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ちいさなせかい

1がつ5にち
ボールと子供たち

最近、近くの博物館でアルバイトをしている。そこは小さな子どもがよくくる場所で、地元では比較的名の知れたところだ。

休みの日にシフトが入ると、特に子どものお客さんがたくさんくる。
私の担当する展示室に、ボールを使って体験できる作品がある。なぜだかわからないが、子どもはボールというものがとても好きで、取り合いになることも少なくない。お客さんの多い休日は尚更だ。

今日もボールの取り合いが起ころうとしていて、私が止めようと思った時のことだ。

車椅子に乗った女の子がやってきた。作品はそんなに大きいものではないため、その子は端っこに車椅子を止め、しばらくじっと見ていた。ボールが置いてある地面と、ボールを入れる場所には距離と高さがあり車椅子の子どもが遊ぶには少し難しい構造になっていた。

ボールを手に取ってその子に渡そうと思ったその時だ。器用なことにその子はボールが取れ、かつボールを入れやすい場所に移動して遊び始めたのだった。おまけにボールの取り合いをしている子に対して仲介に入ったり、大きい子にボールを取られてしまった小さい子に、自分が器用に上半身をを捻らせてとったボールを譲っていた。なんとも自然な光景だった。

大人になると色々な知識がつくことから、逆にこちらがお手伝いすることや彼らのことを少し特別な目で見てしまうこともあるだろう。

私はこの小さな世界、が20年後もその先も続くよう強く願った。
知識が増えることにより、普通に遊んでいた車椅子の子供とも少し距離というかそんなものができてしまう。車椅子であることがその子ではないのに、それを先に考えてしまう自分がいることに気がついた。

車椅子以外にもある。その人をその人としてみる当たり前のことができていないのだろう?この日中考えていた。

小さな世界から気付かされることはとても多い。

本当に純粋に人を捉えてる子どもたちを見ていて、未来が見えた気がした。



1がつ6にち
手袋を買いに

どうやら手袋を片方おいてきてしまったらしい。私の手袋の片割れは遠い地で、誰かの想像を掻き立てているのだろうか。誰かの想像の世界に自分の手袋が仲間入りしているのなら少し嬉しい。

置いて行ってしまってごめん。でもきっと君は私の見ない多くの景色を見て、多くの人と出会って、多くの想像の中で生き続けるんだね。

きっと1人で旅をしたくなったのだろう。またいつかひょっこり会えるような気もする。

というわけで新しい手袋を探さなくてはならないのだが、一向に見つからない。納得いったものでないと買う気にならないという性格のせいか、手袋一つ買うのにも慎重になってしまう。

流石に寒い。

毎日夜になるのがおそろしい。手袋という相棒を無くした今、私の手は冷たい風に包み込まれている。

次は誰と旅に出ようか。旅先でまた片割れの手袋にも会えるよね、そう、きっと。

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