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風土を憶う

土地を離れると感じる立地の違いを自分の足で楽しむのも、別の地方へ移住する時の醍醐味であろうと思います。

※本記事は以下の記事の続きです。
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関東平野、殊東京都の23区にいると山は遥か遠方で見えることがないので、他の地方の大きな山に囲まれていたり身近にあったりするということが、大変新鮮でありました。

台地や小高いところはあっても、緑!山!って感じのところは皆無ですからね。

神社とかお寺とかお庭とか街路樹くらいです。

山の圧迫感より東京のビル群の圧迫感が落ち着くのは幼い頃から慣れているからでしょう。

雲の様子もそれに伴って違ます。
雨の降り方ひとつ同じことはありません。
秋田に来てからザー晴れザー晴れみたいな雨しか見ていないです。

あのもくもくと立ち昇る入道雲やしとしと降るを拝みたいものです。

まだあの空の形を見慣れていないので、ほんとうに変な気分です。

別の地域の人が同じ季節を思い浮かべて、同じ雲の形を想像するなんてことは、原風景となる実際の風景が違いますから無いと断言していいでしょう。

他にも、

神戸とか熱海とか坂にある町はずっと急勾配の斜めに軒が連なるので、乗り物で移動すると歪んだ部屋にいるようで平衡感覚がぐちゃぐちゃします。

(地下街にいる時と高層ビルにいるのはあんなに平気なのに不思議です。)

地方の人が東京に出てくると人酔いなるものをするらしいのですが、私は秋田で人気無い酔いをしてしまいます。どこへ行っても溶けるべき人流がないと自我を認識し過ぎてしまって慣れないです。

(人混みに溶けている時は行動を委ねればいいので、自分という境界線が個ではなく全体の一部という認識になるから、思考が楽なんですよ。)

気候で言えば、夏場は一番涼しい場所が40度以上で夜も熱帯夜な群馬県館林市にいると、暑くて暑くて今年は虫の声が絶え絶えでありましたが、まぁ上がって30度で夜は20度な秋田県では綺麗な音色を爆音で奏でています。

例としては逸れますが区市町村で習いましたし、私立(しりつ)と区立と国立(と市立(いちりつ))と呼んでいましたし、ムサコと略せば武蔵小山の事だと思っていましたが、これ多摩川を渡って東京を一歩出たら全然通じないんです。

どうやら話が噛み合わないぞと思っていたら、市区町村だし、私立(わたくしりつ)と市立(しりつ)と国立だし、武蔵小杉の事らしいと思った時の衝撃たるや中学生の私には重かったです。

(その地域で身近なものを区別するために言葉や認識が変化していくのは自然でしょう。)

まだまだ例を挙げるとキリがないので、今日はこの辺で。

まとめ

同じ言葉でも思い起こす現象が違うのは、こういう身近な事象の違いなのだと思います。

そして、このように方言が形成されて行くのかなと想像しつつ、育った環境がその人の基盤となる知識に与える影響にはかなりの差があるので、外に出たら新規の情報が過多で、そりゃ体調崩すくらい戸惑うだろと思うのです。

次回は広告について書いてみましょうか。

ではまた。


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