。
「由良様の仰るように、晴明様と夫婦なれば一存にて決めかねるかと」
「晴明には朕からも頼む故」
白鷗は性急な口調で言った。
「御上、おなごを急かせるは野暮にござりまする」
和希に言われ、白鷗は我に帰る。
「あい分かった、晴明と相談してたもれ」
三人により膳は下げられ、穏行で身を隠している才蔵は白鷗の表情を観察していた。
「御上、それほど御執心ならば、褥へ呼び想いを遂げれば宜しいではありませぬか」
後刻、白鷗の私室に関白が居た。妃筆頭の安礼門院は関白の娘だ。
「だが晴明が黙っていまい」
白鷗の眉間にしわが刻まれている、カンナギどもは、どことなく恐ろしい。
「なに、あやつ所詮は秋津、御上の御威光をもってすれば、女房も差し出すことでありましょう」
「朕には、そうは思えぬが」
「逆らうようならば、守護に命じさせ、それでも利かねば坂東に兵を差し向け滅ぼすまで、坂東の守護は降家した相馬小次郎将門なれば、その地頭を操るは、たやすき事」
道長は傲慢に言い放つ。
「そのような事をして、由良が朕を嫌わぬか」
白鷗は気弱そうに言った。
「何、おなごなど抱いてしまえば諦めてしまうものにございます」
由良が宮殿内にあてがわれた長屋に戻ると土間に渋柿色の筒袖を着た小柄な男が転がっていた。
「この人は」
由良が問う。
「お湯を吹きこぼさせた者」
和希が言う。
「我等と同じカンナギだ、根来の者らしい、どこの忍びかは分からぬが、大方、関白に雇われているのであろう」
才蔵が言った。
「蛇つかいは別にいるらしいがの」
晴明がすっと立ち上がった。
「おっと、俺がやる」
才蔵が晴明を止めた。
「晴明様、恐ろしい顔をなさっていますから」
和希が笑った。尋問は才蔵夫婦がすることになった。
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