父の介護と向き合うために、モネの睡蓮を飾った

原田マハさんの小説 ジヴェルニーの食卓を読んでいたのは2020年の秋。ちょうど父の介護と向き合うタイミングだった。4つの短編集のうちの最後のあの庭で過ごすモネの晩年を描いた短編を読むうちに、モネの晩年を見つめるうちに、自分の父の人生、存在が浮き彫りになって、私を直面させた。


現在、父は80代。私は30代。お孫さんですか?と言われることもある。

周りの同世代の友人の両親は、60代〜70代。

介護より子育てに追われている友人たちと同じ時間を生きている感覚はあまりない。

子育てで幸せそうな写真がSNSで流れてくると、次元の違う世界にいるような気さえしてくる。



父は、母や私に暴力を振るう人だった。

だから、私は父を嫌悪しているわけだけれど

ほんの少し心に沈澱している思いやりや優しさの粒を一滴一滴ぎゅっと掬い出しながら、老いた父のことと何とか向き合っていて、心がざらざらした日々を過ごしていたとき

本屋で「ジヴェルニーの食卓」を手にとって、なんとなく読み進めた。そこには、あまりに美しく優しく愛に満ちたモネの晩年の生活が描かれていた。美しい庭を愛でて、あたたかい家族に囲まれて、艶々と煌めいている日々を思い浮かべて、私の父の晩年を、この小説のなかのモネの晩年のように、とまではいかなくとも、あたたかい人々に囲まれて、穏やかに居心地よく過ごせるようにしてあげられないだろうかと考えられるような心の余白が生まれた。

営業職を40年以上勤めてきた話好きの父。お酒が飲めなくとも、ゴルフや麻雀ができなくても、話がたくさんできて、わいわい過ごせて、さみしさが少しでも紛れるようなあたたかく包んでくれる環境を作ろう、施設を探そうと、力がわいた。

暴力のある家庭で育ったという私の記憶は、消えることはないだろうと思う。その記憶が過ぎって、日々のある瞬間に、ふと心が疼くことが何度もあるのだけれど、朗らかで陽気な父の側面も知っているから、その父が心温まる世界で過ごしてあげられるようにと、動き出せるきっかけとなったのが、この小説だった。

それから、実家の玄関にモネの絵を飾って、その思いをいつでも思い出せるようにした。苦しいときも、嫌悪でいっぱいのときも、その静かな睡蓮の庭の絵を見ると、私の眠っている良心をたたき起こさずとも、自然に優しい思いが降りてくるような氣がした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?