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だらだらと昨日のこと。

 最近、髪が伸びてきたからか、抜け毛があちこちに落ちている。一日に100本抜けるとも言われる髪の毛だから、あちこちにあって当然だけれど気になると永遠に気になって、拾ったり、掃除機で吸ったりしている。

 今は、顎くらいのボブ。コロナ禍の最初の頃に、腰近くまで伸ばしていた髪の毛を切った。ヘアドネーションするために何度か伸ばしては切る、をしていた。けど何回かするにつれ、「もちろん人のためになることだけど、伸ばしている間に使うトリートメントの量ってどんなもんだろう。もしかしてそれによって水をめちゃくちゃ汚してしまっているのではないか。」という疑問がわき、4年前に40cmほど切ってからはずっとボブ。たぶん一番落ち着く髪型。

 昨日の夜は、久しぶりにスープを作った。暑さのせいにして、しばらく煮込み系は作っていなかったけど、好きなのだ。自炊らしい自炊をしばらくしていなかったけど、自分で時間を費やして作ったものは、おいしいし、少しの量でも満足できる。こう書くと、たいそうなものを作ったように思われそうだけれど、そうでもない。玉ねぎをまるごと二つと大豆、ベランダのタイムの葉、塩麴と胡椒で煮込んだだけ。愛用しているキムホノさんの土鍋で煮込むだけで抜群に美味しかった。冷凍庫にあったもらい物のバケットと食べた。ワインがあれば最高と思ったけど、部屋着から着替えて買いに行く余力がなかった。
 とにかく料理した自分を褒めたい。

 夜、料理が出来たということは、昨日はタスクを朝から順調にこなせたということでもある。昼過ぎまでにあらかたを終え、もう少し先の〆切のものにも仕掛かることができた。上出来だった。夕方から刺繍をはじめとする裁縫道具の整理、化粧品の整理をした。化粧品のポーチなどをまとめていれている無印良品のジュートバックに穴があいていたので、ダーニングもした。
 ダーニングは、とても時間がかかる。新しいものを買った方が早いのだけれど、抗いたい。穴が開いて捨てたらゴミになる。燃やす時には、CO2が出る。モノの寿命を自分でどうにかして延ばすことは、大量生産大量消費へのプロテストでもある。

 同じベクトルで、可能な範囲で誰が作ったのかわかる購買活動をしている。作家ものの器を選ぶ。野菜は近所で月数回開催される朝市で買う。友人が焙煎した珈琲。服はなるべくセカンドハンドのものを手にしていたけれど、最近生地づくりから始める服に出会った。和室においてあるライトも、友人が作ったもの。
 全部をそうしようとすると、暮らしが立ち行かなくなるけれど、可能な範囲で、する。物を粗雑には扱えなくなるし、そういうものに囲まれて暮らしていると、「支えられている」と感じる。大げさではなく。

 エバーフレッシュと暮らし始めて3日目。今日はエバーフレッシュより早く起きようと思っていたけれど、起きたら7時だった。日の出くらいの時間に葉が開くのかなー。明日こそ。


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