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学力って何やねん

0.0.序文

 「オススメの教材が相談相手で異なるので迷っています」「受験に向けて何をしたらいいのか分かりません」そんな相談をたびたびもらうようになったので、そこそこ勤めた塾講師の経験とその間に蓄積したノウハウの一部を明文化してみようと思った次第です。現在進行形で悩んでいる学生さんの力になれればという考え、私自身の中に散在していた思考を記録しておきたいという希望、瀕死の状態で退職することになったのでかつての教え子に「ここにいるぞ!」って足跡を残すこと、これらが5:4:1で混合したものが、この文章の目的です。
 敵を知り己を知れば百戦危うからず。この言葉に倣い、敵とは、己とは、戦とは、の3幕で構成しますが、大半は第2幕己の部が占めることとなります。敵のことと戦のことは時代によって大きく変動しますし、対応技術も日々進歩しますので、それを専門に研究する講師や教諭の仕事を奪ってしまうことを懸念したためでもあります。
 また、本文章の対象は主に大学受験生及びその準備生となります

1.0.敵を知る

 大学受験は、全体で6割の点が取れれば勝負になります。6割3分が合否ラインで、7割を超えたら更に上を狙えます。共通テスト(旧センター試験)と個別試験の傾斜や、個別試験のみの私立大学によってはこの合否ラインが上下しますが、一般的にはそのように認識しておけばよいでしょう。
 大切なことは、入学試験は満点を取らなければならない試験ではない、ということです。入学試験は他の受験生との差を顕著にするためのフィルターです。特に大学の個別入試問題は各大学の求める人材を選出するため、大学ごとの特色が強く出ます。例えば医学部の数学は、細かいミスを自分で予防する能力を有する受験生を絞るために煩雑な計算過程を課す問題が並ぶ、など。
 どんな試験でも、実施する以上は試験の設置意図とそれが反映された特色があるので、そこを抑えることで効率的な鍛錬と得点向上につながるアジャストができるでしょう。

 これは持論ですが、試験へのアジャストに全力を傾けて技術の取得に精を出すのは好ましくありません。例えば、うっかりや凡ミスを頻発する人物が正規でない経路で医学部へ合格できてしまったとして、そのような医者の腕を信用できるのか。日々安定して自己研鑽を積むことができない人物が教育学部へ合格できたとして、自身をアップデートする習慣の無い教師が目まぐるしく変化する児童生徒に対応できるのか。元来そうしたフィルターが入学試験の意義である上、そうして用意された試験問題と相性が悪いのであれば、その先に待っている道ともまた相性は良くないのではないでしょうか。
 私自身、問題との相性は非常に激しいものを持っています。バランス良い丸い人物でないのがそんなところにも出てるんですかね。東大、京大、北大、一橋、早稲田辺りの数学は8割方素のまま解けますが、九州、東北、東工、中央大、医学部の問題などはあまり安定しません。後に学会などで発表を聞いた際、問題の相性が合わなかった場所の研究は、面白みが自分のストライクゾーンから外れていたと記憶しています。
 ですので、あまり校名にこだわらないのであれば、自分の肌に合う問題を出している大学を選ぶのも、入学後の馴染み方を考えると良いのかも知れませんね。

2.0.己を知る

 では本文書のメイン部分、学力と呼ばれるものは何か、を記していきます。学力と呼ばれるものの内訳を述べてから、それを伸ばす下準備に論を広げていきます。

2.1.学力とは

 学力とは、学習や訓練によって獲得した知識や技能、またそれを問題の解決に適応する能力のことでありますが、これを直接量ることはできません。ペーパーテストで量ることができるのはその上澄みである得点力(と仮称します)のみであり、その根底にある習熟度(こちらも仮称です)を量ることは困難です。
 基本的に、習熟度が一定線を超えてから、その土台の上に得点力が乗っていきます。したがって、まずは習熟度を高め、その上で問題に適応する訓練を行い得点力につなげる、というのがオーソドックスな学力の伸ばし方として広く謳われています。中には受験テクニックとして習熟度の底上げを介さずに得点力を身に付けさせる方法もありますし、それにより進学率を上げようとする受験指導者もいます。しかしそれでは入試を越えた先で求められる能力=習熟度を伴わないので、入学した先で研究等に従事しようとすると苦労する可能性が高いです。また、後に記述しますが、そうした受験テクニックは2.3.と2.6.で述べる正確さを伸ばす技術なので、2.5.で述べる精確さをないがしろにし実際に得点が伸びない、というケースが体感で4割ほど見られますので、注意してほしいところです。
 ここで言いたいのは、受験テクニックが良いとか悪いとかではなく、自分が「自分のどの能力をどれだけ伸ばそうとして、どんなトレーニングをするのか」それをコントロールしなければ望む得点力は得られないということです。合格体験記などで見る「教師の言うことに従っているだけでは向上しない」とはこういうことなのですね。
 と言うことで、以下の第2幕では自己分析と向上計画の基となる学力の内訳を説明していきます。教育学や心理学で定義されている諸能力に関してはトレーニングさせる側が把握していればよいので、トレーニングする側が把握することで効果が上がる分野に絞って挙げていきます。

2.2.習熟度

 まずは、私がここで習熟度と呼ぶ、知識を身に付ける度合いとその過程について説明します。ここで言う知識とは、漢字や英単語のようなものから、文法や物理の公式、概念の把握も含まれます。
 知識を身に付ける過程は以下の通りです。
①知る→②覚える→③分かる→④身につく
全ての段階の間には、熟成の期間が含まれます。熟成の期間は不定であり、明確にこの期間が必要だと判明しているものではありません。場合によっては発達段階や知識の再発見によりごく短い期間で収められることもあれば、年単位でかかることもあります。詳しくは教育用語として熟成という言葉を学んでいただければと思います。ここで重要なのは、本を読んですぐさま身につく知識や技能など存在しないということです。
 話を受験生に戻します。

 受験で使用する科目の習熟度として、①知る は「あ~何か見たことあるわ~」状態です。毛ほども役に立ちません。

 ②覚えるは「読める!読めるぞ……!!」状態です。読解問題などでは役立つシーンが多いので、ひとまずここを目指しましょう。また、この①②間の熟成期間に関しては研究が進められており、忘却曲線なるモデルもよく使用されています。簡単にまとめると『忘れかけ状態で思い出すと記憶に残りやすくなる』『人は新出知識を24時間で98%忘れる』『3回復習した知識は70%を1年以上保持できる』といった感じです。これを踏まえた指導者として言うことは「寝る前に復習しろよ」「週明けに振り返りテストするから」「長期休み明けは実力テストな」となります。定番セリフってやつですね。

