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勝つことが重要ではない時(When winning doesn't matter)

本記事は、Anthony Faber氏が2022年5月6日に投稿した「When winning doesn't matter」の翻訳である。

ありふれた「ティミー、ジョニー、スパイク」といったプレイヤーの属性の話ではない。勝つことが重要ではなくなる(勝つこと以上に重要と思える何かがある)ゲームにはどんなものがあるかという話をしている。そのようなテーマのため、Anthony氏が頻繁に挙げてきたゲームが出てこない記事となっている。

元記事は、以下のリンク先を参照されたい。ヘッダー画像は、みんなのフォトギャラリー機能を利用させていただいた。

この議論を読むよりも聞きたいというのであれば、Two Wood for a Wheatのポッドキャストの最新回を聞いてほしい。そこでは、愉快なワードゲームである「ことばのクローバー!」のレビューもしている。

この記事を読んでいるかなりの割合の人が、いつ勝利が重要ではなくなるのかと聞かれたら、"いつもだよ"って答えるはずだ。マジになって勝ちにこだわるやつなんているんだろうか。ボール紙とプラスチックにまみれた(involving)意味のない戦い(contest)に勝つことに強い執着心(some deep attachment)があるとすれば、おそらく根深い精神的な問題を抱えていることだろう。

私は、父親がいない関係で育ってきた影響もあって、健やかでいるよりも、こういった意味のない戦いに勝利するほうが楽しく感じてしまうのは否定しない。けど、ボードゲームで勝つことに関心を持つことには、なお利点があると思う。ほんの少しだけだけどね。明らかに、(※ボードゲームに勝つことに)大きな関心を持つことは不健全だ。けど、文字とおり、全く勝つことに関心を持たないとしたら、一体なぜ(※ボードゲームを)プレイしているというのか。ただ、友人たちと会話をしてればいいじゃないか。

さらに、ボードゲームで勝つことは全く重要ではないと言う人たちは少し偽善的に思えてしまう。多くの人たちとプレイしてきた人は、おそらく勝利に全く関心のない人に出会ったことがあるだろう。一見すると、そういう人たちは適当に行動し、自分たちの目標に一歩も近づかないで、再び他の誰かとのおしゃべりに勤しむ。うーん、一般論だけど、私を含めたみんながそういったプレイヤーを腹立たしいと思ってしまう。勝つことに少しも関心を持たないと、実際に、ゲームの状況を狂わせてしまう(throw off)。

だから、最も健全なゲームの遊び方としては、ゲームを遊んでいる間は勝つことが重要で、ゲームに全力を尽くすというふうに装っておいて、その直後には、こういった戦いに勝つことは本質的に無意味だという認識に戻ればいいと思う(ボードゲームが得意になったからといって有益な人生のスキルが身につくはずがないとは言ってはない。でも、このことについては別の機会に投稿するよ。)。

そうとはいえ、通常よりも勝つことの重要性がかなり低くなるゲームというのはある。勝つための表向きの目標があって熱心にプレイするんだけど、勝つことよりも他の重要なものがゲームプレイ中に出現してくる。それは、単に友人との時間を楽しむといったような、ありきたりな話をしているわけじゃなくて、ゲームそれ自体に関わるようなことだ。

個人的に、勝つことが二の次になるゲームは2つのタイプに分類される。一つは、まさにゲームプレイの振る舞いが成功や失敗を完全に超えるほど、喜びを覚える個々の瞬間や体験全体が楽しいというゲームだ。あらゆる種類のパーティーゲームは、このカテゴリに分類される。もう一つは、ゲームの物語に関連する二次的な目標が、正式に(technically)ゲームに勝ったかどうかよりも実質的に重要だと感じさせるほど、テーマ性のあるゲームだ。この2種類について見ていこうか。

わいわい楽しむゲーム

クレジット: Steph Hodge

ハッピーサーモン」は、魚だからというわけではなく、最初に思いつく言葉が"ハッピー"になるという意味で、ふさわしい作品名が付けられている。このゲームの楽しさは、ばかばかしい(absurd)身体的な動きが伴うところから生み出される。そして、重要なのは、このゲームは競争ゲームだけれども、そういった動きを他の人と協力して行わなければならないところだ。他の人と顔を見合わせて、馬鹿馬鹿しい動きを他の人と一緒になって同時に行うことで、自分を解放する自由がもたらされる(freedom of release)。そういった争いに没頭するには、社交面での恐れや、かっこよかったりふさわしく見せたりする必要性を取り除かなければならないし、そういった制約を取り除くことで多幸感が生み出される。

クレジット: Ron Dwan

ジャスト・ワン」、「Balderdash」、「ことばのクローバー!」のようなワードゲームは、勝つことを目指すゲームではあるが、私は、結局のところ、実際の成功や失敗よりも印象的な瞬間を体験するために遊んでいる。実は、うまくいった時よりも、みんなが釘付けになるくらい(spectacular)馬鹿馬鹿しい失敗のほうが、はるかに印象的になって楽しくなることが多い。「ジャスト・ワン」で、友人と私がとても可能性の低い同じ単語のヒントを何回も出したことを思い出すよ(ペンギンって単語に、一夫一婦制って具合だ。)。「Balderdash」中で、誰も推測できないけど、それにもかかわらず卓越した定義があったのを思い出す("ゴビ砂漠の色鮮やかなペンギン")。それに、「ことばのクローバー!」では、チームメイトが正解の組合せではない組合せを文字通り全て推測してしまったという場面があった(おい、"ネックレス"と"かぶ"を結びつける良いヒントを見つけたのかよ。)。

