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私が私であるうちに。

今から14年前の今日。2004年10月19日、東大阪市の交番に36歳無職の男性が「両親を殺した」と自首してきた。

男性の自宅では共に60代の両親がネクタイで絞殺されていた。事件は将来を悲観しての犯行。両親が老いて年金暮らしとなり、周りに借金をしなくては生活が維持できず、そのことに絶望しての殺害事件だ。殺人というよりも「心中」に近い。「自分にかい性がなく、家族三人の将来が不安だった」と供述がなされている。

男性はおよそ20年近くひきこもりがちな生活を送っていたという。リアルタイムでこのニュースを覚えていたわけではないのだが、初めてこの事件を知った時、これが自分の将来のように思えてならなかった。

学校を退学後、私はアルバイトや派遣などを転々としてきたが、どれも長続きはしなかった。18歳のころからひきこもりがちな生活を始めて今年で8年以上が経過している。

東大阪市の男性が両親を殺害したのは36歳の時だ。あとどれだけの時間が私には残されいるだろうか?10年も待たずして、この男性と同じく、親の高齢化、経済的不安、就労への圧力がより現実味を帯びて私の目の前に現れてくるだろう。

この問題を解決するためには社会に復帰して仕事に取組み、お金を稼がなくてはならない。私だけでなく、親にとっても切実な悩みだ。しかし、就労の問題をめぐっては、学生のころから反りの合わない親との激しい応酬が繰り返されてきた。お互いにとって切実な問題であるからこそ、必死になってしまう、相手を気遣う余裕をもって接したり、理解を示しながら互いに問題取り組むというのはなかなか難しい。

20年間ひきこもっていた男性も同じように追い詰められていたではないだろうか?36歳という年齢で一家心中を図ろうとしてしまうほどだ。事態の深刻さを十分に理解していたのは想像に難しくない。

今回こそが正念場であると、就労のために面接に行く覚悟を決め、家族に社会復帰をすると約束したのかもしれない。しかし、家の外に出ようとすると身体が動かない。約束を守れなかった彼に家族は落胆し、本人もいよいよ絶望的な気持ちになったのかもしれない。

私の勝手な想像に過ぎないのだが、それでも20年間、社会参加の経験がない人間が、単に必要に迫られただけで就労できる可能性は極めて低いだろう。少なくとも私にとっては「明日働かないと路頭に迷うことになる」「明日働かないと死ぬことになる」これが働ける理由にはなりえない。

極限まで追い詰められたとき、助けを求めるのではなく自滅の道を選んでしまう気持ちはとても理解できる。恐怖やプライドもあると思うが、どこかに救いを求め、手を伸ばすにしても、人生における社会参加経験が少なすぎるのだ。およそ20年ものあいだ、ひきこもりがちな生活を続けてきた男性にとっては尚更であろう。

知人や親せき、福祉事務所などに泣きつけば誰かが助けてくれることなど十分に理解している。しかし、あえて言えば「彼ら」にはそれができないのだ。

ひきこもり当事者の高齢化、両親の高齢化と衰弱、経済的困窮、そして周囲の無理解。これらの条件が重なれば、このような悲劇はいくらでも繰り返されるだろう。これは孤立してしまったひきこもり当事者にとって「餓死」が避けがたい帰結であるのと同じだ。

10年後には、当時一家心中を図ろうとした彼と同じ年齢に達することになる。その時、私は彼と同じ悲劇のルートを回避することができているだろうか?

家族の苦悩 分かり合えることができたら

本棚を漁っていると、母親の日記のようなものを見つけた。日記といっても長々と綴るようなタイプのものではなく、手帳サイズのカレンダーに、今日あった出来事が一言二言メモとして綴られているだけの、言わば手書きのTwitterのようなものだった。

勝手に人の日記を読むことはためらわれたが、どうしても気になる日付があったので読んでしまった。仕事のことや、彼氏とのデートの思い出などが手書きの絵文字付きで綴られており、それはまるで女子高生の書いたブログのそれのようで微笑ましかった。