 ③分かるは「そうか……!そういうことだったのか……!!」状態です。ミステリーで主人公が謎を解いた効果音が鳴る瞬間ですね。この瞬間は麻薬的な快感を伴い、学ぶことの魅力、面白さはこの瞬間に集約されていると私は断じます。物語を読んでいる際、伏線に気付いてゾッとする感覚が非常に近いです。汗が揮発し総毛立つあの感覚ですね。ちなみに「分かった」とリアクションした生徒の95%は、② 覚える段階に達したことをそう表します。これは自戒も含みますが、「分かった!」と自分で感じたその瞬間は「分かったつもり」になっただけで、「分かる」ための権利を手にしたに過ぎないのです。

 ④身につくは、③状態で出力の練習をしたら完了です。自転車の乗り方や箸の持ち方と同じ、どれだけ時を経ても失わぬほどまで至った習熟度を当てています。

 この段階の推移を、私の友人の経験を例にして当てはめてみようと思います。仲間内からは平和の象徴などとも呼ばれていますが、千葉県出身のYさんということで進めていきます。
 Yさんはある日、やんごとなき理由で最終回のみが延期されていた深夜アニメを見ていました。そこで事態の黒幕とも言える邪悪なキャラクターが決めゼリフを放ちました。
「君の祈りはエントロピーをも凌駕した」
Yさんは思います。
(エントロピーって何だ?)
 最後まで見終えたYさんですが、大作を視聴した満足感はあるものの、エントロピーと謎の白い液体の正体が気になってしまい100%楽しめたとは言えない状態でした。作品を全力で楽しむことを諦めない彼はすぐさまネット検索を敢行。どうやら物理学の概念であるとは分かったものの、空も白み出す頃の集中力ではなかなか満足いく理解は得られませんでした。これにて①知るの段階に至ります。
 その早朝。目覚まし時計よりも早くYさんは私の部屋の扉を叩きました。何か緊急事態かと思い飛び起きた私に、彼は言ったのです。
「俺にエントロピーを教えてくれ」
すっとんきょうなリアクションの私に経緯を説明し、wikiに書いてあったことを復唱するYさん。この段階でアウトプットによる復習と答え合わせによる軌道修正ができており、熟成がされています。
 私に礼を言いながら朝食を共にした後、午前を休眠に使ったYさんは図書館へ。友人らに勧められた書籍を2冊借り、その晩から早速読み始めました。数日をかけ講談社ブルーバックスのエントロピー関連を読破した彼は、その内容がするすると頭に入ったようで、エントロピーの概念を理解したつもりになったのでした。これで②覚えるの段階に至ったのです。
 数ヶ月の時が経ちました。これが熟成の期間になりました。
 友人グループで旅行に行くことになり、待ち合わせの店で我々は談笑していました。注文していた飲み物が席に運ばれ、各々が自分のそれを手に取ります。私はアイスティーにミルクを注ぎました。普段はストレートばかりの私に、同席したY含め仲間らは不思議そうな目をします。
「あれ?ミルクティー派だっけ?」
「いや、ストレートかレモン派。でも透明なグラスだとミルク入れたくなるんだ」
「え。なんで?」
「ミルクが広がってく様子を見るのが好きなんだよ」
グラスを置き、混ぜもしないのを見て、友人の物理学者が笑った。
「エントロピー感じてるの?好きだねぇ」
その言葉を聞いたYさんの目が変わった。
「まあね。君はもう仕事の道具って感じなんだろうけども。前にYさんには話したけど、こうしてグラスの中を不均一に広がっていく感じがね、好きなんですよ」
「分かった。分かったわ。ありがとう。マジで」
これが③分かるの瞬間でした。
 この後、件のアニメの映画を見に行った際などは、エントロピーの凌駕を肌で感じて震えたとか。

 以上で習熟度の向上過程を示しましたが、これを踏まえて受験対策に話を戻します。ポイントは2つ。終着点を設定することと、熟成の期間を効率的に取ることです。
 終着点の設定とは、将来的な方向性も込みとなりますが、科目や分野ごとにどこまで習熟度を高めるかという目標を設定することです。高校までで習う知識は8割方が古典なので、就職後に職場で直接生きるケースは稀ですが、少なくとも大学の講義はその上に成り立つので、そこへ繋がる科目や単元は選択的に高めるべきでしょう。あとは必要な得点から科目バランスを逆算し、計画を練ってください。
 熟成期間を効率よく取るというのは、すなわち復習の効率化です。言い換えれば効率よく忘れようとすることなのです。これには大きく2つの方法があって、まず1つは、他の何かに集中することです。それは他の科目の勉強でもいいし、趣味の何かしらでも結構ですが、自らが能動的かつ積極的に取り組めて、さらに短時間で切り上げられるものが好ましいです。具体的には20分程度でしょうか。私がやったことを挙げると、暗記した英単語を熟成させるために化学の演習、地理の演習、実況パワフルプロ野球、モンスターハンターなどです。
 そして2つめの方法として、リラックスタイムを設けることです。食事、入浴、睡眠などですね。特に睡眠は、その最中に脳が記憶の整理をしているとも言われており、その前後の取り組みを覚えておきやすくなります。そのため、就寝前と起床後に記憶しておきたい事項の復習を行うのが最も効率的と言えるでしょう。短時間の昼寝や食事の前後も活用できます。
 以上が、科目を問わないインプットの効率化についての基本事項です。感情を伴ったインプットの方が定着しやすいとの説もあり、それを有力とも思っていますが、大学入試に必要な知識の分だけ感情を揺らすのは体力的にも技術的にも受験生自身には難しいので保留しています。

 余談ですが、ここで述べた習熟度の④は、能楽や歌舞伎で言われる修得段階『序破急』の序の修了を指します。改めてここから、「これってどういうことなんだろう?」と前提を崩して深掘りするのが、破、すなわち探求の道だということですね。1+1が2になるのは何故か、とか、0で割ってはいけないのはなぜか、とか、賢い小学生が疑問に思うことは、高校数学内容でだいたい説明可能なので、本当に知りたがっている子どもには数Ⅲまでの教科書を与えれば勝手に解決するでしょう。実際にそうして自分の疑問を解決した小学生も見ましたし。ともあれ、先行研究を真摯に読むのが探求の第一歩であることは間違いありません。

2.3.得点力

 「あんなに勉強したのにテストの点が伸びない!」なんて経験はありますでしょうか。そんなシチュエーションに対し、某通信教育商材の販促漫画などでは「やり方が悪かったんだ!」みたいな乱暴な言い方で解決策を提示することがしばしばですが、あの教材はモチベーションの向上に重きを置き、復習のハードルを下げることで2.2.習熟度で述べた①から②への熟成を早めることに特化しているというのが実態です。中学レベルまでならばそれで事足りるのですが、その上へ行くのであればやや足りません。
 そこで、この章では得点力の要素を説明し、次章から各要素の伸ばし方を示していきます。

