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心の焦点を合わせる術

先日、台湾で出会った友人から、日本のVISAを取得できたという報告をもらった。日本のVISAは運ゲー要素が大きいと聞いていて、その友達も不安がっていたようだったけれど、無事取れたようで安心してそうだった。

その人は僕よりも5歳ほど年上で、最近ゼロからプログラミングを頑張っているらしい。今までは国際金融機関に務めていたので、完全に全く違うキャリアで挑戦するって言ってた。しかも違う国で。

俺は普段から頭の良い人だなあと思って接しているけど、当然本人は不安らしい。ゼロからのキャリアスタートであることや、自分の母国とは違う環境で頑張ること、後は日本語が流暢ではないと感じていることが不安って言ってた。


心の焦点

人間は誰しも独自の世界観があって、毎日その世界観に没頭していると思う。その世界観には、家族や友人や、恋人とか仕事とか、そういうものが含まれる。そこに没頭しきる作用のようなものを、「心の焦点」と呼んでいる。(造語)

金曜の仕事終わったくらいから「心の焦点」が外れがちだったなと感じた。
それは好調とか不調とか、疲れている、元気とか、関係なく、たまに故障のようなものでピントが合わなくなるんだと思う。メンテナンスをする必要がある。

ピントが外れてしまうと、人の声を情報として認識できなくなる。
音としてしか認識できない。情報ではなくなるから、レスポンスが不可能になったり、何回も相手の言っていることを聞き直さないといけなくなる。

目のピントが合わなくなるメカニズムを調べたのだけど、目の水晶体が疲労によって弾力性を失ってしまうかららしい。水晶体を管理しているのは毛様体筋と呼ばれる筋肉のようなもので、目を酷使すると、毛様体筋が緊張してしまい、それで弾力感がなくなってしまうらしい。きっと心も同じなんだろうと思った。ずっと使っていると、日常に没頭するための弾力性がなくなるんだろうと思った。

人のオススメ

今までは自然治癒でピントの回復を図っていたが、ピントのメカニズムを調べたことで、着想を得た。

それは、一度緊張感を取り除くために、あえて違う没頭を模索することである。(近くのものだけでなく、たまに遠くのものを見るなど)
それだけで自分の身の回りでブレていたピントが、一度別の箇所を見ることで、またリフレッシュできるんじゃないだろうか。

そこで、今週の土日はフィクションに没頭しようと思った。すごい恵まれていることだと思うんだけど、最近は自分の回りに集中し続けていた気がする。

そこで幽体離脱のように、フィクションに没頭しても良さそうだと思った。
それに人からアニメや小説のオススメをたくさんしてもらっていた。オススメされたものを味わうことで、その人と仲良くなれるし、僕の周りにいる人は毎回センスの良さにびっくりする人たちばかりなので、ありがたくいただくことにした。

チェンソーマン

金曜の夜に見始めたのは、チェンソーマンだ。
これは会社の先輩から知った作品で、米津玄師が主題歌を歌っているのも知っていた。そしてマキナさんというキャラが登場することも知っていた。

僕の周りだけかもしれないけど、みんなマキマさんが好きと言っていた。
たまーに姫野さんが好きな人もいた。アニメを見て思ったけど、確かにキャラクターに個性があって、推せるキャラが多そうだった。メインキャラだと、僕は早川アキが好きだ。

実際にアニメを見て、僕も推しキャラが決まった。
しかも幾つものアニメを包括しても、
TOP5くらいに入る推しキャラが見つかった。

それは誰かというと、ポチタだ。

ポチタ

でかい頭、丸々とした目、短い手?足?など、とにかく可愛らしい。
このキャラは1話で退場するのだが、あまりの悲しさに、もうチェンソーマンを見るのを辞めようかと思った。

なぜここまで推せるのかを考えてみたのだけど、多分「弱さ」だと思う。
ポチタが泣くワンシーンがあるのだ。

こういう「なんか弱々しくて守ってあげたくなるキャラ」を好きになりがちなんだと思った。ワシャワシャしたい欲求に駆られる。

デンジ(主人公)とマキマさんが艶麗な雰囲気で接触したり、
デンジと姫野さんのベッドシーンもどきなど、少年ジャンプでは珍しいシーンも幾つかあり、それらが名シーンになる理由も共感するのだが、

個人的にNo1の名シーンは、このポチタである。
(戦闘シーンやストーリーも普通に面白いです。)

ポチタ2

月と六ペンス

2つ目に紹介したいのは、『月と六ペンス』だ。

ペンスというのは、イギリスの通貨の名前のようなもの。
イギリスの通貨はポンドだけど、1ポンドが大体100ペンスくらい。
(ちなみに2024/07/20現在、1ポンドは203円だった。6ペンスは12円くらいだね。)

例えば自分が、知らず知らずのうちに(別に意図的でもいいけど)、
お世話になった人の彼氏や彼女を略奪していたり、
喧嘩した相手が死んでしまったりしたら、
どんな心境でいられるだろうか。

程度の差はあれど、「罪悪感」のような感情を多少なりとも抱く人がほとんどだと思うが、そういったことを全く意に介さないタイプの人間もいる。

それが、この小説に出てくるストリックランド。知る人は知っているだろう画家のポール・ゴーギャンをモデルにしているらしい。

ストリックランドの行動源泉は「情動」だ。
「せざるを得ない」から、動く。損得や倫理の類で行動を決めない。

でも世の中のほとんどはそんな人間じゃない。
みんな常識や社会秩序の中で生きている。そこに息苦しさを感じたとしても、社会秩序の逸脱によって罰せられる恐怖に比べたらマシだから、従っているんだと思う。

だからそういった人にとって、ストリックランドのように、社会秩序を全く意識せず動く人を見ると、困惑する。イライラがする。あるいは恐怖する。なぜなら、我々のパラダイムにおいて理解不能だから、だと思う。

あまりの衝撃に煮詰まりきっていない部分も多く、
この感想は別のNoteでしっかり言語化したいと思う。

ただ、あまりにも自分の知らない感情が多く、呆然としている。

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