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成長・習得のステップ

 先日、若い子たちとボイスチャットでワイワイやっている内に、アクションゲームの攻略手順の話になりまして。そのときは会話のテンポを損なわないようある程度まで圧縮してノウハウを伝えたのですが、これを機に形として残すことにしました。
 教育関係者や企業の新人育成に携わる人には耳タコなお話でしょう。
 実働的なスキルアップに悩む方や、趣味などでやっていることの上達が思うように進まない方向けの記事になっております。

 ちなみに、本記事は短期的な成長ステップを扱います。肉体的・精神的な発達段階が変化することを想定していません。
 「学生時代にできなかった・分からなかったことが何故かできるぞ!?」な現象を含みませんので、ご承知ください。


成長・習得のステップには4+1段階がある!

 はい。成長・習得のステップ──「学習の4(あるいは5)段階レベル」とも言いますが──には、見出しの通り4ないし5段階があります。
 早速並べますね。専門用語なので、見慣れていない人には少々ショッキングな字面をしていますが、ベースボール用語の「アウト」を日本野球で「死」と表現するようなものなので、そこは気にしないでください。

① 無意識的無能
② 有意識的無能
③ 有意識的有能
④ 無意識的有能
⑤ 無意識的有能に有意識的有能

 この4+1段階です!
 各段階をキャベツの千切りを例にして説明していきます。

① 無意識的無能

 「知らないしできない」状態です。例とするキャベツの千切りでは、「スーパーで買えばいいから自分でやる発想が無かった」「キャベツを切ることはあるけど細さの限界に挑んだことが無かった」など。
 やったことが無ければできないのは当たり前だろう、という言い方もありますが、ここで言う「できない」は「成果物が存在しない」という意味で、能力的に可能か不可能かの意味ではありません。観測しなければ結果は存在しないので。

② 有意識的無能

 「知っているけどできない」状態です。例とするキャベツの千切りでは、「やってみたけど上手くいかない」「細さが均一にならない」「端が繋がってしまう」など。
 成果物が目標に達してはいないが、目標へ向け着手した状態であると言えます。
 新しい情報を得たときに、実際に手を動かしてみる人は30~50%程度だと言いますので、①から②へ移行するだけで世の人の平均以上でしょう。誇って!自分を褒めて!

③ 有意識的有能

 「考える(脳のリソースを割く)とできる」状態です。例とするキャベツの千切りでは、「集中すると千切りができる」状態です。
 この状態では、まだ監督者が作業を監視する必要があります。なぜかと言うと、他のことに意識(脳のリソース)を割く余裕が無いためです。安全管理とか時間管理とかに、外部を頼る必要があるんですね。
 やってみたことを完遂する人は、着手者の10%ほどとの統計があります。これは創作系webサイトの数字なので全体に言えるか疑問は残りますが、私の肌感覚では多くても20%程度なので大きな乖離は無さそうと感じます。ともあれ、②から③へ移行するのに大きな壁があるわけです。
 これは成果物のクォリティにも表れます。③になりたて、つまり有能になりたてのタイミングでは、成果物のクォリティがバラつくのです。これを安定化させるのに、何度か繰り返しての訓練が必要となります。

④ 無意識的有能

 「考えなくてもできる」状態です。例とするキャベツの千切りでは、「安定した千切りをしながら他の作業と並行できる」状態です。
 これが、その分野で独り立ちした状態でしょう。ここに至るためには、③有意識有能ステップでの反復練習を積み、かつ運とか才能とか呼ばれる何かしらが無ければいけません。ある程度の訓練を積んで、この④まで至ったスキルがあるのなら、あるスキルがここまで来なくても代用することでカバーが可能となります。
 例えば、キャベツの千切りが④無意識的有能まで至っている人がいるとします。その人が初めてトマトをカットするとき、トマトのカットについては①無意識的無能であるはずです。でも、キャベツの千切りで培った刃物の扱い方を応用すれば、トマトについてもすぐに②有意識的有能までは至れるわけです。

⑤ 無意識的有能に意識的有能

 これは成長・習得の最終段階です。「自分のスキルに対し、自分の有意識・無意識を自覚し、他者へ伝えられる」状態を指します。例とするキャベツの千切りでは、「包丁がキャベツの繊維を切断する感覚を感じ取る」とか「僧帽筋から三角筋を使って包丁を上下させると切り口が安定する」とか「包丁の上下を安定させてから利き手と逆の手で千切りの細さを調整する」とか、複合していて無意識に扱っていた要素を言語化できる状態です。
 これは④までの、作業の主体としての才能とは全く別の、言語的・コミュニケーション的な才能が必要となります。「名プレイヤーが名指導者になるとは限らない」とされる主要な原因はここなのです。


ステップを登ろう!

 「登ろう!」とか書いておいてナンですが、どんなステップも無理に上る必要はありません。
 ただ、多くの分野でより高いステップまで到達している人の方が、他の分野でも高いステップまで到達したり、全く新しい分野を開拓したりする可能性が高いのは確かです。社会で使わないような知識で積み上げられた学歴が評価の対象になったり、実務に関わらなくても持っている資格が評価されたりするのはこのためです。裾野の広い山ほど高くなる現象を使った人事評価ですね。

 前の個別見出しでも多少触れましたが、各ステップを上る際に必要なトレーニングは以下のようになります。

① 無意識的無能
↓ 対象を知る
② 有意識的無能
↓ 知ったことをやってみる・できるまで続ける
③ 有意識的有能
↓ 成果が安定するまで続けたり創意工夫を凝らしたりしていると才能があった場合に無意識的に扱えるようになる
④ 無意識的有能
↓ 言語的な技術が十分に備わっている(メタ認知が可能な発達段階にいることが前提となる)
⑤ 無意識的有能に有意識的有能

