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名犬

わたしがまだ小さかったころのアルバムを見返すと、必ずといっていいほど隣には1匹の犬が写っています。

東京の下町で、ブリーダーを営む父の友人から譲ってもらったビーグル犬。
のちに、わたしの版画のモデルとなる犬。

両親が米国のドッグショウで称号を獲た経歴のあるサラブレッドのおとこのこ。当時人気のあったアニメの名犬の名を借りて“ラッシー”と名付けられました。

ラッシーが東京から飛行機に乗って田舎へやってきたのは私が生まれる1年ほど前。まだ生まれて間もないベイビーだったラッシー。
狩猟犬の血を色濃く受け継ぐビーグル、やんちゃ盛りで気性は荒く、家の柱や家具はあっという間に噛み跡だらけ、スリッパはぼろぼろ、家族も血だらけ。特に相性の悪かった祖母は手を噛まれて大変だったといいます。
2月の節分には豆まきの豆をぜんぶたいらげてしまい、「豆がない!」と家族を騒がせたラッシー。水をのむほどにお腹の中で膨れる大豆たち。もう明日にもベイビーが生まれるんじゃないかというくらいの、臨月のようなはちきれそうなお腹をして病院へ運ばれました。名犬とは。

そんな毎日賑やかな小澤家の状況を知ってか知らずか
空からわたしがこの地球を目指し、母の妊娠が発覚しました。
当時のことを母はよく話してくれるのですが、嬉しさと同時に「どうやってこの狂犬がいる中で安全に乳児を育てればいいのか、、」と不安でしかなかったと言います。

母のおなかが大きくなるにつれて、まだまだ名犬とは言い難くあったものの、成犬になってきたラッシーにいつも言い聞かせていた言葉。
“ラッシー、おかあさんのおなかのなかには、おかあさんのだいじなものがはいっているのよ”と
大きく膨らんだ母のお腹の匂いを嗅いだり、首を左右に傾げながら母の話を聞くラッシー。
ラッシー、お母さんのお腹の中に入っているのは豆ではありません。

そして十月十日を経て私がこの地にうまれ、ラッシーとはじめて会った日から
ラッシーは私をいたずらに噛むことも、前足で小突くこともなく、ただ大事そうにわたしの傍を離れることがなかったといいます。

タヌキのきぐるみを着たちいさなわたしがラッシーの口をこじ開けて牙に触れても、自慢の長い両耳を引っ張っても、両手をふりながらうたをうたうわたしの小さな拳が何度頭にあたっても、
あんなに暴れん坊だった狂犬が、けっして怒ることはなく、
おてんばなクレイジーガールを護るように傍にいたと母は言っていました。
ちなみにラッシーは祖父が夕飯をとりはじめると、きまって隣で大きい方をもよおします。笑

そうして一緒に大きくなったラッシー、
13歳のシニアになったラッシーは心臓病を患い、わたしが小学校4年生になった春の日に虹の橋を渡りました。
いのちには必ず別れがあると知ったとき。
いのちの最後はあまりにも突然で、しずかで、
こんなにも苦しいことが待っているということに絶望したと同時に
人間の6分の1ほどしかない彼の生涯のなかで
巡り逢えて同じ時間をすごすことができたことは奇跡だと知った時。

母はこれまでもたくさんの犬と暮らしてきましたが、唯一いまもパスケースにはラッシーの写真が入っています。

そんな我が家の名犬のおはなし。




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