見出し画像

ハリーポッターと人種差別

ハリーポッターが出版された2000年代当時、自称本の虫で毎日図書館に通い詰めた私も漏れなくハリーポッターにハマった。そこからはや20年、ハリーポッターが私の人生に与えた影響は計り知れない。ハリーポッターのおかげで英語を勉強するようになり、今の私がいると言っても過言ではない。

本や映画はだいぶ前に完結しているが、数年前に舞台版のハリーポッター続編が始まり、また定期的に日本ではハリーポッターグッズが販売されるため、ファンの熱狂は止むところがない。大学4年の時にいっときハリーポッターイベントのグッズ販売バイトをしたことがあるのだが、そこではまだ小さい子供達がグッズを買いに来ていてびっくりした。ハリーポッターが始まった当時にそれこそ私は10歳ぐらいだったので、ハリーと共に成長したといっても過言ではないのだが、この子達は年代を超えてハリポタを楽しんでるのかと思うとその影響力に驚いた記憶がある。最近こういったショップやイベントがあることを知り、ハリポタ熱が再燃しているのだが、また別の観点でハリーポッターの内容を振り返るといくつか疑問が湧いてくることもあった。だが、日本は割とそういった観点に疎いところがあり、なかなか日本語記事も見つからなかった為自分なりに気づいたことをまとめてみようと思う。

グリンゴッツ銀行のゴブリンたち

画像1

我々の世界にも銀行があるように、ハリーポッターの魔法界にも銀行がひとつだけある。グリンゴッツと呼ばれていて、そこで働くのはゴブリン達だけである。ハリーポッターには人間以外の生物もたくさん登場するが、ゴブリン達は魔法も使えて言葉も話せる妖精的な扱いである。ドビー達しもべ妖精も同じく言葉を話し魔法が使えるが、唯一の違いは彼らは人間と同じく働いていて服を着ていることだろうか。

映画公開時は別に何とも思わなかったのだが、よくよく考えるとこのゴブリン達の特徴、ユダヤ人のようではないだろうか?

私はふとシェイクスピアのヴェニスの商人に登場するユダヤ人を思い出した。昔のヨーロッパでは迫害されたユダヤ人はキリスト教では忌み嫌われるお金を扱う仕事に就くしかなく、そのせいで今でもアメリカなどのいわゆる金融の財閥はユダヤ人が始めたものが多い。それしか手段がなかったのにお金を扱うせいでユダヤ人はさらに金品にがめつく、ケチで意地悪な、という形容詞のステレオタイプに苦しめられた。

だがグリンゴッツで働くゴブリン達はまさにそういったステレオタイプ的なユダヤ人の特徴をそのまま捉えていないだろうか。ちょっと見つからなかったのだが、私が小さい頃見たヴェニスの商人のユダヤ人はゴブリンのような見た目だったような朧げな記憶がある。ハリーポッターに出てくるゴブリン達も金や宝石にがめつい描写が登場する。

この辺りはかなり色々なメディアで指摘されている点であるので、これ以上深追いはしないが、興味があれば読んでほしい。

https://momentmag.com/debunking-the-harry-potter-anti-semitism-myth/

ハーマイオニー as 黒人

画像2

ハリーポッター映画シリーズには、知っての通り才色兼備で有名なエマワトソンがハーマイオニーを演じている。ハリーポッターの作者のJ.K.Rowlingは女性の権利についてはとても敏感なため、ハリーポッターに登場する主要女性キャラクターは個性的であると共にとても強くて、賢いキャラが多い。Rowling氏は執筆当時ハーマイオニーは昔の自分を投影しているといっているぐらいで、秀才だがそれを鼻にかけているちょっと面倒くさいキャラでもある。

映画ではエマワトソンのキャスティングについて、当時原作のハーマイオニーの描写に対して美人すぎるのでは?という声が色々あったような気もするが、実生活でもそのままハーマイオニーの如く秀才なエマワトソンには誰もが恋に落ちたに違いない。

だが、舞台版ハリーポッターではハーマイオニーに黒人女優がキャスティングされ随分話題になった。Rowling氏も、ブラウンヘアにブラウンの瞳とは書いたが肌の色までは言及していないので黒人ハーマイオニーもありよね、のような意見だった。舞台版ではハーマイオニーは魔法省の大臣まで上り詰めており、その点舞台版ハリーポッターはかなり人種的な描写としては良い線をいっていると感じた。

ただ、原作では純血(代々魔法族の家系)のマルフォイがハーマイオニーに向かって、「汚い穢れた血め(Filthy Little Mudloods)」というシーンがあるのだが、映画でハーマイオニーが黒人だったらものすごい批判を呼んでいたに違いない...それを考えても肌の色は言及していないと言いつつ、J.K.Rowlingはハーマイオニーが白人であると無意識に設定していたと思う。

ちなみにハリーポッターには何人か主要な黒人キャラクターが登場する。ハリーの同級生のディーントーマスや、グリフィンドールのクィディッチチームにはアンジェリーナというウィーズリー家の双子がダンスを踊るお相手もいる。またクィディッチの試合アナウンサーはリージョーダンという黒人生徒だ。また大人は少ないが、魔法省で働く役人にキングスリー・シャックルボルトがいて、彼はハリーの味方である。

まあそれでも圧倒的多数が白人のホグワーツだが、黒人の生徒はまあまあいるようなので、あまりそういった批判も出てこないのかもしれない。ただ、生徒には多いがホグワーツの先生の一人として黒人の先生がいてもいいのでは?とは思ってしまった。

