グリーンブック
ファミコンしかなかった。
スーパーファミコンではなくて、普通のファミコン。
テレビに映されるマリオもピクセルを感じる緩慢な動きしかできない。
それでも、ゲーム機自体がない私の家よりは楽しかった。
彼の家に遊びに行くと、いつも彼の母親が入れてくれた何の果物か分からないジュースを飲みながら黙々とマリオを交代しながらプレイしていた。
彼が海を越えた国のオリジンである事はその肌の色や大きな目、特徴的な髪質から何となく感じていたが、日本語は普通に話せていたし、そもそも小学生の低学年の時に議論や高度な日本語を扱うような会話なんてしないので全く不自由なく遊べていた。
ただ、私と彼が育った地域は田舎で、かつ排他的な村社会を絵に描いたような地域だったので、彼のマンションのドアに変な貼り紙がしてあったのを何回か目にしていた。
私はそれが人種差別を表すものだとはその当時思いもよらなかったので、そのままにしてチャイムを鳴らしていたように思う。
彼のマンションは古く何より狭くて、トイレとお風呂が一緒の部屋にありそこも狭かった。彼のマンションに遊びに行くとき以外でそのエリアに行ったことがないが、なぜかいつも薄暗く湿っていて、窓ガラスという窓ガラスにガムテープが貼ってあったような気がする。
ジュースを出しながら、彼の母親は
「いつも遊びに来てくれてありがとう。珍しいよ本当に。お父さんとお母さんは何も言わないの?」
と聞いてきて、友達の家でゲームばっかりしている事を親に言われたくなかった私は「いえ、何も言いません。いつも良くしてくれてありがとうございます。」と流して答えていた。
何で遊びに来る度に言うんだろうとは思っていたけど。
結局、彼は低学年のうちに転校していった。
カテイノジジョウと言うやつらしい、と先生は言っていたが何で転校するのか分からなかった。
その発表のあと、急に先生が「差別」「人種」の話をずっとするのが、彼の転校と全く繋がっていなかった私には意味が分からなかった。
大人になってからの同窓会で、担任の先生が「度重なる嫌がらせに母親が耐えられず都会に引っ越した」と教えてくれた。
転校する時に、彼は私にだけ手紙を書いてくれていて全部ひらがなだったけど結構長い間机の引き出しにしまっていた。他の子が転校するときもそう言ったものをくれたが、同じような内容だった。
今でも結局彼と彼の家族の何が嫌で、どう迷惑がかかって、その異質さの何に怯えて嫌がらせをしていたのか意味が分かっていない。
意味が分かっていないというのも、全く美しくなくてただ無力なだけで、「知って」いれば戦うことも寄り添うことも出来たのになと思う。
この映画はその理不尽さと無力さを思い出させてくれた。
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