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『チェンソーマン』デンジのイメージソングについて語りたい!

 2018年12月~2020年12月まで週刊少年ジャンプにて連載をし、近々アニメ化もする現在も話題沸騰の『チェンソーマン』。この作品はストーリーは勿論、それに伴った様々な考察も含めた奥深い魅力が詰まっている作品であり、個人的にも色んな予想や考察を友達と数時間話し合ってしまうぐらい世界中で大人気であるのは間違いない。

 今回は『チェンソーマン』の主人公であるデンジのイメージソングについて勝手に解説していこうと思います。とことん偏見だし、あくまでも個人の意見なので参考程度に読んでもらえると嬉しいです。(悪魔だけに、ね。…………。)

〇『デッドマンズチェイス』go!go!vanillas

 この曲がマジで第一部のデンジを描いているようにしか見えなくてですね……。

 この曲と俺の出会いはもう1年以上前になるので、勿論チェンソーマンのチの字も知らない時期になります。ただ普通に楽しい曲なので、聴いてて踊りたくなるような気持ちで口ずさんだりもしていました。そしてチェンソーマンを読み終え、ある日偶然この曲を耳にしたんです。そしたらもう、その、「歌詞が完全に、、、それ、、お前、、、」になりました。語彙力の喪失とはこのことです。
こんな解説では意味分かりませんよね。では以降から細かく解説していくことにしましょう。


〇 Aメロ:デンジとポチタの出会い(第1話)

 こちらがAメロの歌詞です。(この曲は割と短いのでA、B、C…と簡単に分割していきます)

 デンジはひょんなことからポチタというチェンソーの悪魔と出会います。そしてポチタと二人で借金返済のために悪魔たちを討伐していくのですが…。
 デンジはいつもポチタと夢の話をしていて、どんなに辛くても明るく楽しい夢の世界の妄想をして眠りにつきます。ポチタ自身も彼の夢の話を聞くのが好きなので、ここのフレーズはピッタリじゃないかと思いました。どれだけ苦しくても馬鹿らしく生きるデンジの姿が浮かびます。


〇 Bメロ:デンジ、公安に入る。(第1話終盤~第2話)

 次にBメロです。

 これは何よりも「ここにおいでよ」という言葉にピンと来る方もいるのではないでしょうか。はい、マキマさんの登場です。デンジはマキマに誘われ、公安のデビルハンターになります。ポチタと一つになってしまったデンジは行き場を失いかけ、そんなときにマキマというデンジにとっての女神?に救われます。まあ、犬のように扱われてしまうのですが…。デンジは新たな居場所で仲間たちとも出会い、公安の一人として戦いに挑んでいくのです。

〇 Cメロ:早川家の日常(第3話~)

 Cメロ。ここは同じようなフレーズが続いているので、この部分の解釈は無理矢理な面もあると思うのでご了承ください。これは俺の欲でしかない(?)

 公安で様々な魔人たちを倒していくごとに、デンジにとって大切な存在がポチタ以外にもできるようになります。それが早川アキとパワー、所謂〝早川家〟の存在です。最初はお互いに息が合わないような関係でしたが、アキともパワーとも戦いの中での信頼が生まれて、共に一つ屋根の下で生活することでそれぞれの価値観などが分かり合えるようになります。デンジもデンジなりに彼らの存在が大きな支えになっているということもゆっくり理解していくのです。

 そんな最中、あの惨劇が起こります。『デンジVS銃の悪魔』です。
 デンジはあの一件でまたもや行き場を失います。行き場を失うというよりかは、戦う理由がわからなくなってしまいます。

何も考えたくない。だったら自分で考えるよりマキマさんに従った方が楽じゃね?

