見出し画像

学校に行きたくないんだってさ

月曜日。

学校行く準備してたのに、

「やだ!学校行かない!」

と言い始めた。

最近はこの押し問答で時間がかかり、長男のみならず次男までも日々遅刻。

児童精神科で「怒らないように、叱らないように」と言われた。
募るイライラ。
迫り来る時間に焦る。



「じゃあ、もう、いいよ。行かなくて!毎日このやりとりするの疲れたし。勝手にすれば!」

と言い放つ。

そうは言っても、学校に連れてく気満々な私。


ダラダラする長男。

「ちょっと!ほんとに学校行かない気?行くんだよ学校!」

「やだ!行かない!」


とりあえず、学校に連絡入れなきゃな。
めんどくさ…


『学校に行く行かないの押し問答で時間がかかっています。私も疲れたので、学校に行かないなら行かないでもういいかなと思います。学校に行くかどうかは本人に任せます。』
と、遅刻でもない、欠席でもない連絡をした。


あームカつく。


「病院の先生には怒るなって言われたけど、無理なもんは無理だからね。
家にいてダラダラテレビばっか見てる姿見せられるのムカつくんだよ!
ママはそんな姿見たくないから上に行く!一緒にいたくない!」

と言ったら、黙って部屋を出て、2階の部屋に行った長男。

あーやってしまった。
傷付けた。


すぐさま2階に行って、
「ごめん、言い過ぎた。下の部屋に行こう。」
と謝った。


もう、いいや。
学校行かなくても。


学校行かない、と言われて、最初に思ったことは

「1人の時間が奪われる」

だった。
長男のことよりも、自分のことだった。


学校に送ったメッセージは精一杯のSOSだった。
"辛いのは子どもより私です。
もう連れて行く気力もありません。"

こんなことしても意味ない。
わかってるはずなのに、誰かに助けてほしい、もうそれしか考えられなかった。

涙が止まらない。

「ママ、ごめんなさい。」と謝る長男。
「何が?」と聞いても、
「なんかわからないけど、ママ泣いてるから。」


そのうち、
「学校行けなくてごめんなさい。」
と言うようになるのだろうか。


私らのやりとりを見て、空気を読みまくる次男。
すんなり朝ごはんを食べて、
「行きたくない」とも言わずに幼稚園に向かった。
(長男が学校行かないなら自分も行かない!と普段ならごねる)


もう、学校、無理かな。
支援級でも無理なら、もう行き場がない。

今日の事の発端は、
「電話を1回しかかけさせてもらえない。」
ということだった。
それは、先週、特支の先生と相談して決めたことだった。
正直、1日に何回も電話が来るのはウザい。
「帰りたい。」
という長男をなだめて、電話が来るたびにうまく交わす。
出先であることも多く、この会話を聞かれることも嫌だった。


「閉じ込められてる気がする」

学校に行くと、そう言う気持ちになるのだと、長男は言った。
でもそれは、いつだか私が言った言葉で、それを長男は聞いていたのかもしれない。
言語理解の高い長男だから、それを覚えてて使った気もする。

とにかく、どうしたら良いのかわからないのだ。


夕方、通常級の方の担任の先生から電話。
もはやこちらの先生にはほぼほぼお世話になってなっていないのだが、在籍がまだ通常級だから、という、振り分け上、電話はその先生からかけなければならないという決まりなんだろうね。
学校のこういうシステマチックな感じ、ほんと気に入らない。
担任の先生にはもはや逐一報告しないので(特支の先生にはしてる)遡って何度も同じ話をさせられるのは嫌なのだ。


担任の先生はベテランだ。
でも、わかってる風に言われ、勝手に分析されたり一般論で片付けようとしたり、いかにも先生の正論を振りかざされるのはもううんざり。
そんなことはもうわかっているのだ。
「15年後の未来を見据えて」
「嫌なことも我慢して乗り越えていくことを学ばせないと」

ああ、この人分かってないな、発達障害を。
発達障害の子どもを育てる母親に「未来を見据えて」がどれほど残酷で気の遠くなる話か、あんた、わかってないよ。

評判の良い先生なのだ。
だけど、息子同様、私も、合わないなと思う。


所詮学校は学校で、その時を通り過ぎれば、先生の長い教員人生の、たくさんの教え子の1人にすぎない。
どう関わろうと、学年が変わってクラスが変われば、もう関係ない。

だけど親子の関わりは、24時間×一生だ。

なんだかもう、周りがみんな敵に見える。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?