 そう。基本的に「できるまでやり続ける」しかありません。

 ちなみに、大人・社会人向け教育論として支持の広い、元プロ野球監督の野村克也さんが言う、「選手(部下)に伝えるのは『ツボ』『コツ』『注意点』だ」ですが、これもこの5段階のステップを昇るための行為に分けることができます。
 『ツボ』は②→③間の継続トレーニングで押さえるべきポイントでこれを押さえておかないと練習が無意味化するもの」です。キャベツの千切りの例で表すなら、自分の指を切らないことと千切りの幅を数mmにすることでしょうか。
 『コツ』は③→④間の創意工夫でやる人が自分で掴まなければならないもの」です。人によって思考パターンや体を動かす感覚は異なるので、指導する側は自分の経験や感覚に加え、「あの人はこうだ」とか「別のアプローチはこの人が得意だから聞いてみて」など自分のものと異なるパターンの引き出しも用意しておく必要があります。キャベツの千切りの例で表すなら、千切りの高速化のコツが人によって異なることです。首や肩など大きい筋肉を使うと上手くいく人や、腹筋に力を入れて体幹を安定させると上手くいく人、利き手を脱力させるためにキャベツを押さえている手に意識を集中すると上手くいく人などがいます。これらをアドバイスされて「自分はどんなタイプなんだろう?」と自問・追求できる人がコツを掴みやすいです。
 『注意点』は④で意識から削ってはいけない要素です。安全面、衛生面などです。技術の習得においては、陥りやすい不快な状態を事前に示しておくことも含まれます。キャベツの千切りの例で表すなら、自分の手を含めた安全への配慮が確実に必要でしょう。

 簡単にまとめると、やってみたいことを見付けたら、深く考えずとりあえずやってみるのが第一。次に上手くいく方法を模索(自分で工夫してもいいし、上手い人の情報を集めてもOK)し、ひとまずの達成を果たすまで継続します。その後、その成果を安定させるために振り返り、更なる工夫をしていきます。安定化させてなお上を目指すのであれば、効率化、すなわちスピードアップを目指しましょう。
 そしてこのスキル習得経験を人生に生かすのであれば、一定以上の言語化を目指すことになるかと思います。

 このステップを登っていくのに必要なことは、登ろうとする本人が失敗を恐れないことです。もっと言えば楽しんで登れたらベストです。
 これが苦痛にまみれている、もしくは登った先の報酬が見えない状態だと、ステップを登るために必要な経験の継続が途中で止まってしまうためです。
 そういう意味で、報酬を飽きさせずに提供できるようデザインされている近年のコンピューターゲームは、隠れた才能を見出す機会を多く与えるツールのひとつなのだと思います。


ステップを登った先に

 私の好きな言葉のひとつに「才能の無駄遣い」というものがあります。もとはアマチュアが自主制作した動画に対して、屈折した誉め言葉として使用されてきた言葉です。
 私は「無駄とは豊かさの1指標である」と考えている派なので特にこの言葉を好んでいるのですが、それはそれとしまして。

 自分が「上達したい!」と思ったスキルに対し「そんなことが上手くなって何に役立つの?」と批判する人が多いのがこの世の中だと思うのですが、そんな声は無視してください!!
 タイミングの問題で「今優先すべきことが違う」という指摘は十分にあり得るので冷静な判断は必要ですが、アイテムにしろスキルにしろ、あるものをどう活かすかは自分次第です。あって困ることはありませんし、逆を言えば無いものは使うことができず、チャンスをふいにする可能性が大きくなります。

 大事なのは「今持っているものを使いたおして課題解決に臨むぞ!」という強い意思です。もっと言えば、その意思を根底に置いた、応用の習慣です。

 多用してきたキャベツの千切りの例えを再び使うと、極めたキャベツの千切りスキルを他のことに応用しよう!ということになります。
 薄切りやみじん切りなどの細かいカットを他食材でできるのはもちろん、それまでの工夫の中で食材中の繊維の向きを認識していたなら、野菜だけでなく肉や魚の筋繊維も包丁で感じ取れるでしょう。またキャベツの千切りを美味しくするのに、キャベツ10:レタス1程度の割合でレタスを混ぜると食感に変化が生まれて美味しいと感じる人が増える、という味覚実験があります。この知識や、混ぜながら千切りをした際の感触の変化の経験を活かしたら、料理の味付けや付け合わせ選択にもその知見が活かせるでしょう。
 料理の外へ広げると、手を動かしながら意識を手元から離すという行為が、タイピング時のブラインドタッチや、居合・納刀術や、射撃のクイックドロウなどへ繋がるという人もいるかもしれません。
 頭の良い人は何をやってもすぐに上達する、などと言われるのは、この既に持っているスキルを応用する能力も多分に関係しているでしょう。

 日本のことわざにある「一芸に秀でる者は多芸に通ず」はまさにこれを表した言葉です。

 資本主義を基盤にしているこの世の中、どんな分野でやっていくにしろ競争がついて回ります。そして他者と競争する以上、その分野で一定の地位を確保するには、その分野で活用できる何らかの才能が必要となります。
 述べてきた通り、才能の有無はある程度やり込まないと見えてきませんので、まずは好きなものからやり込んで、自分の才能を発掘していくのがよいと思います。

 好きなものと向いているものや才能の在り処が合致しないこともありましょうが、その先は持っているものの使い方次第。
 この記事がもがく人の一助になれば幸いでございます。

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