業病
ずっと布団から出られない、もう起きてから何時間も経っている。
別にポジティブ思考なわけじゃないけど、大体この世なんて自分から動けばどうにでもなる世界だなと思う事の方が多い。
ただ、どうにもならないことはたまに自分勝手降り掛かってくるし、それのせいで一喜一憂してるのは多分人間の性だと思うけど、ある意味それを乗り越えたら強い人間になってると思う。
でも、広くみたら人間なんて頂点捕食者でのうのうと生きてるだけだから誰がどう生きようとどうでもいい。
その自分勝手が僕に降りかかったのは、
17歳の冬。
酷く手が凍える真冬に、毎日、血が突然止まらなくなって、小さな家の近くの病院に焦って駆け込んだ。
冷や汗が止まらなくて、大きな病じゃないようにと願って一人で待った待合室は人生で最大の地獄だったと思う。
物の数十分で答えは出て、
医師が僕に告げた。
「大きい病院に紹介状を書いたので今すぐに向かって検査して下さい。」
ああ、もうなんでこうなったんだろう。
今まで正しく生きる事だけ、振り返っても恥じる事のない人生を送る事だけ考えて真面目に生きたはずなのに。
そして、その先で更に残酷な宣告を受けた。
「現段階では完治させることが難しく、症状を緩和させる事が限界です。」
その時から僕の人生の視点は大きく変わった。
ある日、治療について母に相談したことがあった。
ただ僕は、薬の相談をしたかった。
「自分の体なんだから自分でどうにかしろ!」
そう言い放つ母は、心頭に発する怒りをそのままぶつけてきた。
全ての親が万能ではないことくらい、勿論理解しているつもりだった。
ただ、映画の見過ぎか。
病気の子に慈悲の心を与えて一緒に歩む親は僕の元には存在しなかった。
そして時は進んで2年経った。
その先で出会った人に少しだけ病の事を打ち明けた事がある。
その中で口々に僕に決まって言う言葉があった。
「まあ、人間なんて皆んないつ死ぬかわかんないしね!」
ああ、正論だ。
気持ち悪いぐらい正しい。
人の心に寄り添わずに、自分と他者を平等にする為に死ぬ事を引き出しにしている。
虚しい、愚か、惰性。
どんな言葉を当て嵌めればいいかわからないけど、
その言葉を聞く日は自分が病を患った日より、少し悲しい日になる。
血は止まらないし、きっと良くもなってないけれど、その瞬間だけ病から開放された気分になる。
そして今日も僕は笑顔でその言葉にこう返すんだろう。
「そうだね。」
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