 まず、2.1.でも軽く触れましたが、本章タイトルにもなっている得点力とは。これはそのまま筆記試験でどれだけ点が取れるかの度合いです。むしろ筆記試験の得点そのものです。
 この得点力を構成する要素は以下の3つ。速さ精確さ、知識量です。
 速さは、文字通り「問題を解く速さ」です。精確さは、元は科学実験の用語から取っています。元の意味は実験の手順や操作を誤らないこと、またその確実性。ここでは「取れる問題で失点しない能力」として扱います。知識量は、前章で述べた「習熟度」を深めた知識の数のことです。
 是非押さえておいてほしいことは、得点力はここで述べた3要素の内で、最も低いものと合致するように変動するということです。必須アミノ酸の代謝と似たようなものです。どれかしら手を抜いていると点は伸びないから気を付けろということですね。

2.4.速さ

 問題を解く速さもまた、更に3つの要素に分けることができます。①物理処理速度②情報整理速度③選択速度です。これらは、自分の得手不得手を把握できていれば、ある程度ならば1つの要素で他をカバーすることが可能です。
 では各要素を見ていきましょう。

① 物理処理速度
 読んで字のごとく、手を動かす速さです。ただ、瞬間的なトップスピードではなく、20~30分でどれだけの文字が書けるかという持久力的な側面もあります。これは「テスト上の全ての問題が回答可能な場合、制限時間内にどれだけ回答できるか」という部分にかかってきます。ものの例えですが、東京工業大の数学は完答するなら1題30分で解き切らねばなりませんが、大半の問題集には目標時間40分~60分で記載されています。旧センター試験の問題も、目標時間は15分と書かれつつ、最終的に見直しをするのなら実際は10分~12分で解かねばなりませんでした。つまり初めから試験の時間設定はカツカツなのです。その中で点を拾っていくのなら、必要となる速度を把握して、それを超えていくことが不可欠です。
 ではどうやって物理処理速度を上げるのか。答えは筋トレです。
 速度を上げるには負荷を軽くし、限界以上の速度に体を慣れさせるのが効果的です。陸上選手の空中脚掻きや、メジャーリーグ投手の軽量球を用いた投げ込みが代表的ですね。ペンを動かす速さも同様に、考え込まなくても解ける程度の問題を可能な限り速く解いてトレーニングするのが効果的です。数学なら連立方程式を初めとする計算問題や得意分野のもの、漢字や英単語の書き取り、生化地地歴の一問一答の記述回答などが該当します。目安は15分やったら前腕がプルプルして握力が低下するくらいのスピードです。10分なり15分なり、時間を決めてトレーニングしましょう。

② 情報整理速度
 問題を解くのに必要な情報を、自分が参照しやすい状態に整理する速さです。下拵えの速さと言い換えてもよいでしょう。効果が見えやすいのは数学の図形問題ですが、現代文の某有名予備校講師が提唱している、現代文や英語長文における論理構造の整理もここに含まれます。
 いわゆる回答テクニックの内、時間短縮に関わる部分と考えてください。つまりこの速度は技術を身に付けることで向上させることが可能なのです。回答テクニックは物によって合う・合わないが存在するので、切羽詰まった人はそんな博打に手を出さず、①で述べた筋トレをやってください。3週間もトレーニングすれば、筋肥大はともかく速度は上がるので。
 ではこの情報整理速度はどのように上げるのか、ですが、それに関して詳細をここへ書くことはできません。大きな理由は3つあります。1つは、数が膨大であることです。全てここに記すことが困難であり、記すのにも2年ほどの月日が必要でしょう。2つめに、想定している読者である高校生の能力を考えたとき、ここに記した技術の取捨選択ができないだろうことがあります。自分に合うか合わないかはやってみなければ分かりませんが、そんな時間はもったいないことこの上ないし、ある程度経験を積んだ講師ならば4コマも相手をすれば生徒の肌に合うテクニックの傾向が分かるので、そちらを頼る方が速く確実です。3つめに、このテクニックの知識こそが大学受験対策を生業にする講師の飯の種であるということが挙げられます。他の方の収入に関わりますし、ここで無料公開することで業界に打撃を与えたいつもりも無いのです。雑に表現するなら「無料サンプルはここまで」ということです。
 ただ、注意点を述べておきます。数学の途中式、物理の模式図、英語長文の注釈、選択形式問題での消去法のチェックなど、回答の助けになるものは省略しないでください。そこを省略して時間を稼ぐくらいなら、筋トレして記す時間を生み出してください。省略可能なラインは存在しますが、それを伝達目的で言語化することは受験生にとってマイナスになるため回避します。
 また、2010~15年ほどでホットワードだったメタ認知能力同時並行処理能力などはここに関係してきます。個人ごとの適性差が非常に大きいので、これに関しても安易な記述は避けさせていただきます。

③ 選択速度
 最後の速度要素であるこれは、1つ1つの選択・決断の速さです。その選択の正誤はともかく、選択を前に悩まない、心の強さと言い換えてもいいでしょう。
 定期的に某SNSで流行するトロッコ問題を例に挙げてみます。「暴走トロッコの切り替えポイントに貴方が立っており、ポイント先の片方には5人の作業員、もう片方には怪我をして倒れた人がいる中で、貴方はそのどちらに向けてポイント切り替えレバーを操作しますか?」という問題です。先に述べておきますが、これに正解はありません。回答者の、政治哲学における主義を明らかにする心理実験であるので、不特定多数を率いるリーダーの資質があるかどうかが分かるだけです。この選択の速さが、本項で述べてる選択速度です。
 問題に対する回答が速いのは、その問題を既に知っていた、もしくは自身の流儀が明確である場合の2通りです。事前の問題流出による不正をしていない限り前者は無いので、後者に絞って話を進めます。注意喚起のため記しておきますが、類似パターンを知っていた場合も後者です。
 この要素を伸ばすには4つの方法があります。1つは、2.2.で述べた習熟度を④身に付く状態まで伸ばすこと。既に述べたように、この段階は自転車に乗れるようになって1年が経ったような状態なので、本項②で述べた情報整理を行いながら同時並行で選択することができます。加えて、高校生にとっての掛け算九九の扱いもまた同等なのでそれをイメージしていただけると幸いですが、そこまで習熟度が深まったならば、そもそもそこに選択の余地は無くなるのです。
 2つめは、選択を迫られた際の判断基準を設けておくことです。1つめと重なる部分もありますが、例えば「2次関数は初手で平方完成する」「長文中の関係詞・接続詞をチェックする」「平衡の問題は反応式までで撤退する」など、自分なりの基準を設けておくことで、さてどうすっかな、と考える時間をカットできます。ただし基準は自身で設けるようにしないと、不測の事態に対応できなくなりますので注意してください。
 3つめは、自身のパニック状態を抑制すること。緊張にしろ、高揚にしろ、平時と異なる精神状態であるならば精神活動である選択行為はその影響を受けます。だいたいは悪い方向に。このリスクを避けるためのルーティンを構築するのが対策の1つです。
 最後の4つめは、安易に勧められるものではないのですが、自らを死地へ追いやることです。熊に追われる、自転車で富士山を下山中にブレーキが壊れて高速走行のまま止まれなくなる、自動車に撥ねられる、原因不明の激痛と呼吸困難に見舞われる、強盗に遭遇するなど、「あ。これ死んだわ」という悟りとも呼べるような境地を経験すると、試験程度なら「これで失敗しても死ぬわけじゃないしこれでええやろ」と、選択で迷うことが無くなります。悪い言い方をすれば緊張感がまるで無いということですが、要は「ダメならそれまで」と腹をくくっている状態ですね。この状態にある人は何に取り組んでも一定以上の成果を上げます。怖いものを怖がるという人間性の一部を欠いているので、変人扱いと言いますか、サイコパス扱いを受けてしまう場合もありますし、能動的にこの境地へ至ろうとする人はともかく、外部からここへ引っ張ることはできないので注意が必要です。

