「おまえなんかいらない」と言った日
「おまえなんかいらない!」
と言った。
私は最低だ。
そんなことは重々承知だし、絶対子どもに向かって言ってはいけないワードであることもわかってる。
私だって苦しい。
いつものように学校に迎えに行った。
先生が出てきて1日の様子を聞く。
近くで遊ぶ長男。
回遊魚なのでじっとしていない。
登っちゃいけない花壇に登り、斜めになっている花壇の枠をお尻で滑り降りる。
「危ないよ」
「そこは登っちゃいけないことになってるところだよね」
「服が汚れるからやめて」
と、3回は言った。
あまりうるさく行動を制限しない方がいいかな、とか、
人前で怒られるのも嫌だろうな、
とか、
いろいろ考えながらの日々の声がけ。
怒るでもなく、叱るでもなく、ただ「やめて」という声がけは、息子には響かない。
きつく言わないとやめない。
言うことを聞かなかった長男のベージュのズボンのおしりのところには、花壇にたくさんいたであろう赤虫(赤ダニ?)がつぶれたらしく、点々とたくさん赤くなっていた。
怒りが湧く。
言うことを聞かないこと。
挙げ句、まだ買って間もない服を汚したこと。
こう書くと、
「なーんだ、そんなことくらいで。子どもなんだから、そのくらい大目に見たっていいんじゃない。」
と言われるのだろうか。
この出来事ピンポイントに怒りが湧いたわけじゃないんだよ。
日々の我慢。努力。
自分の服も買わず、自分の時間なんてほぼ取れず、お金も時間も子のために使う。
親だから当たり前。
そう思って過ごしてる。
送迎も仕方ない。
家に帰ればガチャガチャ過ごされるのも仕方ない。
いい加減でかくなってきた長男に「ママ〜ママ〜」と赤ちゃんのように甘えられるのも嫌だなーと思いながら、仕方ない。
我慢、我慢。
嫌でもやめることはできない。
そういう小さな我慢の蓄積は、割とすぐに爆発する。
日々、起爆剤はそこらへんに転がっている。
そのズボン、買ったばかりなのに。
自分の服も買わずに買ってやってるのに。
意味のわからないゴミみたいな紙屑や石ころは大事にするくせに、お金のかかってる洋服は大事にしない。
子どものための時間のやりくり。
働く時間も削って。
収入の少なさを見ないようにして。
でも経済的な不安はどこまでもついてきて、なんとか隙間時間を使って収入を上げられないかと日々模索して。
まあ、仕事に関しては子どものせいだけじゃないんだけどね。
でも、子どものあれこれで自由に時間を使えないのは事実。
今こうやってnoteを書いている間も何度邪魔されたことか。
その度に寸断される思考と作業。
そんなこんなで、その日は服を汚されたことが引き金で、しこたま怒った。
怒っても響かないのは、これまで怒りすぎたからなのかな。
どうしたら言うことを聞くのか、どこまで言ったら解るのか、そんなことを繰り返している間に、言葉はどんどん辛辣になり、あえて傷付ける言葉を吐きかけるようになってしまった。
「嫌い」はもう言った。
「ふざけんな、殺すぞ」ももう言った。
「殺すぞ」と言った時はさすがに自分でも驚いて、泣いて謝った。
DVの典型ですね、もう。
「殺すぞ」って言いたかったわけじゃない。
口をついて出てきたから自分でも驚いたのだ。
でも、それくらいの怒りが腹の底にあったのは事実だ。
「オマエナンカイラナイ」
長男は泣いた。
普段、怒られても滅多に泣かない長男が、わんわん泣いていた。
こんなこと言うから母子分離不安が大きくなるんだろうね。
いらなくなんてないし、私は子どもが大好きだ。
何がこんなに辛いんだろう。
なんでこんなに疲れるんだろう。
何がどうなったら私は心穏やかに過ごせるんだろう。
私は何を望んでるんだろう。
なんだかうまくはまらない感じがして、倦怠感だけが残る日々。
「どうしてほしいの?」
と聞かれたら、
「自由にさせてくれ。」
と言うかな。
私に何も制限がなかったら、私は沖縄に移住したい。
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