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寄り添うこと


はじめに

すずめです。
今年一年色々考えたことをふとまとめたくなりまして。筆を取ってみました。

思い返せば今年は去年より忙しく、あまりnoteを書けていなかったなぁ、と。アウトプットが少なくなるとストレスが溜まりやすいので2024年は気をつけたいですね。アウトプットだいじ。

寄り添う、をテーマに考えたことを記述しようと思ったのは12月頭くらいかな。そのあたりから自分は来年何をやるべきなのか、何がやりたいのか、物事とどう向き合うべきなのかがはっきりしてきました。

来年は「だれも取り残さない」を胸に日々活動して行きたいですね。私の毎日の行動の全ては「探索と創作」の中に入るわけですが、今年一年、人生で1番沢山のコミュニティに入って活動する中で「取り残されている人がいる」ということを頻繁に感じるようになりました。

目に見える形でなくても、心理的であったり、何となくその場の雰囲気に乗れなかったり。別にそんなの気にしてどうするの?と思う方もいるかもしれません。
私は幼い頃から人の心理状態に対して敏感なところがあり、そんな自分が嫌にもなりながら、あれやこれや色々考え人と接しています。家に帰って1時間くらいその人のことが心配になって考え込んだり、自分の反省をすることはざらにあります。その中で、自分がいるコミュニティもしくは、一回限りの場にそのような人がいるのは純粋に寂しいし、「場」としてそれは本当に豊かなものなのか、と考えるようになりました。
そこで、「だれも取り残さない」を常に考えて動いてみようと思ったのが6月くらいのこと。2024年はもっと豊かな場づくりをしたいとの考えから、この言葉を胸に留め歩むことにしました。

上に述べたことを心に留める上で「寄り添う」ことは必要不可欠です。それでは今の私は「寄り添う」について、さまざまなジャンルの中でどう捉えているのか?まとめてみることにしました。それがこの記事です。



人に寄り添うって?

人に寄り添う、簡単そうに聞こえてとっても難しいこと。

私は話を聞く、ということを大事にしたいと思う。聴こえる声だけじゃない。聴こえない声にも耳を傾ける。

コミュニティにいたら、そこのメンバー全員が快適にいられるようにする必要がある。全ての人のことを考え、あらゆる事態を予測し、最適な道を探る。すごく時間のかかるものだが、これが寄り添うことにつながると私は思う。特にリーダーにはこれが求められると思うから、仕切る立場になったらリーダーという孤独と闘いながら最高の場が創れるようにしなければならない。今年も何度かその場面に遭遇し、あれやこれや悩みながら場づくりをした。

聴こえない声を聴こえるようにする。
見えないものを見えるようにする。

自分が人生を通してやるべきことはこういうことなのかな、と最近考えるようになってきた。

あっちに行ったりこっちに行ったり、は自分の興味もあるが、知らない世界で見えていないものを見えるようにしたいという思いもある。

人生を通してやるべきことを見つけられると少しほっとするというか、私このままでいいんだなって気分になって肩の荷がおりたような気がする。いつ何があっても、やるべきことはやれた!幸せだった!と思える人生でありたい。


音楽における寄り添うって?

奏者音楽において寄り添う、ということには2つのアプローチがあってその両方が達成される演奏を目標に常に私は演奏している。

一つ目は作曲家に寄り添うこと。
作曲家に寄り添うって色々な方法があると思うが、私は自分の感覚を作曲家に寄せる方法をよく取っている。
そのために、初めて曲を聴くときにはあえて時代背景や作曲家がそのときどんな状況にあったかを調べないようにしている。先入観を持って音楽を聴いてしまうことを防ぐためだ。もちろん、客として音楽を鑑賞するときはそんなことはしない。あくまでも奏者としてある時の話だ。

聴いたことのない曲を初めて曲を聴くタイミングは曲ごとに一生に一回しかない。それをどんな状態で迎えるか、そこを大事にしているように思う。

情報がある状態で聴くこともすごく大事だと思う。ただ、一回目だけは無限の想像ができる状態を残し、作曲家に寄り添いたいという気持ちがやはり大きい。
一回目に聴いて溢れるくらいたくさんの感想や感情を持って、いろいろ想像する。あってることもあるだろうし、間違っていることもあるだろうがその時間が1番好きだ。

そしてその後に、答え合わせのように様々な情報に触れ想像を深める。情報を元に想像するのではなくて、全く情報がない状態から想像する。「創造する」とも言えるだろうか。音楽を創る身としてこの時間は非常に重要だと私自身は感じる。作品づくりには受け身ではなくて、主体的な姿勢が重要だと日々感じているからこそ私はこのような寄り添い方をしているのかもしれない。

その時代を生きたわけではない私が、その時代の演奏者の人たちと全く同じように時代背景やその国の情勢に思いが馳せられた音楽を表現するのは正直不可能だと思う。しかし想像することで、寄り添いたいと常に思っている。その時の自分の精神状態、仲間の雰囲気、会場の雰囲気に合わせて表現することが奏者に求められていると思いながら日々演奏をしている。どこまでできているかはわからないが...

二つ目はお客様に寄り添うこと。
会場の空気を感じ取って、その日、ここにいる人たちでしかできない音楽を作ることも奏者としてあるべきだと私は思う。会場に来て、少し周りを見渡し、一緒に弾いている団員の顔を見て音を出す瞬間がとても好きだ。言語化するのは難しいが、今、ここでしかない音楽を作ることでお客様にも寄り添える音楽が出来上がるのではないか。奏者だけでは音楽はできない。来てくださる方のことも常に心に留めて演奏したいものだ。



寄り添う、と科学

寄り添うことに科学がもっと使われていけばいいのに。と思うことがある。私の好きな科学と、社会は残念ながらあまり近しい関係にないのが現状だ。科学で解明されたことが、社会に寄り添うことにつながる例はたくさんあるのに活用できていないことが身の回りだけでも沢山ある。

サイエンスカフェなど、社会に広く科学を広める方法は模索されてきたが劇的に変わっていないのが現状だ。
研究をするものとして常に自己満足ではなく、社会に還元することを考えなくてはならないと思っている。今年はありがたいことに早くから研究室に所属させてもらったこともあり、そこで得た知識を周りの人に話す機会があった。今年は周りに科学を広める、ということをとりあえずの目標にしていたが、来年はもっと広い範囲に科学を広めたいと思っている。

年始のお仕事は取材2本だが、それも科学を広めるいい機会だと思い、引き受けた。そのほかにも研究室でいくつか新しいプロジェクトをしたいと思っている。研究?なんか堅苦しいな、何やっているんだろう?というイメージを払拭するのが来年の目標だ。

少しでも寄り添える人になれるように、誰も取り残さないように。自分のやりたいことはもちろん大切にしながら常にこれらも考えて2024年は行動していきたい。

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