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アクティビズムについて最近思うこと。-声を挙げて伝えることの大切さ-(最後に宣伝も)


 hallo,最近ベルリンでバイト始めました。
1年ほど前、デンマークで初めてバイトした時は英語での接客にドキドキしまくってうまく単語や文を探せないで焦ったりしていたことをふと思い出した。今でも正しい英語がどこまで言えているのかは微妙だけども、あの頃よりよっぽど余裕持って、自信持ってできているなーと成長を少し感じたり。英語での接客が今後の人生でどのくらい役に立つのかと言われればわからないけれど、生活してて何かのスキルが成長したなーと思うことってそんなにないので、振り返って成長を感じられる瞬間があるのはちょっぴり嬉しいものだなと思いますね。


久々に?学校の内容に絡む話をしようかなと。


アクティビズムとは?疑いからの始まり


私が参加しているプログラムは
"Leadership in Systemic activism"
という。どういう意味?え?で何それ?と思う。みんな。そして、私も。
が、最近やっとわかってきたようなきもしていて。
カオスパイロットそのものはビジネススクールであり、リーダー=誰かを引っ張っていく立場のひとのためという要素が強い。そこはベルリンのコースにも通じるものがある。じゃあデンマークと何が違うのか?というと「アクティビズム」という要素にフォーカスを置いている点である。


アクティビズムとはなにか?
「活動家」という訳し方をされることもあるが、日本ではあまり聞き馴染みがないだろう。わかりやすくなるように少し具体的な例を挙げてみよう。
昨年環境活動家=アクティビストが有名な絵画にオイルや食べ物を投げつけることで抗議活動を世界中で行ったことで話題になった。他にも LGBTQに関する問題に対してSNSで声を上げること、入管問題に抗議するためデモを行うこともアクティビズムの一つだ。


 正直にいうと自分でプログラム参加を決意しておきながら、参加した当初は心の中ではデモやストライキするなんてやり方が馬鹿ではないのか?と思う気持ちもあった。また過激な人だという思い込みも抱いていた。そんなことしても「どうせ」社会は変わらないのではないかとも。

 とは言え、プログラムに参加しているし、そもそも具体的どんな活動をしているか、どんな気持ちなのか?が気になって、10月ごろ気候変動に対する大規模はデモに学校の人たちと参加してみることにした。
 会場近くついて、道路いっぱいに広がっているデモの集団を見たときにかなり圧倒された。大勢の人がそこにいるということだけ、ただそれだけでもこんなにも力強さがあるのかと思うのかと知った。


言動に責任を持つこと


 現在の私の思うアクティビズムとは
「自分が正しいと思う考えや主張を言動によって示すこと」だ。
デモなどはかなりスケールの大きい話だと思うが、例えばベジタリアン、ビーガンであることや、店先でプラスチック製品の使用を断ることなども立派なアクティビズムではないのかと思う。日常でもできることはたくさんある。


大切なことは自分の発言や行動に意味があると思うことだ。
 些細なことであってもその一つ一つに影響力があるのだと思い、それをわかった上で行動すること。
日本はいまだに出る釘は打たれる雰囲気が強い。すると、「間違っている」といったり、「こっちが正しいと思う」ということが誰かに抑制されたり、言ったところで止められるから意味がないと発言すること自体を諦めてしまうことが増えていく。
ベルリンはアクティビズムが盛んな街である。デモに参加している人たちや、アクティビストの人たちを見て思うのは、彼らは自分の声や行動が社会に届くと信じているのだということである。そもそも民主主義とはそういうことであるはずなのだが、日本では「そんなの無駄だ」という気持ちの方が勝ってしまって、既存のルールに従うことの方が賢いのであると、行動自体をやめてしまう。が、誰にだって自分の考えを伝える権利はある。もちろん簡単に社会が変わるとは言い切れないが、声を上げたり、行動しない限り誰かに伝わることはありえないのだ。


アクティビズム的思想を増やす

 今私がアクティビストなのか?と聞かれるとまだ堂々とyesと答えるのは怖い。
そもそも大きな声で何かを言うことを避けてきた。「間違っていたらどうしよう」「嫌われたらどうしよう」と思ってしまうからだ。いまだにその感覚はある。
が、もう少し前向きに自分の言動で生み出せる良いインパクトもあるのだろうなと思えるようになった。日本社会という大きなスケールじゃなくて、私の友達とか、これを見ている人とか、そう言った身近な1人、2人にでも与えることができるものがあるのではないかと。その行動自体がアクティビズムかどうかは微妙かもしれないが、アクティビズム的思想=自身の言動に意味がある、影響を持つと思うこと、は今後あって良い感覚かもしれないなと思うようになった。
これはプログラムによってもたらされた大きな学びの一つだ。



Podcast始める話

 ということで急に宣伝に入るのだけど笑
アクティビズムに関してそんなことを感じていた矢先に、デンマークで出会った友達、かつ尊敬できる先輩のともみさんという方と、話している流れで二人でポッドキャストをやることになりました。
自分が気づいたこと、学んだこと、感じたことを共有することに意味があると思い、このnoteも書いているのだけど、実際の友達にやっていることを紹介したことはほぼなくて、このpodcastは私が私として発言している初めてのメディアなので、すっごい怖いなー緊張するなと思っているけれど。
それでもそこを乗り越えて?でもやっていく価値があるかもしれないと思い、やることに決めた次第。


海外にいるからこそ気づける日本への疑問を投げかけてみたり、ゲストとの会話を通して、当たり前の外にいろんな生き方があるのだと知ってもらえたらと思います。
 あとは単純にデンマークについて知りたい人も色々知れると思うのでぜひに。。



とはいえ優等生でい続けなくていい

 アクティビズムに対しての考え方とか向き合い方が少しずつ変わってきたよーという話だったわけなのですが、最後にもう一つお話を。

私はカオスパイロットに入ってから何度か陥ってることなのだけど、何でもかんでも真面目に影響を考えなきゃ行けないことに疲れる!ということ。
少し前のnoteにも書いたのだけど、意味のないことがしたい!と思えてくる瞬間が何度かあるのである。

学校でアクティビズムは役割なのか存在そのものなのか?という話が出たのを覚えている。
たしかにアクティビズムという考え方自体は先程も述べたように日常の全ての行動、取捨選択に思いを宿すことができる。が、そう思っていたら、毎日24時間いい人でいないといけない気がしてきて少し窮屈にも感じる。
少なくとも私には荷が重すぎる。

自分がどうしても主張したい点を主張したいタイミングですることができたらそれでいいと思うようにしたい。
アクティビストだってだらけたいし、しょうもないことで笑っていい。

 人生楽しみたいし、楽しく生きるために社会や世界に対して思うことは行動していく人でありたいです!





 





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