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あと少しだけ航海を ~STU48号船上公演終了の報に寄せて~ [2020年制作記事]

この記事は、2020年7月10日(金)にアメブロに投稿した記事を転載したものです。

僕が彼女を初めて見たのは、2019年5月12日の日曜日、まだ朝早い午前7時過ぎの四国・高松港だった。

前日に四国入りした僕は、ロケ地巡りのために高松港から小豆島へ向かうところだった。


もちろん、彼女が前日からここ高松港に停泊することは知っていたし、行けば"居る"ことは分かっていた。

分かっていたけど、あの時高松駅から港へ向かう足は急いでいたし、大きなビルを抜けて港に停泊している彼女を初めて見た時に、高鳴っていた胸が震えたことを今もよく覚えている。


高松港にて 2019年5月撮影

白い船体に青い線が縦に横に斜めに描かれ、シンプルで疾走感と開放感のある塗装。そして喫水線から下は、セオリー通りの赤色。

そして思った以上に大きい船体の前方と後方には青い字で彼女の名前が書かれ、後方には併せて母港が漢字とローマ字で「広島 HIROSHIMA 」と書かれている。

船体中央の少し前寄りには、国際信号旗において「(貴船の入港を)歓迎する」の意味を持つ「UW2」の文字。


ああ、本当に出航したんだな、と思った。


小豆島へ向かうフェリーが出航して高松の街が遠くなるまで、外に出てずっと彼女を眺めていた。そしてその数時間後、再び彼女の姿を高松港に見た。


高松港にて 2019年5月撮影

彼女の名は、「STU48号」。


高松港にて 2019年5月撮影

その日のことは、覚えているようであまり覚えていないのだけれど、とにかく中から外から様々に写真を撮っていたのは、パソコンやスマホに入っているデータからよく分かる。

もちろん、その日のTwitterのツイートを振り返ってもそうだ。

…と言いながら、その後の乗船時にもやたらと船の写真を撮ってばかりいたけども。


STU48のメンバーも、僕を含めたファンも、ずっと待ち焦がれていた劇場船。

大型豪華客船には船内に劇場があるだろうけど、この船は「劇場船」だ。
つまり、内部の劇場で公演を行うための船なのだ。

そんな船は、おそらく世界中でも彼女だけだろう。


2016年のグループ発足発表と同時に船上劇場の完成が2017年夏と発表されたものの、2018年夏へと延期されそのせいで1stシングルも延期。
さらにそこに2018年7月の西日本豪雨という不幸が重なり、2ndシングルと船上劇場はまたしても延期の憂き目にあってしまう。

しかしながらそれらの逆境を乗り越え、風待ちの日々をようやく終えた彼女と彼女たち。

2019年4月16日、待ちに待った航海は始まった。


あれから1年ほどが過ぎた。

日付が変わったので既に昨日のことだけど、2020年7月9日、STU48号の船上劇場を2021年春で終了するとの発表があった。

そしてその知らせは、22時過ぎに仕事を終えて帰路についた僕もすぐに知るところとなった。


その報に接したとき、全身の力が抜けていくような感覚がした。

自分の好きな場所がなくなる。しかもたった2年で。それはあまりに短すぎる時間だった。

大きな衝撃と共に、喪失感を覚えた。


もちろん、COVID-19のことや維持費のこと、色々な理由があるのは理解できる。

理解はできるがすぐには受け入れられなかった、というのが本音だ。

こうして自分の想いの丈を書き殴るように綴っている今でさえ、ただ吐き出したいだけで書いている。思い出の場所が思い出になってしまうのが怖いのかもしれない。


思えば2018年6月30日に彼女の名前が「STU48号」と決まったとき、僕はさんざん文句を垂れていた。

シンプルすぎるというか安直すぎるネーミング、そして出来レースのような投票。最初からこの名前ありきだったんじゃないかとすら思ったりもした。


広島港にて 2019年12月撮影

とは言いながらも、結局彼女を待ち続けて、出航して、実際に乗って、船内で公演を見て、楽しかったと感想を呟き、彼女が停泊している海を眺めては心を動かされ、エモーショナルな気持ちと共に港を後にする…

気づけば出航からたった1年数か月の間(COVID-19パンデミックがあったので実際には1年も無いが)に、さまざまな思い出が彼女と共にあった。

彼女は、彼女たちや僕たちにとってずっと待ち焦がれていたホームだったし、帰ってくるべき場所だった。


そして何より、彼女と彼女たちに逢う日は、楽しい思い出しかなかった。

彼女も、立派なSTU48を構成する一員だった。


出航の日から今まで、彼女に乗船した日を数えてみた。

ゴゴリバ公演が4回(5/12高松、7/18広島、8/16同、12/20同)と、ユニット公演が1回(7/12岡山)。計5回。
それ以外にもライブ前後に宇品へ船を見に行ったりしたけど、思ったよりは多くなかった。

愛知県と瀬戸内の往復はほぼ新幹線でたやすいといえど、基本的に平日休みだった上に2019年は異動もあって現場に行けない期間があったりした。
もっと行けたようにも思うけど、できうる限りは申し込みをして当選すれば行っていた。

しかし今の僕にとって、この5回は全部がかけがえのない思い出だ。


2020年6月撮影

公演に一層の味わいと説得力が増す、船が波で揺れる感覚。

爽やかな5月の青空と太陽の下、白く輝く船体。

夏の日、夕暮れのデッキの上で瀬戸内の海を眺めながら風にあたって涼んでいた時間。

広島港で路面電車を降りて、彼女が停泊する場所まで10分弱歩いた岸壁。

傘をさして船内に入った後、少し濡れた体を推しメンのタオルで拭いた雨の日。

寒い冬の日でも、熱気があふれていた劇場の中。


残された日々は少ない。

今こうしてこのとりとめのない思い出語りを書き殴っていると、もっと行きたい、彼女の劇場で彼女たちをもっと見たい…そんな気持ちばかりが押し寄せてくる。

特に今のライブも公演もイベントもなにもなくなって久しい状態だとなおさらだ。

いつか来ると思ってはいたけど、こんなに早く来るとは思っていなかった。いつだって別れは、僕たちに断りもなく突然やってくる。


宇野港にて 2019年7月撮影

彼女は来年、役目を終える。

あと何回彼女に会えるだろうか。きっと彼女に会いたい人がたくさんいるから、僕はもしかしたら優先順位を下につけられるかもしれない。

それでも僕は彼女の最期を迎える時、きっと彼女に労いと感謝の言葉を贈るだろう。

「おつかれさま」、「ありがとう」と。


それまでは、彼女もSTU48の一員。

もう少し、あと少し、僕たちの瀬戸内の海を皆で翔けよう。

STU48号、必ずまた会いに行くよ。


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P.S.

彼女の名前を決めるときに僕が考えたのは「テアトルせとうち号」でした。

個人的には今も気に入ってるし使ってくれと思ってます←

(了)

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