 速さの3要素の説明は以上です。
 読んでお分かりかと思いますが、いずれも一朝一夕で体得できるスキルではなく、地道な積み重ねによってしか向上しません。また、勉強は量か質かというような議論がありますが、答えは速さです。速さを上げればどちらも確保できるからです。私は旧センター試験6教科8科目を5時間ほどで完答できたので、数学の難問1題に3時間をかけても1日の勉強サイクルに余裕がありました。そこまでの成果が得られるとは予想していませんでしたが、それを狙って受験勉強の最序盤に自分の速度向上トレーニングを行ったのでした。
 また、本項最序盤で述べましたが、速さの3要素である①物理処理速度、②情報整理速度、③選択速度は互助が可能です。私自身は①の物理から入りましたが、教え子には②から入って私より速くなった者もいました。トレーニングに関して、①は成果が上がるまで時間を要しますが愚直な姿勢でも前進できます。②は解答テクニックではなく解答補助のテクニックを持つ指導者が必要ですが短期間での向上が期待できます。③はトレーニングとかいう話ではないので自らの経験でカバーしてください。
 何をやったらいいか分からない人は、物理的な速度から上げていくといいですよ、ということで、本項を締めさせていただきます。

2.5.精確さ

 「正確さ」とは異なるのでお気を付けください。2.3.で軽く触れた通り、本項で述べる「精確さ」はミスをしない・リカバーする能力です。ケアレスミスをしない能力、取れるはずの点を確実に取る能力、とも呼べるでしょう。そして何より精確さは、この文書で述べる全ての中で伸ばすことが最も難しい能力なのです。なのに、世の試験にはこの能力を試す主旨のものが大変多く、大学入試でも主たる潮流のひとつです。

 さて、読者の皆様は自身のミスの傾向をご存知でしょうか。成功するパターンと同様、失敗するパターンも言語化し、自らを律している分野が如何程ありますでしょうか。精確さ向上のためにはここを把握し、適切な対処を行うことが不可欠です。
 精確さの欠如による失点が大きなウェイトを占める数学を例に、精度向上トレーニングの手順を紐解きます。
 解説で用いられている公式や定理は同じものを使用しているのに回答の値が異なるといった事態に見舞われたタイミングがスタートです。まずはノート(可能なら罫線アリ)に、5行飛ばしで模範解答を書き写します。次に、模範解答で省略されていたと思しき途中式を、空けておいた行間へ補完していきます。「こんなの書かなくても分かるだろ!」と思う式から書いていくのがコツです。そこまで済んだら、ミスした回答と比較してミスの要因を把握しましょう。ここで気を付けなければならないことがあります。ミスの要因を必ず外部に見出してください。その後、その要因を撲滅するための対策を立て、実行します。よくある落とし穴として、この対策で「次から気を付ける」という精神論を持ち出して具体的な取り組みを変更しないケースが見られます。これは取り組むだけ時間の無駄です。厳しい言い方をしますが、精神論に生産性は無く、習熟度向上の熟成期間に替わるだけです。それも体力を消費しているので、同じ時間仮眠を取った方が生産性は高いです。したがって、必ず物理的な変更を伴うようにします。

 具体例を出します。微分法の問題で最後に定数項を求める際の分数の加減で計算ミスをしたとします。事実、困難な問題の最後に待つ1~2桁の加減法でのミスは最も見られるケアレスミスのひとつです。このミスの要因を自身の注意が欠けていたこととする生徒さんが多いのですが、ここでもうひと段階掘り下げます。「何によって自身の注意は散漫にさせられたのか?」これを外部に探し、対策を立てます。人によっても時によっても見出されるものは異なりますが、実際に私の指導中に出てきたものを4つばかり挙げます。
①「お腹が減っていた」
→「本番を想定し、解答中にエネルギー切れや血糖値の急上昇による眠気を引き起こさないよう、献立と食事の摂取タイミングを確立する。そのために、まず参考文献(講師の貸し出す医学新書)を読み理解度を量るためのレポートを1週間以内に提出する(レポートの形式は簡易なものを特別に指定)」
②「周囲の雑音が刺激となっていた」
→「試験会場でも他受験生の記述音や自然音は絶えないので、自分が捉えやすい音の傾向を掴むため、アウトプット時に限り動画サイトからBGMを再生(自然音を複数種類と特定周波数の特集動画を選抜したプレイリストを講師が作成し受け渡した)し、ミスのばらつきを比較する。その結果により具体的な対策を決定する」
→「調査の結果、直接の原因は環境音ではなく、目を通した問題に自分の不得意分野が登場した際に感じる拒否感が転じた緊張であることが判明。回答時のプレッシャーを希釈するため受験時の得点プランを作製する」
③「計算に用いなければいけない項が途中で消える、ないし書き換わる。原因不明」
→「講師の監督下で3~5学年下の問題を暗算で試みる。これにより同時並行処理能力を量った結果、不得意であることが判明した」
→「1動作中に介在する処理を1~2まで少なくすることでミスはしなくなったが、式を多く書くので時間が足りなくなった」
→「物理処理速度を現在の4倍まで上げるためのトレーニング(メニューは生徒が案を出し講師が調整したもの)を敢行」
④「代入する値を取り違えた」
→「各過程で算出した値ないし式が何を表すのか、日本語でもナンバリングでも記号付けでもよいので補助表記を行う。その補助表記の規則を制定理由と共に3日以内に作製し提出する」
 このように、具体的に、物理的に取り組みを変化させることが必要です。上に挙げた例はいずれも、生徒ごと特色に合わせて副次効果も狙っての設定でしたので、そのまま転用しても上手くいく保証はできませんが、早ければ2週間、平均5週間程度で計算ミスが8割減り、テストの点で20点以上の上昇を見せました。

