2021夏

2021年9月11日、夏だと思っていたのに金木犀の香りを鼻の奥に響かせてしまってそれ以来、金木犀に出会ってない。金木犀の香りはあまり好きではないけれど、金木犀とは過去に色々あって。わたしはもう金木犀を想うことでしかあの頃の自分も金木犀も救うことができないのでできるだけ思い続ける努力をしているわけですが、金木犀の香りはあまり好きではないよ。金木犀の香りはあまり好きではないので金木犀を見つけたいとも思わないしあの香りで思い起こされる美しい様々もないしでもなんか涙が出てきて金木犀を抱きしめたくなって、そして思いっきり息を吸う。あの時感じてあげられなかった、あの時してあげられなかったことをしてあげようとするんだよ。そんなの意味ないってこと、知ってるよ。この香りはあの時、わたしが感じるはずだった香りじゃないのは当たり前のこと。でもすごいよね、金木犀の香りって分かるもんね。

わたしが今日なぜ転んだかと言うと、話は簡単で、銀杏のカチカチの実を踏んで割れた部分がわたしのスニーカーの裏に刺さったんですね。そしてもう片方の、地面についた方の割れた部分が地面のおしゃれなタイルに引っかかったというわけです。わたしの右足は銀杏によって地面に固定されて歩ませてもらえなかったというわけです。バス発車の予定時刻10分前、バス停まで2分。余裕で着くはずなのにわたしはなぜかダッシュ時と同じ勢いで右足を左前方に引き上げようとしてしまったのです。想像がつくでしょう。右足が固定されたら左足が後ろに滑るってことを知りました。前にあるはずだった左足はいつのまにか固定された右足よりもうしろ、空中で変な方向にぐにゃってたと思います。知らんけど。左足の挙動を認識できないくらい早かったのに世界はわたしにはスローモーションでした。バス停のベンチに座る犬を連れたおばさんがこっちを見てる。わたしは胸の前で腕を組んで、肘を前に出し、着地。一昨日から急に寒くなり始めて今日なんかすごい風強くてさー寒くてさーだから着てたカーディガン。中にも長袖。ご丁寧にヒートテック。お陰で肘無傷顔無傷。すっごー。ユニクロありがとう。カーディガンの肘部分、さすがにちょっとなんかなってる気がしたけど滑らなかったのでほぼ無傷。ありがてえ。ほとんど床に打ちつけただけのジンジンする肘を心配しながら、へそを覗き込むように組んだ腕の間に頭を沈めるとあら不思議。わたしの左足のつま先はついた肘のほとんど真横にあったのです。スローモーションで確実に捉えたおばさんの振り向く仕草、繋がれて隣に座る犬のアホ面。なのに捉えられなかった自分の左足の動き。すげー。左足はえー。

ただただ右足を置いてってしまった、なんかの筋トレ中みたいな格好のまま、あまりの肘の痛さに動けなくなったわたし。横、ギリギリのところを通過する自転車、人の足。自分が小人になった気分だったよ。通り過ぎて行く人たちから自分がどんなふうに見えているのかとかどうでもよくて、わたしはあんたたちの顔見てないし。あんたたちだってお洒落な革靴の先を汚してるし綺麗なベージュのヒールの裏は真っ黒だった。自転車のタイヤには真っ黒になったガムの破片がこびりついてた。あんたたちに惨めに見えるかもしれないわたしの姿、わたしは惨めなあんたたちの足下を見てる。できるだけカーディガンの肘の部分を擦らないようにして片方ずつ丁寧に肘を上げ、ゆっくり手のひらをついた。タイルの床はとっても冷たくて、もう冬なんだと感じさせられてしまったよ。

潰れた銀杏の臭い匂い。風に乗ってここまで届く金木犀の甘ったるい香り。混ざった時、冬になる。タイルについた手のひらには、銀杏と金木犀の欠片。

2021年9月11日、今日は2021年10月20日。1ヶ月ちょっとの間に季節は2度移動して、吹く風はうしろへ、口に出た言葉もうしろへ、金木犀の香りもうしろへ。ただそこにあった今がうしろへスライドされて、過去になる。過去は少しずつカタチを変えて、わたしの中に、煙となって戻ってくる。煙は手をかざすと消えてしまう。わたしの過去は、わたしに触れたら消えるから、わたしはもう過去に触れようとは思わない。

2021年夏。わたしはずっと忘れないよ。初めて痩せなかった夏。わたしはずっと忘れない。ひとりぼっちがいちばん孤独じゃなかった。孤独がいちばん温かかった。映画で泣かなくなった。映画で泣きたくなくなった。でも映画で泣いた。誰かが叫ぶ言葉に泣いた。誰かの涙に泣いた。痛む腕、熱い身体、自分の中にある欲と他から求められる色々。全部、ぜんぶ感じたかった夏。感じられなかった夏。誰のことも好きじゃなくて誰からも好かれなかった夏。Aqua Timezの虹、西野カナのトリセツ、湘南乃風の純恋歌、GReeeeNのキセキ、嵐のLove so sweet。馬鹿にしてた小学生のわたし。カラオケで大声で歌って泣いた2021夏。

この夏21歳になったわたしは、夏を嫌いになり秋を感じないまま冬を迎えようとしている。こんな不誠実なことがあっていいのか。いいよ。ふせいじつに、せいじつに。あとは毎日お風呂に入ることを目標に。

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