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どんなに醜くても、自分からは逃れられない

初の18禁記事💜…となった前回。

なんでこんなことわざわざ暴露するんだろう、と自分で疑問だったのだけれど、それについて一応理由があったようなので書いてみる。

結論はタイトルに書いてしまったのだけれど、わたしが考える「醜い」わたしとは性欲のこと。
わたしは、自分に性欲があるということを認めたくなかったのだ。

それは、小学校の痴漢に遭った体験まで遡る。
痴漢の性欲にあてられた小学生のわたしは、大人になっても自分の中に同じものがあることをどうしても受け入れられなかった。
性欲 → 汚い, 醜い → 自分の中にあってはいけないもの
頭ではどんなに理解しても、感情がどうしても追いつかない。
好きなひとが相手である=愛があるという免罪符があれば、かろうじて性欲を肯定できたのだけれど、それでも罪悪感はぬぐいきれないほどに。

受け入れられないものは思い込みとして反映される。
それは、知らぬ間に自分を制限している。
そんなようなことを最近考えていた。

それで、今回の行動だ。
やりたいかもしれないやれなかったこととか、自分が一番怖いことをやってみる自分を使った人体実験。
実行しないと、強固なブロックって外れないんじゃないの?と思った。

掲示板を使ってみて、自分の中の根拠のない思い込みをたらふく発見した。

・挿入なしでとかいう都合のいい要望へ反応する人いなそう。
・40代超えるぽっちゃりとか誰も相手にしなさそう。
・40超えての性欲痛いとか思われそう。
・40代女性だったら、だいたい40〜50代男性が反応するんだろうな。
・連絡先交換したらすぐにいつやるみたいな話になりそう。

こういう思い込みはすべて、見事なまでにいい意味で裏切られた。
実際には25歳男性からリプが来たし、1時間だけでも複数のリプがついた。
それでこれはわたしのブロックだったんだなと思った。
そういうひともいるんだろうけれど、当然そうじゃない場合もあるのだ。

それに、やる前に躊躇していたことを打ち消してとにかく行動したのも良かった。
例えばこの「ぽっちゃり」について。
わたしの心の声は「じゃあせめてジム通ってからにすれば」と毒づいていた。
けれど蓋を開けてみれば、このだらしない体だったらだめなんだ、というのももうすでに思い込みで、そのままの自分を肯定できてないんだとわかった。
結局すべては傷つきたくない=自分を守りたい自分がいただけだった。

ジムに通うとかして、自分を磨くことを否定しているわけじゃない。
けれど、「そのままでOK」と自分に言ってあげたられたのはよかったなと思った。

自分を全肯定してあげたい、とは言っても、何をしたらいいのかわからなかったけれど、一歩進んだという話でした。
結局、どんな自分でも受け入れるしかないんだよ。
わかっててもなかなかできないんだよね。
他のひとはどうしているのだろう、と思いつつこれを書きました。

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