 ミスをするからといって、それは自身の習熟度が低いとは限らないのです。新しいことを知ることも大切ですが、知っていることを間違えずに表出させるこの精確さが、合否の境界のひとつであることは広く知られるべきでしょう。また、こうしたミスの補い方、すなわち精確さの向上方法ですが、人の発達段階と密接な関係があると示唆されていますので、科目の専門性を売りにした者よりもむしろ、初等教育または特別支援教育に覚えのある者の方が、高い指導適性を持つでしょう。
 長々と書いてしまいましたが、言いたいことは「ミスを重く受け止めろ」ということです。「分からない」を解決するより「分かるけどできない」を解消する方が圧倒的に難しく、また重要なのです。

2.6.知識量

 既に記した2.2.習熟度と同義です。選択の正確さと言い換えてもよいでしょう。この伸ばし方に関しては2.2.習熟度を参考にしていただくとして、本項では連結分野同士の知識でカバーすることが可能であるという点について述べていきます。
 例えば生物で登場する浸透圧の計算ですが、同じタイトルの単元が化学にもありますし、計算過程の導出は物理分野にも類します。1つの科目で理解し切れなくても、別の教科書を読んでみるだけで解決するケースもある、ということですね。先生や同級生、先輩など、既に理解している(=知識を身に付けた)人に話を聞くのも手っ取り早い手段です。また、理系科目で出てくる公式は、大半は基本法則を表す式を積分すれば導出可能です。ですので微積分の定義をおさえ、覚えたい定理の概要を自分でかみ砕いておけば、時間をかけることで回答できます。物理の教科書に載っている公式の剛体の運動に関するものは、運動方程式、作用反作用の法則、運動量保存則を抑えておけば、残るメジャー所30式あまりは導出可能です。
 地歴も互いに隣り合わせなのですが、試験だと重複して受けられない制度になっているので割愛します。公民を他領域と絡めるのは高校生にとって難度が高いのですが、結局のところ歴史を積み重ねた上で1番マシと考えられている形で現代社会が立っていると思ってください。問題が無いなんてことはありませんが。
 連結分野の他知識でカバーする、という行為が最も危険視されるのが英語と現代文です。ちなみに不可能ではありません。なぜ危険視されるかと言うと、どちらも「長文読解をテクニックで解く」風潮が強いためです。実際問題、長文の要約は0点でもその他の内容に関する選択問題は満点を取れる、というような読解テクニックは存在します。私も使用できますし、2020年度入試まででそのようにして読解で高得点をマークした生徒も多数輩出しました。現代の大学入試対策ではこうしたテクニックの伝授が主であり、文の内容を解釈する能力の向上と反するのです。難関と言われる大学では要約を初めとし、内容を解釈する能力を見る問題を設定するのが主流なので、ここでまたギャップが生まれてしまうのも頭の痛い部分ですね。
 話を戻しますが、英語にしろ日本語にしろ、なんなら中国語にしろドイツ語にしろ、言ってる内容はだいたい同じです。文を書く人は否定されたくて書くわけではないので、どこかしらに読者が理解するためのとっかかりがあるのです。他知識でカバーする、と言っていますが、長文読解に関してはモロに「その文で述べている内容に対する知識」で勝負することが可能だということです。
 英文を書くのは面倒なので日本語で具体例を出しますが、例えば身体論に関する文が問題で出たとしましょう。高校3年生を対象に「身体論に関する文章って読んだことある?」とこれまで30人くらいに聞きましたが、あると即答したのは0人でした。大半は「そんな難しそうな話をわざわざ読まない」と。後に旧帝大へ進んだ2名だけ「分かりません。そのジャンルを初めて聞いたので概要を聞いてから回答してもいいですか?」と返答しました。ザックリ言うと、身体が人間にとっていかなる意味や価値を持つのかという問題を述べる文章で、精神と身体のセットや運動と感覚のセットを対立構造にて解くものが多いです。私が初めて身体論に触れた作品は「史上最強の弟子ケンイチ」でした。次はスポーツ雑誌「Number」の横浜ベイスターズ(現在のDeNAベイスターズ)特集記事。広い意味では漫画「ベルセルク」もそうかも知れません。明確には述べられていませんが「鋼の錬金術師」もそういった解釈が可能な構造をしています。自分の身体がどこからどこまでなのか。スポーツ選手や武術家が道具に触覚を得るならばそれも身体の一部なのではないか。身体と精神は分離したものなのか。などなど。本当に、触れたことありません?合唱や合奏で自分の音色が溶け周囲の音と重なり、存在が厚くなった感覚を得たのなら、それは身体の拡張と言えるでしょう。競技として音楽をやったことのある人ならば、その練習で用いられた文言がそのまま身体論の話題として扱えるということですね。かつて生徒に「身体論の読解やりたいから例文作って」と無茶振りされたときは「タンスの角に足の小指をぶつけるのは死か否か」というタイトルで4000字くらいの文を起こしました。意外かも知れませんが、論説のネタは日常に転がっているのです。
 こうした体験をもとに共通の理解を得る指導(共感主義指導などと呼ばれます)は人格形成に大きく影響を与えすぎるので私はツカミの部分でしか用いないようにしていますが、ともかく、日常に転がっている話題を深掘りして近現代の言論テーマの知識を得ていくことが可能だと知っていただければ結構です。そうして文のテーマを網羅していくわけですね。

 さて、知識量の分野間カバーの話は以上ですが、2.3.得点力の章以降、得点力向上のトレーニングに関して述べてきたので、2.2.習熟度で述べた「習熟度の向上過程」を進めるためのテクニックについてここへ記しておこうと思います。と言っても一般的に言われていることばかりな上、細かいツールは多岐に渡ってしまうのでザックリとになりますが。
 習熟度向上の過程ごとに小技を紹介していきますが、全体に共通することが2つあります。自分で丸付けをすること。分かり切っている(と思っている)内容の復習を行うこと。これは絶対です。それ以外は、人によって合うかどうか異なりますので強くは勧めませんが、この2点は必ず実施し、その上で以下の小技を試すようにしてください。

① 知る
・初めて遭遇する情報は、既知の事柄と結び付けることでインプットしやすくなります。好きな漫画の英語版で名台詞を読んで語彙を増やすとか、そういったものですね。
・情報のインプットを行う際に、何かしらの感情や身体的刺激を伴うと記憶に残りやすいと言われています。かつて忍者が伝書の内容を記憶する際に、刃物で自身の脚や腕を傷付けることで痛みや苦しみにより文字通り情報を頭に刻み込んだとか言われます。そうでなくとも、自身の感情が強く揺れた事件やシーンは覚えているものかと思いますし。
・初めて得た情報は24時間以内に復習してください。復習とは記憶に残っているかどうかを確認するためのアウトプットと、抜けていた情報の再インプットを併せたものを言います。以降の復習タイミングは当事者にお任せですが、既に述べたように忘れ切らない内の復習を3度は重ねるようにしましょう。

