⑧ トラックセールとお悔み訪問
サラリーマン生活は山も谷も。能力不足を、あれやこれや痛感。なかでも深刻に凹んだのは、メーカー系卸の営業所に出向した2年間。クルマでお得意さん家電店さんをグルグル回って、商品を仕入れてもらうことでした。月に何度も「トラックセール」という職務があって、クルマにテレビやカセットテープを積み込まれて下ろせるだけ卸してくるという一日。
「クルマに積んでるので仕入れてください」→「間に合ってる」→「そこをなんとか」→「いくら安くできる?」→「今日なら〇〇円です」とか「今日ならおまけに〇〇がつきます」の応酬です。そもそもそんなことが出来ないから理科系に行ってるし造船会社に入った自分。根性なしで転職してしまったことを後悔しても始まらないとは思いながら、神経性胃炎になり「タケダ漢方胃腸薬」が離せない日々を送りました。押しが弱い、お客様の身になれないなど自己嫌悪の連続。コンプレックスは他にもいくつも抱えていましたが、こんな日常が続いたことは、いちばん堪えました。
10人ほどで都内1区を担当していたころの営業所では、足を引っ張りまくりました。所長にも先輩にも同僚にも後輩にも、迷惑をかけるわ心配をさせるわ、頭が上がらずじまいの2年間でした。典型的な落伍者です。
そんなことから営業所から本店に帰任した時は、ほかの地域にもきっと自分の様な売れないセールスマンが居るはずだと思って「トラックセール」みたいな商売から抜け出す仕組みを考えることが自分の課題になりました。その会社にいた間は、どんな部署に居てもそれが頭から離れませんでした。押しが弱い、お客様の身になれない自分とは逆の方や「トラックセール」ではない営業所のやり方などをこっちで聞いては整理してあっちに伝えるみたいな「人の褌で相撲を取る」ことをスタイルをせざるを得なかったんだと思います。それなりの便利屋だったと思います。便利屋どまりかもしれません。なのに調子に乗って「おまえ自分に酔うてるやろ」と指導を受けたこともあります。
そのころ自分などとは全然違う「マーケター」みたいな優秀な若きスターたちが、どんどん新しい仕事に取組んでおられたことを覚えています。
そんないろいろな経緯から、造船・電気もまた放り出して行きついた先がお仏壇屋さんでした。そして転職面接の時に知らされたのが、前職の思い出が復活する「お悔み訪問」という営業スタイルでした。さすがにクルマにお仏壇・お墓を積み込まれて卸すことは無いものの、ご家族に大切などなたかが亡くなられたことを知ったら、クルマで駆けつけてお玄関のドアチャイムを押しインターフォンで来訪を告げて、お仏壇・お墓をお勧めするという訪問販売の一種です。
「トラックセール」が卸業のスタイルだったのに比べて、「お悔み訪問」は一般家庭対象の小売業の営業方法です。面接時に聞かされて感じたのは、押しが弱い自分にとって直接的には難しいかもしれないけれども、お客様の身になることを真剣に学んだら、これはお客様にとっては間違っても押し売りなどではなく究極の人のためになる職種だと思ったことです。
それから20年経ちお仏壇もネットで買って配送業者が納品して設置するケースも増えていますが、ほんとうに人間の生死を考えられる営業マン(ウーマン)、宗教のことをわかっている営業マン(ウーマン)と出会えるならば、お客様にとって「お悔み訪問」というスタイルでご自宅で話をすること以上の好ましい買い方は無いだろうと思っています。もちろん優れた僧侶との出会いがあるお客様はそれに越したことは無いけれども、そうでないケースも少なくないのが現実です。
お客様から見た場合の問題はそういう営業担当者にきちんと会えるかどうかでしょう。したがって逆にお仏壇屋から見た時の問題は、そういう人材を育てることと共に、どうしたら正しくその人材をお客様と広く深く対面させることが出来るかが、企業の力の入れどころであり腕の見せどころです。
お世話になったその企業でのケースとして、お仏壇に関連する領域としてお葬式の相談係としてお客様の身になることを学べたことが、仏教との関りも含めて自分にプラスに跳ね返ってきたことは間違いありません。飛び込みセールスみたいな形で「お悔み訪問」をするのはわたしには無理ですしそもそも好ましくないと思うのですが、電気業卸の「トラックセール」で神経性胃炎になった私も、お葬式の相談係なら少しは人のためになれたかなとも思っています。「マーケター」にはなれなかったけれども、お慈悲にあふれたほとけさんからは「それがいいのだ」と言ってもらえそうな感じがしています。