クレジット: Brian Symington

個人的に、パーティーゲームという枠から少なくとも一歩踏み出すことに成功した、わいわい楽しむゲームがある。その最も新しいゲームは「Long Shot: The Dice Game」だ。私は、普段、プレイヤー間の直接的な負のインタラクション(direct negative interaction)を好んではいないが、このゲームは優れている。ゴール間近の馬が、敵対する相手によって弱体化して後方の彼方に戻されることもある(nerfed backwards into oblivion)一方で、遅れを取った馬が、予期せぬ勝利に向かって叫びながら走ってくることもある。予想だにしないというわくわく感は、たとえ自分がコテンパンにやられる(destroys)としても笑っていられるほど、完璧にこのゲームと分かち難く結び付いている。思いがけない不幸というのは、勝利の喜びと同じくらい楽しくて忘れられないものとなる。

気にかけてしまうテーマ

テーマ性のあるゲームは、先ほど挙げたパーティーゲームよりも遥かに複雑なルールと戦略を伴うことがある。けれども、そういったゲームであっても、テーマ的な成功が実際にゲームに勝利することを上回るくらいテーマに没頭させて(engage)、勝利条件を気にしなくさせることがあり得る。

クレジット: Andrew Brooks

最初に思いつく例としては、Martin Wallaceの「ヒット・ザ・ロード」だ。このゲームでは、文明崩壊後の(post-apocalyptic)生き残りの一団となって、ゾンビに食べられることなくアメリカを横断しなければならない。生存者の数や所持しているリソースの量に応じて得点するというシステムがあるものの、私や、私と一緒に遊んだことのある大半の人にとって、このゲームの目標は単純に生存することだ。少なくとも、自分の一団の1人が安全にカリフォルニアに到達すれば、ある種の勝利を得ることになり、反対に全ての人間を失うことは敗北となる。最も多くの得点を稼ぐこともいいだろうが、私たちにとっては、単純に誰かが生き残ることのほうが重要だ。最後の1人しか残ってなくて、とてつもなくあり得ないダイス目が出たことのおかげで奇跡的に(improbably)生存している人は、みんなから声援が送られる。そして、そういった人は、実際の勝者よりも遥かに記憶に残るわけだ。

クレジット: @sunnyshynie

Cat Lady」は、私と私と一緒に遊んだ人たちにとって、生き残ることが得点の重要性に勝るゲームとして思いつく別の例だ。具体的にいうと、このゲームでは、自分の猫全てに確実に餌を与える必要がある。厳密にいうと、敢えて一部の猫に餌を与えなくてもペナルティが与えられるだけなので、ゲームに勝つことはできる。ただ、私のグループのプレイヤー全員は、一匹でも餌を与えない猫がいた場合に、ひどく嫌な気持ちになった。実際問題として、このことによって、ゲームに勝つために必要な量を遥かに上回る餌に殺到することになる。使いもしない餌が余ってしまうのは嫌な感じがするが、餌のないまま猫を放置しておくことは、その1000倍嫌な話だ。それに、もしゲームに負けたとしても、十分に栄養が与えられたかわいらしい猫、衣服、おもちゃがあれば、負けることはそんなに悪くないように思える。

クレジット: Anthony Faber

Abomination: The Heir of Frankenstein」は、人体のパーツを収集して、最終的に(※人体のパーツからできた)創作物に電気を流して生命を与えるマッドサイエンティストをテーマにしたユーロゲームだ。このゲームには、自分のモンスターに電気を流して生命を与えるだけでなく、様々な得点手段がある。道徳心(morality)のようなことに応じて得点がもらえたり失ったりするトラックがある。しかし、このテーマに沿っているという観点において「Cat Lady」と大きく異なるのは、このゲームにおいては道徳心が全く重要ではない。そして、もし、道徳的なプレイをせずにはいられないと感じてしまうと、このゲームの楽しさを完全に失うことになる。そう、裏通りでどのくらい多くの罪のない人のはらわたを抜き取ろうが、ゲーム中のどこかの段階で、"そいつが生きてる!!!!"って叫べることが何よりも大事なわけだ。

他にも多くの記憶に残るテーマ性のあるゲームを挙げてもよかったんだ。「This War of Mine」を挙げようとしたんだけど、楽しいゲームについて話している投稿において、このゲームが適切ではないように思えた。でも、この記事はもう十分長くなったと思うし、むしろ、みんなが結果とは関係なく愛するゲームが何かを聞いてみたいと思う。みんなにとって、勝つことが重要でなくなってしまうゲームとは何かな。

以上

※Anthony Faber氏の記事としては、以下のものがある。

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