② 覚える
・インプットした情報が頭に根付いたら、アウトプットの練習をしましょう。つまりは問題演習です。問題を解いたらすぐに答え合わせをしましょう。可能なら、丸付け後に問題の方へデキをチェックしておくと、後の復習が容易なうえに指針調整の際のデータベースとして用いることが可能です。具体的には、完答:青、部分的に失点:緑、全然分からん:赤、というように色を分け(色とその設定は自身で決めてもらって結構です)、解いた回数を正の字で記していくとよいでしょう。これで連続して青が付いた問題は覚えたと評価できますし、正の字が3角め、4角めまでできてくれば自身の得手不得手が客観視できるまでのデータベースとして使えます。緑が多い分野ならば、その分野の知識よりも前の基礎技術に課題があるはずなので重点的に演習する箇所を絞れますし、赤ばかりの分野はもう根本的に間違っているので受験戦略としては捨て問にする選択肢も出てきます。戦略については後述します。
・知識の概要を頭に入れたら、それを他者に話してみましょう。別に人でなくても大丈夫です。ぬいぐるみとか。ラバーダッキングと呼ばれる思考・記憶の整理方法です。後輩にそれを解説するつもりで、自分の言葉で口に出してみることで、新たな疑問が生まれたり新たな気付きを得たりといったことがあるでしょう。私の経験則で7割くらい収穫があります。

③ 分かる
・自分の言葉でその情報を解説できる状態ならば、それは『分かった』状態です。この状態をキープし記憶を固定することができれば、それは『④身に付く』に至ったということでしょう。そのためには繰り返しになりますが復習してください。
自分で作問してみるのも1つのトレーニングです。やってみることで問題作者の思考に触れることが可能となるためです。ここまでくると回答によって問題作者及び採点者との会話が可能です。これは気の知れた友人との雑談と同様に楽しい(狭いコミュニティでのみ疎通可能なスラングを用いたコミュニケーションであるため)ので、感情と絡むことで記憶が定着しやすくなる効果もあります。
・自分がその問題を完答できること前提ですが、問題集や参考書の解説ページの要約も1つのトレーニングになります。回答者(解説者)がなぜその表現をしたのか、あるいはなぜ別案として挙がっていたはずの表現をしなかったのか、という、思想・思考の表現手法に触れることができます。これを自身の回答にフィードバックすることで、より自分の表現したい回答を作製することができるでしょう。

 以上で一人称的トレーニング紹介を終えます。自分に合いそうなものからやってみてくださいね!それと復習の徹底を。

2.7.目的意識

 第0幕でこの文章の主旨を、第1幕で大学入試の概要を述べ、第2幕はここまで学力の正体とそれを向上させる手法について記してきました。この章ではこれまで述べてきた技術を操り指針を決めるための心の働きについて述べていきます。
 武道や、古風な指導者の下でスポーツを経験した人には馴染みのある言葉であるかと思いますが、「心技体の三位一体の境地」というものがあります。その道のプロフェッショナルを目指すのでなければ別にこれを目指す必要はありませんが、それぞれ最低限は有していないと勝負に持ち込めませんので、その内容を紹介します。はそのまま、体力や体調のことです。40℃の高熱に浮かされている最中では成果など出せませんからね。は、受験対策という枠ではこれまでに述べてきたことや各地の先生方が解説しているテクニックが該当します。最後に、これがこの章の本題ですが、これはモチベーションのことではありません。広義ではモチベーションに含まれますが、いわゆる意欲とかやる気とか好意とか、そういったふわふわキラキラした心境のことではなく、自分の執る行動の目的設定を指します。このコントロールができる10代はほぼいないのですが、せめて大まかな設定はできてほしいというのが、指導者側の望みです。

 では行動の目的設定とはどんなものか。前提から述べていきます。
 まずは最終的に到達したい目標を置きます。これは試験だの大学だのは関係無くて大丈夫です。そして後から変更になっても構いません。この目標で見られた例は、○○大学合格、○○大で△△に携わる、恋人が欲しい、将来◇◇の職に就きたい、△△の分野で活躍する人になりたい、幸せな家庭を築きたい、××に負けたくない、将来目標が見付かったときに諦めずに済むようベストを尽くしたい、怒られたくない、などなど。この目標が立たない人もいますが、それは代表的な鬱症状のひとつですのでゆっくり休むか、心療内科の受診をお勧めします。公表したくないというのなら、それは自然な精神の挙動なので無理に表現しなくて構いません。表す言葉を持たないという人は芸術を介した表現活動を勧めたくなりますね。
 目標が定まったら、そこへ至る道筋を逆算し、今すべきこと小さなハードルを見出します。これにはコツが要るので、進路指導経験のある人を頼るとよいでしょう。私は大学進学の相談を担当していましたが、定めた目標によって大学進学以外の道を提示することが多々ありました。大卒資格は保険として非常に優秀ですが、それを得るために目標へ進むためのリソースを使い尽くしては本末転倒なので、それを提示した上で道の選択をしてもらいます。
 そして、この選択が3種類に分かれます。さらに言えばこの選択の種類こそ、本章の主題となります。
 選択は①攻め②守り③無為の3種に分類されます。

① 攻めの選択
 目標へ近付くための選択です。新しいものを手に入れるための行為、勝つための選択と言い換えてもよいでしょう。学習における行動で言うならば、習熟度を深める行為、また回答速度を上げるためのトレーニングがこれに分類されます。成果・成長を実感しやすいのがメリットで、そのせいで次に述べる守りの選択を忘れがちになるのがデメリットです。

② 守りの選択
 目標から遠ざかるのを防ぐための選択です。取りこぼさないための行為、負けないための選択と言い換えてもよいでしょう。学習における行動で言うならば、復習や精確さを向上させるトレーニングがこれに分類されます。既に述べたように攻めの選択の派手さの陰に隠れやすいため、あえて強く表現しますが、これを怠ると負けます。