ハリーの初恋相手チョウチャンとアジア人ステレオタイプ

画像3

ハリーポッターは基本ハリーと親友2人のヴォルデモートとの対決を描いた物語だが、ロマンス要素も割とある。

ハリーの初恋相手はレイブンクローでクィディッチの選手を務める中国系イギリス人のチョウチャンだ。確か本でも、ハリーがチョウを見て一目で恋に落ちるぐらい、チョウは"可愛い"という見た目の描写が割とある。(その後に結婚相手になるジニーについてはあまりそういった描写は登場しなかった気がする)

本が出た当時、ハリーの初恋相手がアジア系だったことに歓喜した覚えがある。ただ今となってはどうだろうか。欧米諸国の男性の間でもアジア系の女の子は従順だし可愛い、という見方は割とあるようだ。Yellow Feverというアジア系女性ばかり狙う男性もいるし、その辺りは純粋にアジア系女性として喜べないところではある。

ただこう考えると、まあチョウが作中で可愛いというのはさておき、頭の良い可愛いアジア人女性キャラクターにハリーが恋に落ちる、というのはなんとなくステレオタイプが入っていないだろうか。これでチョウも、ものすごく作中で活躍してハリーと結婚してればそういう見方はしないのだが、ハリーとチョウの関係はチョウの親友がハリー達ダンブルドア軍団を裏切ったことで終わってしまう上、映画ではチョウの親友ではなくチョウ自身がダンブルドア軍団を裏切った(これも裏切ったというよりは、スネイプが作った真実薬のせいなのだが)せいで関係が終わる、という最悪な描写をされている。

またチョウチャン(Cho Chang)という名前についても、中国系としてはあまり有り得そうな名前ではないらしいのだが、個人的にRowling氏がアジア人を差別する言葉Chin Chan Chonから取ってきていないことを願うばかりだ。

チョウチャンを演じた中国系スコットランド人のKatie Leungは映画公開当時ネット上でものすごい人種差別を受けたそうだが、それをエージェントに相談してもそんなものは幻想、と自分に対する人種差別コメントが出ていることについては喋らないように、と念を押されていたそうだ。何ともひどい話ではあるのだが、この話も最近になってKatieが明かした話なので映画が終わってからかなり時間が経たないと打ち明けられなかったというのは悲しい。

ちなみにハリーポッターには上のアフリカ系と、数えてもインド系(ハリーとロンがダンスを踊ったパチル姉妹)、そしてアジア系、が出てくるが、アジア系はチョウだけである。個人的にアジア系がもっといても時代的におかしくないとは思うのだが、登場人物としてはチョウだけでしかも主人公のヒロイン役というのはバラエティとして少なすぎるのではないかなと感じる。

それ以外の色々

ハリーポッターにはこうした水面下での人種差別的な問題以外に、作中で色々な差別が登場する。

マグル

マグル達はハリー達のように魔法が使えない普通の人間達のことである。魔法使い達はマグルのことをバカにしているが、ハリー達の時代には魔法族がマグルと結婚する例も多々あり(ファンタスティックビーストの時代はご法度という設定のようだが)、また両親がマグルだがハーマイオニーのように突然魔法が使える人間が生まれたりもする。だが一方で昔から続く魔法族の家柄はハリーの時代には少なく、マルフォイ家やウィーズリー家、ブラック家といくつかのみである。ウィーズリー家は純潔なのだが貧乏で赤毛(ヨーロッパだと赤毛なだけでいじめられるという風潮はある)なせいで、魔法界ではちょっとしたいじめに遭っている。ちなみにハリーの場合、父親は純潔なのだが母のリリーはマグル生まれなので、混血と言える。

スクイブ

魔法族に生まれたのに魔法が使えない、または極端に魔力が弱い人たちのこと。原作だとネビルはスクイブなのでは、と言われている。また、ホグワーツの管理人であるフィルチもそうである。両親が魔法使いなのに本人は魔法が使えないということで、ちょっと残念な目で見られてしまう人たちなのである。

屋敷しもべ妖精

屋敷しもべ妖精は主に純潔などの古くから存在するお家柄などの場合そのお屋敷に住み着き使える、いわゆるお手伝いさんのような存在の妖精である。言葉も話せて魔法も使えるのだが、ゴブリンのように普通の服は着られないし(服が支給されたら解放、というのがあるため、大体は古びた枕カバーなどを着ている)給料などもってのほかで家の主人にこき使われる存在のため、多くの魔法使いは屋敷しもべ妖精をそれこそ奴隷扱いしている。ハーマイオニーは作中で屋敷しもべ妖精解放運動などを行なっていたが、本人達や周りの友人には胡散臭がられている。ドビーも元々はマルフォイ家に使えるしもべ妖精だったが、ハリーのちょっとした策でドビーを解放することになり、その後ドビーはその他解放されたしもべ妖精たちと共にホグワーツの食堂で働いている。

巨人

映画で巨人の大人達は出てこないのだが、ハグリッドは巨人と魔法族のハーフであるためにマイノリティ扱いされている。一応炎のゴブレットでは、ボーバトンの校長であるマダム・マクシームも巨人とのハーフであるため、そこまでレアというわけではないようだ。ただ、巨人族はヴォルデモート達との闘いでも闇の陣営側についた過去などがあり、あまりよくは思われていないようである。

まとめ

ヒストリカルコレクトネスについては意見がいくつかあるかもしれないが、ハリーポッターは一応ハリーが1980年生まれという設定のため、舞台としては90年代のスコットランドになっている。それを考えてももう少々人種的な意味で配慮がほしかったところではあるが、その点はJ.K.Rowlingが白人女性であることを考えてもある程度は仕方がないのかもしれない。ただ、白人優位の世界でアジア女性としてこういった問題は今後も黙って見ているのではなく、積極的に指摘していこうと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?