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自省録

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誰の為でもない、全て自分の為に書いています。
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2023年4月の記事一覧

4/30

4/30

何か勘違いしていないか。自分はなんでもできると、なにものでも知っていると。それら全ては偶像であって真実を知ったことにはなっていない。全てのこの現実で起きていることは偶像で人間が古来より作り出してきた虚像の塊でしかない。何か価値があるようにでっち上げ、それに釘付けになったものが欲しいと思わされたものに労働を強いる。

だからこそ本当に価値がないものでも価値があると思い込むことで世間は回っている。それ

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4/29

4/29

何が原因だ。何が自分がわかるかったのか。そうやって自分を責める日もある。瞑想、読書、日記、筋トレ、全て自分の為にやっていることだ。誰かが阻害していい理由にはならないし、まあ所詮どんな評価を他人がしようとどうでもいい、クソ野郎だと思う。

作品も人間もどんなものも、所詮は他者評価だ、しょうもないし俺は俺であっていいんだと思う。というかそのような主観的選択、アンカリングや色々な無意識から今の判断が続い

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4/28

4/28

系統的エラーを起こす要因として連想記憶がある。誰かからなにかを連想した時にそれがリスクだった場合避けようとする傾向が発生し、そこから考え方が偏っていくことがある。きっと自分もどこがでそういったエラーに無意識に囚われている。全てを考えながら生きていくのは難しいだろうが、システム2にシステム1ができる学習能力を落とし込むように今日もお前は学んでいく立場ななのだ。

常に挑戦者であることを忘れてはいけな

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4/27

4/27

人は往々にして間違った判断をする。見たものをすぐ基準にしてそれを積み重ね、稀に見る事象だったものがその人の普通になっていく。

人間は慣れるようにできていて、自分が挑戦し続けているこういった状況下においても慣れていくものがある。いい意味での慣れもあれば慣れてはいけないこともある。友人や恋人。囲まれていることが当たり前ではないし、今こうして生きれていること自体が当たり前ではない。1年前ずっと孤独だと

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4/26

4/26

AIとの共存、それに適合した職業になっていかなければいずれ人間は淘汰される時代まで来ている。創作物でさえも、中途半端なクリエイティブは膨大なデータの中で散っていき、結局はAIに負けることになる。そもそも絵を描くことでさえ今はAIが高度な提案をしてくるのだ。無意識ではあるかもしれないが着実に人間ができることの肩代わりがAIによって行われている時代がくる。

いつか現代における人間同士の争いも最大多数

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4/25

4/25

人はしばしば自信過剰になる時がある。例えば面接で人を見抜くなんてほぼ不可能だと心理学上証明されているとしても心理学者が面接をするときにはいい人材を見抜けると自信過剰になるように。自分にもなにか自信過剰になっている部分があるのではないか?それを本当に正しい判断をできているのか?

そういったところからまずは自分を見直すことができる。自分が正しいと思っていることは科学で証明されている上でやっているつも

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4/24

4/24

相当な専門家であっても少数の実験を信じてそれを大衆に当てはめてしまうことがある。それはきっと自分もそうなのだ。狭い世界で成功しているという人に憧れて世界の全ての成功がその人が手にしていると思い込んで、憧れのようなものを抱き、結局それを手にすることがあってもこんなものか、狭い世界だったと思うのだろう。

だからお前はそんな幻想の中で生きるのではなく、今できることに目を向けてそれの連続こそが人生なのだ

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4/23

4/23

いつでも人間は完璧じゃない。どんな判断も全てが正しい訳じゃない。その年齢だからこそする判断もあるだろうし、それぞれ生きてきた人生が違うのだから当たり前だろう。

それの価値観がどれほど同じであるか。経験として、知識に対してどれほど時間を使ってきたかで人格の形成は成り立つと考えている。

大量消費社会の中で消費をする側であってはいけない。自分がどのように考えて判断し、何を産み出すことに楽しみを感じる

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4/22

4/22

不確実性の中で人間はバイアスをかけて判断しているその人の性格が内気であるからその内気な性格の人がなりやすい職業を行っていると錯覚するのだ。相対的に見れば例えば、日本人で言えばほぼ社会人なわけで、サラリーマンな男の割合が多いにも関わらずその性格や外見のせいで別のことをやっていると判断されたりすること。

代表性のバイアスがかかっているとそのように人に対しての偏見や偏った考え方になりやすい。そうして生

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4/21

4/21

人はいつ死ぬか誰もわからない。突然に死ぬことだってあるし不慮の事故で死ぬことだってある。要するに明日の自分にできるという安心はいつだってできなかったりするのだ。

後悔をしない人生にする為には判断を正しく行う必要がある。人間は常に色々なものに捉われて生きているがきっと自分も何かに囚われている。正しさはいつだってその状況で変わるし誰かに言われたからそれが正しいことだってある。

今日だってお前の正し

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4/20

4/20

成功している、そんなこともバイアスの一部でしかなく、合理的な判断を下せているということも記憶する自己がねじ曲げた幻想になるということだ。結局正解なんて誰でも自分で決めることができるし、自分で決めて生きていかなければならないのだ。

でも他人や組織から指摘されることが事実である場合もある。それを意見として取り入れることができるモチベーションが自分を進化させることができるのだと思う。

だが最後は決し

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4/19

4/19

自分達の意思決定はどれが正解でどれが間違いなのか。無意識のうちに判断を下して生き続けている自分に目を向け、他者から見たらそれが間違いだと思うことでも自分が正しいと思い込んで決定していくしかないのだ。

さらにはそこに偶然でなにか降りかかって来たものに対して受け入れていくのが人生であって、そこに対してもどのように受け止めるかを考えて自分の糧とするか、それとも悲観的になってしまうか、前者であればあるほ

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4/18

4/18

自分は決して判断に長けてなどいない。そもそも主観が強すぎる人間であればあるほど、間違った判断を下すこともあるのだ。

お前は何のためにここまで生きているのか。どうしてあんな辛いことがあったのにも関わらず同じようなことが起こるリスクを侵しているのか。

欲求には勝てないのか?どうしたって自由に生きるべきだと何回も今の俺がお前に言っている。それでも学ばないのが人間であるというのだろうか。

お前はお前

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4/17

4/17

時は進む。自分の人生は自分で決める。どんな状況もそれが結果として提示されたのであればそれを受け入れていくのが人生だ。

別に誰に生きろと言われてるわけでもないし、誰かに死ねと言われて死ぬわけじゃない。

だからこそ決断をして自分がどう生きるべきかを毎日考えて生きていく必要がある。どれだけそれが誰かの理想とかけ離れていたとしても所詮は自分が最後に今死んでもよかったと思える人生を生きるということだ。

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