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ル ブカブカ プカプカ

ブカブカとプカプカって濁音と半濁音が違うだけなのに、耳障りな言葉と爽やかな言葉としてわたしの感性の対極に位置します。思うにバカバカとパカパカ、ビカビカとピカピカの場合も、テンテンよりマルのほうが爽やかです。

ブカブカは部下部下と聞こえて、バカバカの馬鹿馬鹿同様に薄っぺらさを感じます。上司の反語としての部下は事務的な用語としては聞けるとしても、主観が入る文脈で聞くとゾっとします。ビカビカは公園を美化すると聞けば爽やかでも、行動を美化すると聞くと一気に安っぽくなります。

ということで口直しで、プカプカに切り替えます。公園のボート、海水浴の浮き輪、ラッコ、場合によってはひょっこりひょうたん島もプカプカを連想できます。どれも爽やかです。でも自分にとっては何と言っても西岡恭蔵さんのプカプカです。

話の背景を書いておきます。わたしの学生のころ、フォークソングやロックという概念を混ぜたのか超えたのかニューミュージックという変な名前のジャンルの曲が台頭してきていました。吉田拓郎さんがどの辺りにあたったのかわかりませんけど、この方のも十代までは聞きました。ユーミンさんも聞かないわけではなかったです。オクテの自分にあこがれがあってもよかったはずですが、そこに心底からハマってはいませんでした。

ところでそもそも自分の青い春の時代には、ギラギラとした炎やキラキラとした光にの中にいた記憶はありません。学生紛争が過ぎ去って波風が収まった時代であり、世代を括る単語でも「団塊の世代」や「新人類」のように、これといって特徴のあるカテゴリーは与えてもらえていません。むりやり団塊と新人類に挟まれるビトゥイーンだから「トゥイナーズ」だ、なんて書かれていたことはありましたが市民権は得ていません。

そもそも中庸を尖がらせることはできないわけです。そんな特徴のない中でもさらに中庸度が高い、尖がりが無い自分を持っていたと自覚しています。

そこで手に入れたのが西岡恭蔵さんというシンガーのLPレコードから流れてくる世界でした。最高に背伸びしながらあこがれて、浸っていました。この偉大な方は最愛の奥様を病気で失われたあとを自ら追って逝かれ、新聞の夕刊に小さく報じられたのを目にして小さなショックを受けました。そしてミュージシャン仲間がそのご夫妻に対して最高に心のこもった追悼コンサートをされたので、日比谷の野音に聞きに行きました。NHKで放送され、今もYouTubeで聞く時があります。

吉田拓郎さんユーミンさんのような広く知られた方ではありません。それでも代表作のプカプカは比較的知られていると思います。タバコが好き、占いが好き、男が好きな俺のあんこ(あのこ)という空気感や世界観に共感する方が少なくなかったからでしょう。独特なとても広い世界を生きておられたのが西岡恭蔵さんであり、たくさんのミュージシャン仲間から慕われ尊敬されておられたと記憶しています。

自分の青い春の時代にこの方とそのお仲間であった大塚まさじさんのLPレコードに浸りました。それはささやかではあるものの「自分が何から出来ているか」を想う時、ほぼ中核に位置すると独りで温め続けています。ピエロと少年、ろっかばいまいべびー、占い師のバラード、男らしいってわかるかい。40年以上経ても歌詞が浮かんできます。

この何年か朋友との二次会は必ず祇園のアジトで、プカプカ、プカプカと唄ってました。尖がりが無い自分が、ちょっとだけ気ばってまっせと粋がる時間でした。