表現する事は、特別な事ではない@芸術的人間学Vol.2
■それぞれの個
Vol.1では、正解、答えありきの窮屈さを色々な視点で述べた。
おそらく私達が生きていく上で、個について考えず歩むことは
できない様に思う。家族にせよ、学校にせよ、社会にせよ、
それぞれの個の集合体なので。
そして、日本は島国で、大陸とはまた違う。
日本は、昔から国際化やグローバルと言う言葉を使うが、
よく分かっていない様に思う。
大陸では、宗教、思想、人種、習慣、風習、風土、言語も違う
個の集合体が、国際化やグローバルな状態で、
大陸では、国際化やグローバルと言わなくてもそういう状況が
常にある。昔に比べて日本にも外国人が増えたかもしれないが、
それでも学校で外国人がいれば目立つようにまだまだ少ない。
写真の2人はスロヴァキア人のウィーンにいる知り合い。
世界は、グローバルや国際化が人間の流動で発展してきたが、
今回のコロナは、その人の流動が仇となった。
国際化やグローバルを考えるにせよ、そこはまず個があり、
・島国文化
・大陸文化
の双方を知らずして、国際化もグローバルも理解できない様に思う。
■多様性という言葉
多様性という言葉を近年よく耳にする様になった。
本当は、家を1歩出れば、そこはもはや多様性の世界であるし、
大陸文化というのは多様性の社会で成り立っている。
良い悪いは別として、日本の様な島国は島国文化があり、
内と外や、村社会は根強く残っている。
最近、政治にせよメディアにせよ噛み合わない議論を聞いていると
大陸文化的思考、島国文化的思考がごっちゃ混ぜになっていて、
正論をぶつける人も、島国文化の中でいきなり大陸文化的な
発想で訴えても溝だけ生まれる気がする。また、それらを理解せずに
双方が議論するものだから噛み合わない。
スターバックス、マクドナルドという様に欧米の企業が
日本にも進出する中で、知らず知らず島国文化が大陸文化に
シフトされたり、大陸文化の土壌が無いのに、システムや制度だけを
島国文化で導入を始めている事が多い。
例えばヨーロッパで感動したクラシックを日本でしようとしても、
風土、風習、文化、習慣、気質と全て違う訳で、それは伝える時に、
届ける時に紐解かないといけない事はある。何かそういう部分が
非常に雑に思う。
提議する人間、意見する人間が、個とは何かや、
大陸文化と島国文化を知っていないと伝わりにくい様に
感じる。何事もだが、人はそれぞれ受け入れる事が
できない事や、理解できない事があるのが普通で、
まずは知る事が大切ではないだろうか?
■潔癖症な社会が生む歪
前回の正解、答えありきに繋がる話しかもしれない。
勿論、人間には倫理観や道徳や善悪があると思う。
でも、なぜ人間が戦争を止めてこなかったのだろうか?
なぜ、いつの時代も裏社会が消えてこなかったのだろうか?
芸能界。かつてやんちゃだった人達が、ルックスの良さ、
面白さで一攫千金を狙って入っている人達も多い。
俳優や女優、あのカッコ良さ、美しさが普通で醸し出せると
本気で思うのだろうか?色々すったもんだがありましたの中で
生まれるものもある様に思う。人によってこれは許せる、許せないは
違って、皆が同じ正解と答えを突きつける事が果たして良いのだろうか?
人に牙を向けられる感情の多くが、その人が育ってきた環境、
自分自身が抱えている心や精神の問題もある様に思う。
問題と言うか、自分自身が解決していない問題が正確かもしれない。
正直、人間に問題の無い人間など存在しない。
人に危害や残虐性や盗みなどの犯罪で無ければ、
褒められたものじゃなくても面白かったり、カッコ良かったり
美しかったりする人達はいて、色々な生き方が存在する様に思う。
今のままだと、人は攻撃される事を恐れて、言葉を発しなくなり、
表面上は美しい言葉を言っても、差別や偏見が地下に潜っていくように
思えてならない。潔癖症な社会は、正論や正義に見えて
社会の歪や溝ばかりを生む気がしてならない。
人が人の失敗を許さなくなったら、どんどん人間も社会も
小さくまとまっていく様に思う。
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