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サマーウォーズ

京都の丹後に親戚の家があり、2〜3年に一回、夏休みに泊まりに行くのが通例だった。

同い年くらいの再従兄弟がいた。

彼が苦手だった。

2〜3年に一回しか会わないものだから全く仲が良くなかった。

仲が良くないというか、お互いの興味や趣味範囲、生活圏が違い過ぎて共通の話題が無く、何を話したら良いのか分からなかった。

なにより、彼の他人への興味のなさというか「他人は他人、自分は自分」という姿勢が大人びていて、他人との比較でしか自分を考えることができなかった私にはその価値観が理解できなかった。

彼に会う度に「私はなぜこんなに他人と比較し、無理やりにでも自分が優位なところを必死で探そうとしてしまうんだろう」という劣等感に苛まれるのが嫌だったのかもしれない。

最後に彼に会った時、私はそんな他人への劣等感を撒き散らしまくっていたピークの大学生で、彼はその辺りの平均的な年齢である10代の後半で結婚し、漁業につき稼いでいた。

どこをどう探しても彼より自分が優れておる箇所など無いように見えた。

自分の家を建て、家族を養い、過酷な海で仕事をし、幸せそうに子供を抱きながら親の世代とも優しく会話できる彼。

方や、親のお金で大学に行かせてもらっているのにも関わらず何かにつけて突っ掛かり、所属する部活でもレギュラーにもなれずそれを何とか人のせいにし、学業でも著しい成績を残すでも無く、異性にも興味を持たれるような容姿でも人格でも無い自分。

もうこんなところに家族に引き連れられて晒されるのは勘弁してもらいたいと思っていた。

そんな宴もたけなわになった頃、彼が「一回、俺の家においでよ。一杯だけ飲もう」と声をかけてきた。彼が直接話しかけてくるなんて今まで一度も無かったので、びっくりして頷いてしまった。

庭の広い、平家の豪邸とも呼べる家の軒先でビール缶を2つ持ってきて2人で飲んだ。

そんなに盛り上がらない彼の仕事の苦労を聞いたり、私の大学生活を報告したりして、もう帰ろうかなと思った頃、彼は急に話し出した。

「僕ね、君に憧れていたんだよ。ずっと。僕がしたい生活をしてるように見えてた。街中で週末買い物したり、スポーツに夢中になったり、大学に行ったり。どれもが僕がしたかったけど出来なかったことで、君にとっては日常だった。でも、そんな生活が当たり前の君にとっては、それだけじゃ幸せじゃなさそうだった。難しいなあと、会う度に思っていたよ。幸せの比較は意味がないけど、この場所でこの生活しかないと集中してから、僕も少し幸せになった気がする。もう会わないかもしれないから、なんとなく、今日それを伝えたかったんだ。」

幸せの比較しかしたことが無かった私には、その時は彼が何を言っているのかよく分からなかった。

でも今となっては彼が人生の真実を1つ教えてくれていたように思う。


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映画のシーンに出てくる田舎風景が、私ににそんな彼の言葉を思い出させた。

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