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NOの可能性。

 現在絶賛モラトリアム期間中のわたくし、”すぐにお金にはならなそうだけどやりたいこと”がありすぎて毎日あっという間。

 そのやりたいことの一つがPodcast「となりの雑談」をはじめから聞くこと。Ep.31と33のプール理論は何回も聞いていて、このnoteにも何日にも渡って書いているけど、昨日ささったのがこの回。

 

 ”NO”を言うことで可能性や選択肢が広がる、と言う内容。今まで、「言ってくれればよかったのに」と言われたこともあれば、言ったこともある。言わないまでも、思ったことならもっとたくさんある。

 まず、NOが言えなかったことで、自分を追い込んでしまった経験は、一定数の人にあるんじゃないだろうか。
 自分に照らして過去を振り返ると、仕事で「これはできません。キャパオーバーです。」と言うことが出来ず、抱え込みすぎてミスをし、多大な迷惑をかけたことがある。20代前半だったと思う。断ること=悪だと思っていた。というか、断り方を知らなかった。加えて20代プライド高くてトゲトゲ期。最悪だ。
 このとなりの雑談の中でスーさんは「不思議だよね、NOを言うと選択肢が増える。YESって言った方が可能性や選択肢が広がると思っていた頃もあったけど、逆なんだよね」というような事を言っている。
 過去の私の案件で言うと、キャパオーバーだと自分で判断して、「できません。」て言っていれば、その仕事をどうするのかの議論や、私が仕事を抱えすぎている問題点が浮上して、仕事のやり方やふり方の選択肢が増えていたということだ。私が無理をして受けていると、選択肢は私が受ける一択以上にはならない。
 「せっかく仕事をふってもらっているんだし。」という理由で、受けることが仕事ができると思ってしまうのもあるあるすぎて耳が痛い。相手がそんな事思っているとは限らない。
 さらにサクちゃんは「NOを言うのは親切をしている。」と言っている。「相手がこっちに入ってきているんだから、入ってきちゃだめですよ、と教えてあげる親切」だと。これは、プール理論にも通じるね。

 失敗を繰り返して、今は自分に必要な余白を確保することだけは守りたいと思っているので、もうしないだろうけど、もし危ういシーンがあれば早めに気づきたい。

 この回を聞いていて、思い出した。刺繍屋をはじめた4か月くらい前に、私は「何をするか」ではなくて「何をしないか」を先に決める作業をしていた。「何をしないか」=NOを決めていたということ。例えば、”異業種交流会に行かない”とか。だから今色んな線引きがちゃんとできていて、凪の状態で刺繍をしていられるのかもしれない。

最初に書いた、”お金にはならなそうだけどやりたいこと”、このnoteもそう。今50日以上続けていて、誰に見られるわけでもなくても、私がやりたいこと。

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