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東欧の薬草酒ウニクムについて

BenFiddich店主鹿山です

皆様、ウニクム(UNICUM)はご存知だろうか? Barに三件行けばだいたい一件にはある


ハンガリー特産の薬草酒ウニクム(UNICUM)



無論 BenFiddichには様々なウニクムがある

左から
①現行のウニクム(UNICUM)
②1950年代のウニクム(UNICUM)
③2012年より発売されたUNICUM SZILVA
(ウニクムにプラムを浸漬したもの)
④限定品であるUNICUM RISERVA
(ウニクムとトカイワインの混合熟成)


今年8月にラキアとパーリンカの生産者を視察する為に訪れたハンガリー、クロアチア。

ウニクム好きの鹿山にとっては外せないコースだ

なので
ウニクムの工場に行ってきた

ウニクムは
ハンガリーの首都であるブタペストにあるのだ

日本のBarには比較的扱いがあり馴染みのあるウニクムだが、情報はあまりない。
謳い文句も40種類以上のハーブを使った200年の伝統の薬草酒というぐらいだろうか

なので、今回はウニクムの歴史について説明したい

時は1790年
ハプスブルク家の神聖ローマ帝国皇帝
ヨーゼフ2世のお抱えの帝医であったZwack氏が
胃腸の弱いヨーゼフ2世に様々な薬効を期待して
作り上げたのがウニクムの原型だ。

神聖ローマ帝国皇帝
ヨーゼフ2世

そのレシピを元に
孫であった
Jozsef Zwack氏が
1840年に会社を興し
UNICUMが販売されるのだ

上記左側が
UNICUMの創業者である
Jozsef Zwack氏だ

ウニクムのZwack社の工場内には
ウニクム及びZwack家の博物館も併設される
様々な年代のウニクムが見れ、勉強になるのだ
上記写真左上の赤と白だけのウニクムのラベルは
1900年代初頭に赤十字社とのお墨付きをもらい同じ色使いのラベルだ
その後、解消し、現在のラベルとなる
上段真ん中のラベルだ ↓

下記のウニクムのボドルは1956年ハンガリー国内で起きたソビエト連邦の権威と支配に対する動乱
いわゆる『ブタペスト蜂起』で使用された火炎瓶
こういったものも展示される
個人のイデオロギーが
大きくぶつかり合う時代の1950年代、60年代の産物。
鹿山的にある種の大好物だ

話は戻り

1900年代初頭以降、この時代はウニクム及びZwack家は中欧、東欧において最大のリキュールメーカーとして大いに躍進する
UNICUMの創業者である
Jozsef Zwack氏の孫にあたる
(弟)Bela氏と(兄)Janos氏の手腕によるのだ力だ

Zwack家の初代家系図


上記の一番下の子供の写真が四代目
下記の一番上の大人の写真がそのまま四代目で同人物だ

この時代1910年ロンドン万博においてウニクムはハーブ酒部門で金賞を授かる
さらにはこの時代にZwack家はウニクムだけではなく
パーリンカ、ウォッカ、ジン、ラム、リキュールなど
約200銘柄以上のラインナップのスピリッツ及びリキュールをハンガリーから世界へ輸出するのだ

Zwack社の代表的な広告ポスター

美人やイケメンではなく
あえて不細工な男を起用する広告で注目を集める
『shipwrecked man』難破船の男

難破船で海に浮遊する男の側にウニクムが浮かんでいる事により命が助かるという意味合いを込めた広告

そこから第一次世界大戦、
第二次世界対戦へと激動のヨーロッパ時代

ハンガリーはというと
両大戦とも敗戦国である

第一次世界対戦によって
1918年 ハプスブルク家のオーストリア.ハンガリー二重帝国が崩壊
その後の戦後処理として
オーストリアと分離
トランシルヴァニア地方をルーマニアへ
ハンガリー北部をスロヴァキアに譲渡
面積で72%の領土を失い、人口で64%を失う

その後、
アスター革命によりハンガリー民主共和国(1918年-1919年)

