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本当に信頼するための考え方

 さて、いきなりですが、皆さんは人を信頼したことがありますか?
あると答えた方に聞きます。それは、本当の意味での信頼ですか?

本日の記事は、私の考える「本当の意味での信頼」について書いていこうと思う。そのため、「その考え、違うんじゃね?」って思ってもコメント欄に書かないで下さいね(笑)

 では、以下から簡潔に書いていこうと思います。

 結論から述べると、私にとっての信頼とは、相手の今見ている人物像に加えて、まだ見えずにこれから見える部分あるいは見たくない部分を含めた上で許容することだと考える。

「人は、思い込みの中で生きている。」
 恐らく、全ての人が経験したことがあると思うが、日常生活を送る中で、人に裏切られたと感じることはなかっただろうか?

 例えば、あるカップルがいたとする。ある日、そのカップルの彼氏さんが友達と飲み屋に遊びに行ったとする。その飲み屋では、お酒の力もあってなのか、彼氏さんが他の女性(彼女ではない人)といかがわしい行為をしてしまった。
 そして、彼女さんはその事実を一緒に飲んでいた彼氏さんの友達から聞かされた…。
 この経験をした時に、彼女さんは、「信頼していたのに裏切られた」という。ただ、それは本当の信頼だったのだろうか?

 繰り返すが、「人は思い込みの中で生きている。」上記では、彼女さんは「信頼していたのに裏切られた」と言っているが、それは「本当に信頼する」をできていなかったのだと私は思う。
 上記でも述べたように、信頼するとは、相手の今見ている人物像に加えて、まだ見えずにこれから見える部分あるいは見たくない部分を含めた上で許容することだと思う。

 また繰り返すが、人は思い込みの中で生きている。これまで浮気してない彼氏さんと浮気しないと信じていたが浮気した彼氏さんのどちらも同一人物だ。そして、前者の彼氏のみが彼氏だと勝手に思い込んでいたのが彼女さんだ。
 つまり、何が言いたいかというと、彼女さんはこれまで見えていた部分の彼氏のみを信頼していただけであって、見えていなかった部分の彼氏を許容できなかったため、裏切られたと感じたのだ。
 けれど、これは彼氏さんが裏切ったのではなくて、彼女さんが見えていなかった部分の彼氏が見えただけで、それを受け止めきれなかっただけなのだ。
 
 人は、今見えている部分の現実でしか判断しない。ただ、その現実は幻かもしれない。
 今見えている部分に加えて、これまで見えていなかった部分が見えた時に、どちらも受け止められる(許容できる)自分がいることが本当の意味での信頼だと考える。


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