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感情をただ眺めている。

 よく働いた。帰ってご飯を食べたあと、うたた寝をしていた。noteを書いていないこと思い出して、頑張って起き上がったところ。

 立秋が過ぎて数日。朝と夜、少しだけ風が出てて、ほんとうに少しだけ涼しいと感じる日が増えてきた。車のエアコンも、夜なら窓全開にすればつけずにすむ。嬉しい。
 今日、楽しみなことがまた増えた。新しいことをはじめて、怖がりながらも色々進めていくうちに、そう思えることが増えている。嬉しい。はじめて良かったと思う。ちゃんと境界を引いていることも、良い影響を与えていると思う。

 最近の私のライフハック、感情をただ眺めること。今まで、行動することこそ正義と思っていた節があったけど、それを当たり前として行動し続けることは、なかなかに苦しさを感じることも多かった。いったん気持ちを認識する時間を作ることが、自分の中に余白をつくる。

 例えば最近眺めた感情はこんな感じ。

 甥っ子の暴言。小学生になってから、強さに憧れるようになり、それに伴いギョッとする言葉をたまに使うようになった彼。「そんな人としゃべりたくない。」と伝えたこともあるけど、この夏休みは、そんな彼を傍観して、「ふーん」くらいの感じでやり過ごした。彼が暴力的になっている時は、そっと離れて何もせず見守る。そのかわり、彼がご機嫌の時に「だいすきだよー。」と抱きしめてみる。ニヤニヤしてうれしそうな甥っ子をみて、(なんか大丈夫やな)と思えてくる。

 それから両親のコミュニケーション。嚙み合わない二人の会話。何十年連れ合い、これか、と悲しい気持ちになるけれど、それをただ眺める。(あー私は、目の前で行われている会話に悲しい気持ちになっているんだなー)と眺める。眺めているうちに、自分が傷ついていることに気づく。もう大人になってから随分経つのに(子供=私のことが大切なら、そんな小さな小競り合い目の前でしないでよ)なんてことを考えていることに少し驚く。

 人からされた嬉しいことやもらった嬉しい言葉。今までは、その意味を考え込んでしまいがちだったけれど、相手の気持ちや本音なんてどんなに近くても分からない。頭では分かっていても、ついつい考えてしまっていた。このところよやく頭と体が一致してきた感じがする。ただ、自分の「嬉しい」という感情だけに浸る。これによって、幸福度が増す感じがある。

 感情を眺めること、”マインドフルネス”みたいなことなんだろうけど、小難しいことは言わず、私は私の方法でこれ続けていきたいな。

 日付が変わる前に書けた。明日は一週間以上ぶりに一人で全部決められる一日。仕事も進めて、本も読もう。色々考え事もしたい。半年前に仕込んだ味噌がいい感じに仕上がっているかもしれない。そろそろ蓋を開けてみよう。
 
 眠くなってきた。キッチンのフローリングでゴロゴロしている猫を誘って、寝ます。


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