 ここで、③へ入る前に具体例を示しておきます。
 サッカーの日本代表に選出された選手や監督が一時期よく述べており、本にもなっているので気になる方は読んでみるとよいかと思いますが、何事かと言うと「役割の厳守と放棄のバランスが勝利の鍵だ」という話です。サッカーは他に比べてゴールが大きく、ラッキーパンチで点が入りやすい競技です。単純な面積比較ではラグビー、アメフト、テニスなどの方が大きいのですが、相手選手の挙動を加味した際にそう言われます。ですので、現代サッカーでは守備戦術がまずもって語られます。将棋が玉の囲いを重視するのも同様です。1人1人に守備的役割を持たせ、全員がそれを全うすることで失点を確実に防いでいくのです。まず守り、相手の攻撃をしのげば逆転のチャンスは巡ってくる、というスタンスですね。しかし現代サッカーでそのスタンスが浸透した結果、どのチームも守備がガチガチで点が入りにくいという現象が起き始めました。これにより日本代表も点が取れずに引き分けないし敗退する試合が続いた時期がありました。これを打破するために必要だったものは、好機を感知した選手による役割の放棄でした。この攻守のバランス感覚が重要で、それを身に付けるために「自己の判断で行動し自分で責任を負う」経験が必要で、その根底に能動的に取り組む構えが必要なのです。
 詳細は長谷部誠氏なり歴代代表監督なりの本を読んでもらうとして、受験勉強において押さえておいてほしいことは「どうせしんどい戦いに身を置くんだから、それが時間の無駄にならないよう自分で行為の目的を設置しろ」ということです。目的が設定されていれば、結果から成長につながる何かしらを吸い上げることが可能になるので。

③ 無為の選択
 これは自らの意思による選択を放棄した状態を指します。他者からの指示であったり、前例を参照して自らの意思を介在させない選択であったり、または選択そのものからの逃避もここに含まれます。これを経た結果からは、残念ながら得られるものはありませんので、ギャンブル性が高い選択の形式と言えるでしょう。

 さて、以上3種の選択におけるメンタルを、どのように受験戦争で用いるかに話を移しますが、これは単純に③無為の選択を極力減らして①攻めか②守りの目的を設定するべきだ、という話です。往年の人気漫画BLEACHの序盤における主人公の修行シーンでも言われている通り、「退けば老いるぞ、臆せば死ぬぞ」というやつです。

 例として大学入試対策の長期戦略を練る段階を挙げてみましょう。国立大学の人文学系で歴史を扱う学科を志望する高3生がいたとします。史学を志望するだけあって世界史の成績は上々、国語もよく取れているとしましょう。政治経済が並、英語は得点にバラつきがあり、理系科目が悲惨だったとします。共通テストが500/900点、過去問が300/700点程度だったとします。合格ラインまで計300点程上げていく必要がありますね。
 この段階で、2.1.~2.6.で述べた習熟度と得点力を単元ごとに分析します。分析は受験指導を行う者の仕事なので割愛しますが、分析した結果よくあるパターンだったとして説明を進めます。得意とする社会科2科目はその自信の通り、頭打ちと言えるほどによくできています。好きな歴史に時間を割いているため公民の得点がそこまで高くない状態なので、こちらのインプットを習慣づけていけば得点が向上(+20)します。国語は古文・漢文の文法や単語の補強で微力ですが向上(+10・+20)が望めるでしょう。理科も暗記分野に絞って知識をインプットしていけば平均点までは伸ばせる(+30)でしょう。数学は計算ミスが多いので、基本的な計算問題を反復することで精確さを向上させます。これだけで共通・個別の両試験とも得点は上がります(+40・+40)。最後に英語ですが、文の主題を掴めるか否かで点の波が生じているので、修飾部と被修飾部を区別がつくよう、関係詞に代表される修飾文法の再インプットと演習を行うことで、波の低い部分を打ち消せる(+20・+30)はずです。
 ここまでの対策で、共通試験で+120点、個別試験で+90点の合計210点の向上が見込めるワケです。まだ合格ラインまで90点足りませんね。ここで選択の時がやってきます。前段落で述べた内容も知識のインプットとミスの減少とで攻守に分類できますが、より大きな分岐がここでやって来るのです。それは残りの90点をどこで伸ばすのかということ。
 ここで選択に関わってくるのが、大学受験へのスタンスです。受験を、入学後に必要な知識や素養を蓄えるための期間であると考えている(①)のか、戦闘民族よろしく自分の腕試しと思ってワクワクしている(①)のか、据えた目標を達成するための通過点と捉えている(②)のか、一般企業への就職の有利不利が決定するからと面倒ながらやっている(②)のか、「頑張れ!」と周囲に尻を叩かれているから臨んでいる(③)のか……
 ここで③の無為な状態であるのなら、好きなことを探すのに時間を使うのもひとつの手です。やりたくないことに時間を浪費できるほど人生は長くありません。対価を払わずに成果を得たいというような万引きみたいな発想は、そもそも選抜試験の意義に悖るので私は却下しますが、だからと言って苦痛しか生じない何かに従事し続ける必要は無いと思うのです。
 話を戻しますが、この生徒さんの受験へのスタンスが①攻めだった場合、前述したステータスを持っているならば私は英語の増強を勧めます。大学入学以降、世界に発表された論文を読む機会があるはずですし、また好きだという世界史の用語とのシナジーも期待できるからです。逆にスタンスが②守りだった場合、勧めるのは数学になります。文系数学で複数単元に跨った問題が出されることは稀で、それ故に取った対策の効果を実感しやすく、問題の解く・切るの判断も容易で、試験時間の配分やモチベーションの管理が生徒自身でしやすいためです。微分・積分だけ押さえたら共通で+20点、個別で+40点は確実なので目標点にリーチがかかりますし。
 こうして科目の扱いを決めていきます。得点をキープできる安定科目、最低限だけ取っておく守りの科目、そして今述べた勝負科目ですね。得意科目はそのまま得点が安定していくので、あまり得意じゃない科目が勝負科目になりやすい点は注意が必要ですが、こうして受験戦略を練っていくのです。

 別の例として1日の過ごし方を挙げてみましょう。
 起床してすぐ、前日の復習をするのが理想ではあるのですが難度が高いので割愛します。そして朝食を取るのだと思いますが、この朝食に目的を設定することができます。朝食によって身体を起動し1日の能率を上げる(攻め)のが目的ならば、コップ1杯の水を摂取すれば完了します。空腹による日中の能率低下を防ぐ(守り)のが目的ならば、ひとまずカロリーを摂取すべきでしょう。行きがけにパンやおにぎりを咥えていったら効率的です。また、食事にはリラックス効果があり、リラックス状態でのみ生じる閃きの種があることが2018年の脳科学会誌で報告されており、ゆったりとした食事を取ることで効率的な熟成期間を作る(超攻め)ことが可能です。食事で熟成期間を作るのであればその前にインプットが必要なので、朝にここまでやれる人はごく少数かと思いますが。
 次に、平日であれば登校するかと思います。この通学時間の使い方もいくつか案があります。1つは通信教材でよくある単語帳などのインプット(攻め)です。もう1つは、先述の食事と同じく熟成期間に当てること(攻め)です。イギリスのことわざで「3Bが閃きをもたらす」というものがあります。3BとはBath(入浴時間)、Bed(就寝前)、Bus(移動時間)の3つであり、これらは適度な集中とリラックスが混ざり合い先述の閃きを誘発したり、タスクから意識が離れるために「忘れかけ」状態を作ったりすることが可能なのです。他の案として、体力を消耗しないためにバスや電車を使う(守り)こと、体力を保つために自転車や徒歩で通う(守り)ことなどもあります。これらは複数の目的を併合することも可能です。
 学校にて授業なり自習なりで勉強時間がやってきますが、これも個々に1.1.~2.6.で述べられたドコに当たるのかを把握し、自身の得点力向上につながるよう利用するのが重要です。ポッと過去問を提示されたのなら、自分が受ける試験のパターンを知る(1.1.)ことで本番のパニックを抑止する(守り)のを目的とするか、自身のインプット済み知識(2.2.②)の定着度を量る(守り)のか、自身の弱点を探すことで次の要インプット分野(2.2.①)を洗い出す(攻め)のか、ミス防止策(2.5.)の効果を試す(守り)のか。

