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「何の役にも立たないこと」の役目を、探し続けています。

私はネコ専門の造形作家です。私の作品は何の機能もなく、便利でもなく、ただ置くだけのものです。やや自虐的に「何の役にもたたないもの」と言っていますが、本当は何かの役に立っているのではないかと信じたくて、その役目を探し続けています。

一見、役に立たないもの

作品はレジン製で、手に乗るくらいの小さなネコの彫刻です。玄関の装飾には小さすぎ。ブローチにするフックもなく。箸置きには不安定。良い香りも発っしません。「ただテーブルにでも置くしかないもの」です。
→私の作品ギャラリーサイト https://benieda.com 

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【写真上:卓上に置かれたネコ造形の作品】

現代は、機能性や、効率や、成果や、生産性などが重視される一方、ボーっとすることや、ゆっくりなことや、何もしない移動時間などは、非生産的で無駄なことと見られる傾向が強まっているように感じます。

そのため、私のネコ造形は、置きモノ。役目のないモノ。重要ではないもの。という見方をされやすく、軽んじられる雰囲気を感じています。

また、そもそも本物の動物の猫も、犬のように家番はできないし、牛のようにお乳は出せないし、馬のように背中にも乗れないし。言うことも聞かない。実に役に立たない動物という見方もあります。

でも猫がいると嬉しい。

それだけ役目のない猫でも私は大好きです。見るだけでなぜか嬉しくなります。だから私にとって猫は「何かプラスの作用を及ぼしている」ことは確実です。そしてこの事はかなり多くの方々にも同意していただけることでしょう。

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【写真上:うちのミオがいた頃、約20年前の写真。私だけが喜んでいるようす。実家にて】

そのプラスの作用とは「リラックス」とか「癒し」とか、何か緊張を解くような「ある種のオフのようなもの」だとは思うのですが、しかしそれは「あった方が良いが、必ず無ければいけない、ほどではない」と見られているように感じます。

「オフ」は回復だけではない、活性のチャンス?

しかし私はうすうす、実はその「ある種のオフ」とは、単なる癒し、単なる回復ではなく、別な回路を活性させる重要な役目を持つのではないだろうか。と予想しています。

ここが、なかなかうまく言葉にできないのですが、その「ある種のオフ」を作り出すために「好きなものと接する」ことが非常に効くのではないか。そしてその好きなものが、人によっては旅行であり、友人との会話であり、猫であり、そして、気に入った小物であったりするのではないかと。

そしてこのネコの造形も、人によっては良いオフを作る役目になるのではないか、そのためには「むしろ機能や役目があってはいけないのではないか」とさえ思うようにもなってきました。

私を勇気づける諸説

「一見、役に立たないと思われている事」が実は重要な役を担っている可能性がある、という、私を勇気づけるお話を時おり目にします。あまり正確な記憶ではなく、断片的なメモで恐縮ですが少しご紹介させてください。

ルートを外れるアリの役目

広島大学大学院の西森拓教授のアリ(蟻)研究の解説記事で見た話しです。(すいません、教授の研究文ではなく、その研究を紹介した記事などからの記憶です)

1ぴきでは運べない大きな食べ物を発見したアリは、フェロモンを道標に仲間を呼びに戻り、仲間はその道標どうりに列をなして食べ物を巣に運び続けるらしいです。しかしその中に、ちゃんとルートどおりに動かない「遊びアリ」が発生してしまうとのこと。

そこで教授は、遊びアリを排除した「機能的グループのA」と、遊びアリも含む「自然グループのB」とで、食べ物を運ぶ速度を比較したらしいです。その結果、短期的にはAグループの方が早く運ぶけれど、中長期的には、Bグループが逆転して、早く運ぶようになったらしいです。

これは、最初のフェロモンの道標が、必ずしも最短ルートでなくても、グループAはひたすら正確に運び続けることに対し、グループBでは、遊びアリがたまたま、もっと短いルートを発見して途中から全体がルート変更することで早まったらしいです。

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【上図:遊びアリが新たなルートを見つける。イメージ】

これは「表面的な効率性以外を残すこと」の方が結果的に良い結果に近づくことを自然が織り込んでいるのではないか、というお話しでした。と記憶しています。

このお話を聞いた私は、何か勇気づけられる思いがありました。「一見役に立っていないように思える存在が、実は全体にとって重要な役目を持つ」という理解をしたからです。

ボーっとしている時に、気づきが訪れる?

もう1つは、さらに「ちゃんと覚えていない、あやふやなレベル」で大変恐縮ですが。
慶応大学の渡邉廉太郎教授のお言葉で「人はぼーっとしているときに脳の複数の部位が活発に動いて、気づきが訪れる。」ということを何かの記事で拝見したように思います。そこだけメモをしました。さらに教授による「わき道にある肝心なもの」というお言葉も目にしました。

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【上図:ボーっとしてるときに、気づきが訪れるイメージ?】

これらは、機能性や効率性や生産性を追求する事ではたどり着けない重要な事がある。と言われているように感じました。これもなんか、追い風を感じます。

「きっとある何か」は何だろう

私はこれらのことからも「一見、何の役にも立たない」しかし実は、重要な役を担っていることが、きっと有るのだろうと信じて、何の役にも立たない、置くだけのレジンの作品を作り続けています。

この事は何年も前から考え続けていて、きっと何かあると思うけど、どうしてもうまく言葉にできないもどかしさの中で作り続けています。

今はまだ確信はないのですが「見る人にリラックスしてもらう」という、ある種のオフの時間を作ることが、自分の造形の役目になるといいな、と最近思い始めています。

しかし同時に、もっと良い言い表し方も探し続け、そして表現していきたいと考えています。

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【写真上:まるまって寝るネコ】

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