コロナ騒ぎでちょっと思っただけの雑記です。
(4/4一部修正)
この騒動で、やむを得ず学校に集まることをやめたり、職場に集まることをやめたりしなければならず、結果として仕事ができない、事業が回らなくなり、経済対策を取らねばならない、という流れがあります。
停止しなければならないこと、停止を求めること、これらの内容は、ちょうど国民の義務と一緒だなと思いました。
国民の義務は、国民が「集まっている」から成り立っていたものなのか、人が集まるところに義務が発生するのか、
いずれにしても「義務とは日常である」のだと気づきました。
という雑記です。
普段は障害者雇用について考えております。よかったらまた見に来てください。