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幸せへのセンサー

今日はこれを読んでいた。(Audibleなので、正しくは「聞いていた」)

今日は26℃もあった。午前中に用事があったので、出かけるついでにTシャツとサンダルを購入。必要なものが手に入って良い一日だったと思う。
土曜の午前中にやることをやっているって、自己肯定感上がるよね。

午後はお風呂兼サウナにいって、起きているか寝ているかの微睡の中で、
ずっとAudibleで上記の本を聴いていた。

吉本ばななさんの
「身近なスタンスで色々教えてくれるお姉さん」感が、疲れているときにちょうど良い。実際はだいぶ年上なんだけど。

その情報たちを、ナレーターである千葉 雄大さんの言葉でコーティングされる。これまた「近所の優しい兄ちゃん」感が良い。

中でも、以下の節がよかった。

どんなに悪い日でも、その中に良い日はある。
あの時飲んだコーヒーが美味しかったとか、叔母さんと話したこの会話は楽しかったとか。

当たり前のことであり、だからこそ普段意識できない。

昔は占いとかを見て、今日は悪い日かーなんて一喜一憂する日もあった。
ただ、そもそも日毎に「良い」「悪い」を区切るのって、おかしくない?

1日が24時間なのも、そもそもおかしいと思っているけど、
日常というのは「1秒」の連続だと思っていて、その連続を繰り返す中で、いろいろな出来事に遭遇する。

そこで遭遇する事象は良いこともあれば悪いこともある。
悪いことが続くとしても、この後ずっと悪いことが続くわけじゃない。
幸せはセルフメイクするものなんだろうなと感じた。

というスタンスのもと、占いを見たい。
ラッキーアイテムとか知りたい。


ネガティブをスルーしない

「人に悪いことを言ってはいけない」みたいな思い込みが、自分にはあると思う。そのため「辛い」とか「疲れた」とかを言わないようにしている。

他人に対しては、このスタンスでいいかもしれない。
だけど、自分に対してそれらを強要しないほうがいいと思うようになった。

「ダルい」みたいな言葉は、禁忌のものとして取り扱っていたように思う。
「殺すぞ!」と「ダルい!」は同じレイヤーであり、同じ禁忌カテゴリーである、みたいな。

それはもちろん人に言ってはいけないと思っていたし、
心の中で「しんどいなー」と思っている自分はダメなやつだ。みたいな感情もあった。

そしてこんな時は『反応しない練習』を読み直し、感情をメタ認知し、

「これを感じているのは自分の理性で、判断に過ぎない。
ゆえにこの感情はフェイクだ。気の持ちようだ。」

と思うようにしていた。

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ただ、こういった対処は、いずれ自分に降りかかってくる。
決壊したダムのように。

特に自分や人の感情を受信しやすいタイプでもあると思う。
だからこういったスルースキルはない方がいい。

「悪い感情」を「気の持ちよう」みたいな感じで取り扱うと、
自分自身がパンクしてしまうだろうし、
何より「自分」に対しての、解像度が上がらないらい。

なぜ自分が嫌と感じたんだろう?
それは不誠実だと思ったから?
じゃあ誠実さってなんだろう?これは?あれは?………

台湾に来て、明らかに自分のことを考える時間が増えている。
休日に会う人があまりいないから、自分との対話タイムが増えているのかもしれない。

「浮気」と「自己認知」

昔の女友達で、こんなことを言っている子がいた。

「彼氏が別の女の人と遊んでてもいい。その人の家に泊まっててもいい。(想像に委ね以下省略)。でも、他の人と手を繋ぐのだけは嫌!」

その場では「変なヤツ〜笑」と笑の種になっていたが、
シンプルに「すげえな」と思った記憶がある。

だって自分のことを解像度高く理解していないと、そのOK / NGのラインは引けないから。

その子にとっては「手を繋ぐ」ということに、特別な意味があることを後日聞いた。「浮気は嫌だ」みたいなザックリとした区分ではなくて、これはOKで、でもこれは私にとっては嫌で….みたいな繊細なライン。

このラインを自分の中に増やしていくことが「自分を知ること」であって、
感情をスルーしないことは、「自分を知ること」に接続されていく。

俺は嫌な感情を全部スルーしようとしてたから、あまり自分のことを知らないかもしれない。今度から、自分の悪い感情を丁寧に掘り下げていこうと思う。

そのために、信頼している人に嫌なことをシェアしたり、一緒に深ぼってみたり、そういった時間も増やしていきたい。

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