見出し画像

あの時死にたかった、中学3年生の私へ

生徒にとっては学校が世界の全てで、年齢を重ねれば重ねるほど「あの時は狭い世界にいたな」と思うのだろう。それでも、あの時はその狭い世界の中で、死にたいと思っていた。

note恒例、自分語り。

思えば小学生の時から、昼休みを一緒に過ごしたり一緒に下校する友達はいなかった。誰かと一緒に帰るには家は近すぎたし(学校は家の目の前)、昼休みは...何をしてたんだろう。外で走り回ったり運動をするのは苦手だったから、教室の中に基本的にはいた気がする。

中学受験をしたけれど、誰にも、何も言わずに小学校を卒業した。うちの小学校は中学受験をする子は学年に10人いるかどうかくらいで、受かったのもきっと5人もいかないんじゃないかな。中学はみんな揃って同じところに行くのが当たり前だったから、小学校を卒業してから地元の友達にあった時「久しぶり!帰ってきてたの?」と聞かれた。その時私は「中学校から」帰ってきていたところだったので「うん」って答えたけど、その後自分は引っ越したと思われていたのだと気づいてなんだか面白くなった。

中学校、全然知らない人たちの中で自分の立ち位置を見つけていくのは難しかった。「一緒に部活の見学に行こう」とか「芸能人で誰が好き?」とか、そういう話について行けていなかった。テレビをほとんど見ない生活をしていたので、バラエティ番組とかも全然知らなくて、嵐もその時に初めて知った。

常に一緒に行動しているグループはあったけれど、「あ、私必要とされてない」って気づくと途端についていくのを諦めてしまう。グループを仕切るような面白い話は持っていないので、しがみつくこともできない。中学1年生の時は、なんだか教室を漂っていたような気がする。

中学2年生。一緒にいようって言ってきた子達から避けられるという謎の仕打ちを受けた。グループの中の1人がこっそり、「○○ちゃんに話合わせなきゃダメだよ」って忠告してきた手紙が、今でも実家にある。そのグループの中で避けられて、ついていくのをやめて1人になったら、もう1人、そのグループからはみ出した子がいた。「私も避けられちゃった、一緒にいていい?」その時は分かり合える仲間ができた感じがして嬉しかった。でも次の日、その子は何もなかったかのように元のグループに戻って、私を空気として扱うようになった。ああ、友達ってこんなもんかって、その時何かを諦めた気がする。

中学3年生。やっと心を許せる友達ができた。と思った。

私のどこか気に食わなかったのか今後のために是非とも伝えて欲しかったが、結局何がダメだったのかは教えてくれなかった。夏休み後かな、突然避けられるようになって、あーまたこれかって。その時は3人グループで、1人の子が私のことを大っ嫌いになって、もう1人は大した意思もなく、その子を選んだ。(大した意思もなかったのは、その後の本人談)。意思もなく私を避けた子のことは、一生理解することも、許すこともできない。

教室という空間に一人ぼっちになると、自分はなんのためにここにいるのかと思ってしまう。周りの子たちは友達と楽しそうなのに。そして、私がいけなかったんだと自分を責めるしかない。仲直りしたい、とかなんとかを書いたメールを私を嫌うその子に送ったら、「私の気持ちは考えたことある?」という内容が長文で返ってきた。じゃあ、避けられる私の気持ちは考えたことある?

ここまで書くと、今でも、私がきっと何かその子たちに嫌な思いをさせたんだろうなと思う。全員が仲良しこよしになれるとはちっとも思わないけれど、それでも拒絶されるのは心がえぐられる。

高校生になってちょっとは楽しい生活が送れるようになった。今でもよく会う子もいる。

大学生になった時、大学のいいところは自分からフェードアウトできるところだと思った。通い始め、一緒にいた子たちからぞんざいな扱いを受けてしんどくなって、でもまたこれかと思ってしまう自分もいた。だけどそれはおかしいってことを指摘してくれる他の友達がいて、ちょっとずつ距離を置いて、楽しい大学生活を送れるようになった。

その時々で傷つけてくる人はたくさんいたけれど、救ってくれる人もいた。

なんのために生きてる?今日私が死んで、明日学校に行かなかったら、私を避けた人たちは私にしたことを自覚する?でも避けたりするんだから、悲しんだりはしないだろうな。むしろ喜ぶのかも。その自問自答の連続で、でも死ぬほどの勇気なんかなくて、高校を卒業して解放された気がする。

死ぬのはきっと簡単なのかもしれないけれど、ここまできて良かったなとも思う。


中学3年生の死にたかった私へ。

大学もちゃんと卒業して、実家を出て、社会人になっています。社会人はもっと大人だと思っていたけれど、そうでもありません。小さいことでクヨクヨしたり、いまだに「なんであの時避けられたんだろう。もう一度同じことを知らないうちにして大切な人を傷つけるかもしれない」と常に考える後遺症は負ったけれど、まだ生きています。意外と人の中身は変わらないものなんだなって思うけれど、やらなきゃいけないことと、挑戦したいことと、好きなことをしていれば、自分が幸せで、私の幸せを願って支えてくれている友達が幸せなら、それでいいのではないかと思います。しんどくなったら、ホットミルクでも飲んで寝ちゃえばいいよ。

この先はどうなるかわからないけど、もうちょっと、生きていきたいと思います。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?