 こんな感じで、無為な行動を目的あるものに変えていきましょう。目的を設定することでどんなメリットがあるかと言うと、1つの行動から次の行動への移行がシームレスになり時間効率が向上する、無為な行動が減ることで漠然とした不安と向き合う時間を削減することができ精神が安定する、自ら設定した目的を達成することが自己肯定感の内発的向上の条件である、事前の目的設定があることで不達成時の建設的反省が容易である、というものが代表格です。デメリットは、面倒なこと。
 目的の設定から行動、反省へと繋がるこの流れは、ここ10年でPDCAサイクルなどと呼ばれていますが、200年前には日本の武家が書にしたためていますし、1000年前から世界各地でことわざとして言われていることですので、普遍的に成長に効果があると思われます。

 本章で述べたことをまとめると、行動時に目的を設定すること、目的には攻めと守りで大きく2つの種類があること、目的を設定することで改善点の抽出を円滑に行い得点力の向上を加速させること、の3点です。

3.1.戦を知る

 大仰なタイトルを掲げていますが、ようは問題を解く際の手順です。

 まずは問題を解く前に、2.7.で述べたように目標を設定してください。その上で目標から逆算して、自分の攻める目的を設定してください。自分が何の能力を計測ないし向上させるつもりか、という設定です。
 次に解く問題を選びます。実際には指導者が選んで提示するケースがほとんどかとは思いますが、その際にその問題を選択した理由・意図を確認してください。付き合いが長くなるといちいち言葉で確認せずとも分かるようになりますが、問題の選択意図と、可能なら問題の設計意図と、自身の演習の目的とが重なっていることを確認しましょう。これがピッタリ重なることは稀ですが、大きく乖離すると成果が生まれないので注意が必要です。
 その上で問題を解きます。解いたらすぐに答え合わせをします。
 答え合わせまで終わったら、設定した目的が達成されたか否かを判定し、次のトレーニング目的を設定したりスケジュールを調整したりします。
 以上です。こうして書くとシンプルですね。故に実行は難しいのですが。

 問題演習時の解法テクニックの使用感は、RPGの戦闘で補助技を使うイメージです。守りのテクニックで敵(問題)の与えてくるダメージやデバフを軽減ないし無効化し、攻めのテクニックで自身にバフを盛って、最終的には物理で殴る感じです。攻め切れなくても別の攻め口を見付ければ解決するので大したロスにはなりませんが、守り切れないと即死するので守りのテクニック、2.5.で説明した精確さが主ですが、これは日々向上させましょう。「1日休むと取り戻すのに3日かかる」といった言葉が受験勉強やスポーツの強豪チームではしばしば使われますが、これは精確ではありません(言葉が不足しており誤解を招く可能性があるという意味)。ミスを防ぐテクニックは日々変化する自分に合わせて調整する必要がありますし、記憶を定着させるための復習はやらねば1~3日ほどの間近な記憶は消えていきます。したがって1日30分でいいので、どんな日であっても復習はやらねばなりません。先述の言葉はここを指しています。新たな知識のインプットは休んでも休んだ分の遅れだけです。なんならリラックスして効率よく熟成されるかも知れません。
 さておき、問題を解く際にも日々の鍛錬の際にも、守りを徹底してから攻めるのが定石ですので、前に進むのならそこを押さえておきましょう。それさえできれば、あとは自己流だろうが何だろうがだいたい目標へ近付きます。

 あとはこれの繰り返しです。初めに掲げた目標に向かい、後退を防ぎ前進せんとするのですから、どれくらい時間がかかるかは向き不向きがありますが、確実にそこへは近付きます。私も大学受験対策に携わり約10年、長いようで短い時間でしたが、2019年度2020年度大学入試センター試験は900点を取るに至りました。もういい歳なので18歳の頃と比べるとスピードはずいぶん落ちましたが、それでも今が史上最強の自分であると言い切れます。さすがに高校生に向けて10年頑張れとは言いませんし思ってもいませんが、それでも確実に前進するための手段を提供し、その根拠として私自身の足跡を示せるのではないかと考え、ここに記した次第です。

 情報のインプット、記憶の定着は精神的な活動ですので、心の働きが重要なのは言うまでもありません。しかし上手くいかなかったからといってやる気が無いことの証明にはなりません。界境防衛隊の某隊長さんではありませんが、上手くいこうがいくまいが、やる気と成否は直接関係しないのです。その、やる気が空回りがちな人の歯車をはめ込む一助になればという願いで、この文章は成り立ちました。
 細かいスキル・テクニックの紹介はこの文章でしていないので、そちらの紹介や受験対策スケジュールの調整を求めている方は身近な教師や予備校講師に聞いてください。万が一私を頼りたいという奇特な方がいた場合は、最近になって私を引き抜いたオンライン予備校を紹介しますので、有償にはなりますがそちらをご利用ください。

 最後に、この文章で用いたキーワードの数々に関してまとめておきます。
習熟度:知識量と理解度を合わせたもの。教育用語。
熟成:得た知識が記憶に残っている状態で時を経ると習熟度が深まる現象。またそれに必要な期間。教育用語。
復習:記憶を定着させるのに必須な行為。これを欠くと後退する。
忘却曲線:教育用語。人間の記憶の消耗に関する性質を表したもの。
得点力:テストの得点。速さ、精確さ、習熟度の3要素の内最も低いものに合致する。
速さ:問題を解く速さ。それ用の筋トレを続けることで向上させられる。
精確さ:ミスしない、またはミスをリカバーする能力。向上に根気が必要。科学用語。

 では、長くなりましたがこれにてとじさせていただきます。迷える受験生の行く末が祝福に満ちていることを願っております。


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