今度はハンガリー革命が起きハンガリー.ソビエト共和国(1919年-1919年)

話が長くなるので端折るがドサクサにまぎれて共産主義が政権を奪取

ルーマニアに奪われた国土を取り戻そうと武装蜂起するが敗走

よって失脚し

ハンガリー王国誕生(1920年ー1945年)

ここからは同じドイツと第一次世界対戦の
敗戦国であるからして
時代の流れとして右傾化
第二次世界対戦も枢軸国として参戦だ

もちろんハンガリーのナチス系の影響下に入る

下はZwack家の第二次大戦下の写真

Zwack家はユダヤ系だ

この時代、ユダヤ人を象徴するダビデの星のマークをつけることを義務づけられた。
(左上の写真)
それはユダヤ人を識別するための標識としてだ

しかしZwack家はユダヤ人ながら
名誉人種としてホロコーストの対象外となる

そこから第二次大戦末期

ハンガリーにソ連侵攻

Zwack社のウニクムの工場破壊

戦後 ハンガリーはソ連の影響下に入り
共産圏となる

Zwackのウニクム(UNICUM)ブランドも国営となるのだ

当時のZwack家の当主のJanos Zwack氏
アメリカに亡命

そして、ウニクムのレシピをそのままアメリカへ持ち去るのだ

そして国営となったZwackには
弟のBela Zwack氏が残り監督となるが
偽のレシピで製造を続ける
(後に弟のBela氏はイタリアに亡命)

そして、1958年
兄のJanos Zwack氏がアメリカから
ハンガリーの国営のZwack社を提訴

裁判に勝訴し、西側諸国には販売できない権利を得る

そして、弟のBela Zwack氏が
イタリアに亡命し、
イタリアにて
1958年以降 イタリアにて本物のウニクムのレシピで生産を開始する

つまり、
第二次世界対戦終結後から1958年までは

世に流通していたウニクム(UNICUM)は偽物だったということだ
(もちろん東側諸国での流通なので西側諸国には流通は当時していない)

誰か東側アイデンティティで生産されたウニクムを
持っている人がいたら教えてほしい

飲んでみたい

そしてBenFiddichにある
このUNICUM

コレクターから購入したウニクムの『1958』の個人印字ラベルの意味がようやく理解できた。

イタリアで製造されたウニクム

要は1958年以降だ

イタリアでの生産となるウニクムUNICUMなのだ

鹿山はオールドボドルが好きだ

もちろん、それは現行とは違う微妙な差異の味わいの違い、瓶内熟成による古酒フレーバー
ラベルの印字、シールで時代を読み取れ、瓶の製造工程の噛み合わせかたなどで
読み取れる面白さ
もといそれよりも
その時代に製造されたものが2017年現代に残っている軌跡が想いを馳せることが
できる楽しさだ
鹿山の中では究極の嗜好品だ

話は戻り
1980年代のペレストロイカから
1991年ソ連解体を契機に

本家本元であるZwack家はハンガリーに帰還する
そして現在に至る

ざっくりだが、
これがUNICUMとZwack家の歴史だ

ではこれからウニクムUNICUMの
製造工程について説明だ

下記写真 製造工程

①原料用アルコールはスウィートコーンだ
そして世界各国のハーブ、スパイスは40種類
(中身は伝統的に秘密だ)

②浸漬法(コールド抽出)、蒸留法の二つを駆使して個別ごとにセパレートして作り混合だ

③それらをバッティングして
三ヶ月ハンガリーオーク樽へ

④製造タンクへ移し砂糖を加える

⑤ハンガリーオーク樽へ
三ヶ月熟成

⑥熟成したらフィルターをかける。

⑦瓶詰め、出荷だ

今回は製造工程などは短めに端折った。
鹿山的にはハンガリーへ赴き、ボヤッとしたウニクムの歴史を細かく教えて頂いた
それが大興奮だ
おかずになる

歴史を知ればその商品に思い入れができる

これからもウニクムの布教に努めたい

今宵、西新宿 BenFiddich
お待ちしております

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