 そう感じたデンジは『マキマの犬』として生きることを決めました。それが新たな惨劇の始まりでもあるのですが。


 「どうしたらいいんだ どこ行きゃいいんだ」という歌詞は、デンジが人生に彷徨っていることをイメージしました。何も考えなくなってしまったデンジに「どうしてもいいさ どこでもいいさ」と声をかけるのはマキマ。「あなたは私の支配下にある」と言わんばかりの圧でデンジを味方につけていきます。

 ですが最後に2連続してくる「どうしてもいいさ どこでもいいさ」だけはポチタの声という解釈をしてみました。作品中に、デンジの夢の中や深層心理世界にてよくポチタの声をした謎の扉が出てくるのですが、その扉は毎回デンジに「開けちゃダメだ」と声をかけてきます。その扉はデンジにとって最悪な状況の始まりを防ぐ最後の砦のような意味を持っているのではないかと俺は思っています。

 デンジの為にずっと心の中に居てくれたポチタは、見えないところで何度もデンジを手助けしてくれている。「どうしたらいいんだ」というデンジの疑問に「どこでもいいさ」とマキマは直ぐに返答して、それを交互に繰り返していましたが、最後の二回だけは「どうしてもいいさ どこでもいいさ」という、一人がデンジに何度も呼び掛けているように感じました。つまりその存在はポチタであり、行き場を失い暴走してしまったデンジを止めようとパワーを呼び起こしたポチタの些細な救済なのかもしれない。俺はそう思うのです。

〇 Dメロ:デンジの答え(第92話~第96話)

 続いてはDメロ。ここまで読んでもらうと気付くかもしれませんが、Cメロ以外の最後のフレーズは毎回「思い出せ」なんですよね。デンジにとって生きるとは何なのか。何の為に戦うのか。忘れてはいけない存在を馬鹿な頭に焼き付けるように何度も繰り返している、という意味に捉えてみました。

 デンジが戦う姿はあまりにも狂気的でかなり残虐な倒し方をすることが多いですが、それがある意味パレードのような瞬間的快楽のように見えてくるんですよね。デンジは何となく戦いを楽しんでいるような、そんな気がします。

 「ティーンネイジ(Teenage)」の意味は「10代」。デンジは16歳なので、まさに〝ジャストティーンネイジ〟というわけです。

 マキマの支配から抜け出したデンジは、大勢の人に信頼されていることに気付きます。みんなのヒーローとして人気になったデンジは「俺はチェンソーマンになりたい」と改めて決意します。そしてマキマと対峙し、この惨劇に決着をつけようと立ち向かうのです。

〇 ラスサビ:デンジのこれから(第97話)

 いよいよラストです。

 ここではまたAメロのフレーズが戻ってきます。「どこまでも馬鹿らしく」というのは、結局デンジって最後の方まで馬鹿なんだ、という意味。まあ精神面で大人になったところも勿論ありますが、何だかんだ自分の欲望には素直というか、発言も基本的にネジが一本抜けている感じがあります。でもそれがデンジの良さなので、色々な戦いを乗り越えた先でもデンジはデンジらしく馬鹿をやって笑っている。このフレーズはそういう風に見えます。

 その中でも決して忘れてはいけないもの。これまで起きた出来事が今のデンジを作っていることに変わりはないので、それをデンジ自身も馬鹿なりに何となく理解しているのだと思います。

 死人(デッドマン)のように何度も蘇って戦うチェンソーマン。みんなの頼もしいヒーローになったデンジは、きっと第二部では更なる戦いを見せてくれること間違いなしです。

〇まとめ

 ここまで長々と読んで頂きありがとうございました。この『チェンソーマン』という作品は本当に奥が深くて、何度読んでも楽しめる漫画です。今回は一応大きなネタバレは避けたつもりですが、これを読んで細かい内容が気になった人は是非一度読んでみてはいかがでしょうか。既に読み終えた人もこの機会に改めて読むことで新しい視点でキャラクターのことが分かるかもしれません。そしてまた機会があれば『チェンソーマン』に対する皆さんの想いも聞かせてください。

 改めまして、最後まで読んで頂きありがとうございました。ではまた。