そして気になる日付の部分には、仕事や彼氏への愚痴ではなく、しっかりと私とのやり取りの感想が記されていた。やはり本人も相当悩んでいるようだ。

何度就労に勤めようとしても失敗し、社会復帰が上手くいかず、追い詰められていたころ、私はうつ病になり、精神科に通い始めた。薬でそれなりに辛い気持ちは和らいだかも知れなかったが、それでも家族との衝突は避けられなかった。金銭的にも精神的にもお互いに余裕など全くなかったからだ。

上手くいかないことがあったり、あまりにも感情の制御が効かなくなってしまうと、ODやリストカットを繰り返した。そうやって気分を落ち着けるようになってからは、家族と口を利くこと自体がなくなってしまった。口論になった時、私の自傷行為の引き金になってしまう事を恐れているらしい。

今でも互いに干渉しあわない日々が続いている。気持ちとしてはとても楽なのだが、いつまでもこんな状態を続けるわけにもいかないだろう。いつかどこかで折り合いが付けられるのか?それとも14年前にひきこもりがちだった男性とその家族のような最後を迎えてしまうのだろうか?

短い自問自答が綴られた日記を眺め、親の悩み対しても、自分の苦悩に対しても、私は答えを出すことができないでいる。


とある入院患者の遺書

私は自身のことをあまり「人間」だとは思えなくなってしまった。周りの人々が当たり前にできることが自分にはできなかったからだ。

「人間力がない」「人間失格」「人間モドキ」「出来損ない人間」なんでもいいのだがとにかく、しっかりした人間でないことだけは確かだろう。

しかし、人間ではないと思いながらも、私はまだ私であるとは思えている。ダメな自分に対してはどうしようもなく否定的な人間なのだが、それを「こんなもの本当の自分じゃない」とは思わない。ダメな自分に対して肯定的感情があるわけではないのだが、絶望的な感情や、何をやっても上手くこなせない不器用さ、そういったものの原因は、ほとんど自分自身に帰結されていると思う。

では、どういった時に私は私でなくなってしまうのだろう?私の中では、絶望的感情や、自傷行為などが自身という内に対してでなく「外側に向いてしまった時」だと思っている。

今はまだODやリストカットで自身を落ち着かせることができているが、これがいつ「外側」を向いてしまうかわからない。自分自身を傷つけている刃物はいつか家族に向けられるかもしれないし、私を救わなかった社会に対して向けられ、無差別に誰かを傷つけてしまうかもしれない。

そうなってしまった時、もはや「私は私ではない」という形で自分の精神を守るかもしれないし、自我を崩壊させてしまうかもしれない。悲惨な事件が起こるたびに、私は思ってしまうのだ。「この事件を起こした犯人はどうして私ではなかったのか?」

健全な人間なら、殺人犯に対しては、嫌悪、恐れ、恐怖、そういった感情はなくとも、ここではない場所で起きた悲惨な事件として、ある程度無関心でいられるかもしれないが、私は加害者側、つまり犯人に自分を重ねてしまうことが少なくない。

「これは将来の時分の姿であり、自分自身がこうならない保証などどこにもない」そう強く思わずにはいられないのだ。既に人の道を踏み外してしまっている自分がどうして、悲劇的な事件を起こさないと言えようか。

もちろん、そんな事をしたいと望んでいるわけではない。今は少なくともそう思えているが、将来そのような悲惨な事件を起こしてしまった時、私はそれを私自身に帰結させることができるだろうか?いや、今抱えているあらゆる問題を、自身に帰結できなくなった時、自分という器に絶望や苦しみが許容できなくなり、あふれ出してしまった時、私は救いを求めるようにその苦しみを自分の外へと向けてしまうのだろう。

故に私が望んでいるのは安楽死だ。震災のような大災害や戦争でも構わない。自分以外の理由で死ぬことができるというのは、死を望む者にとっては救いであり、まさに「希望は戦争」というような状態だ。

しかし、私が生きているうちに戦争が起こるとも、ましてや災害に巻き込まれて運よく命を落とせるとも思っていない。そんな可能性の低い場所に希望を見出すことなどできない。

ならば、安楽死以外に何がこの問題を解決してくれるのだろうか?人は愛する家族のために命を自ら断って見せたり、誰にも迷惑をかけることなくひっそりと死んで見せたりすることができるほどに孤高な生き物だ。木城ゆきとの「銃夢」ではないが、私は公衆自殺機械のようなものが準備されることを心から望んでいる。

私は「死刑になるための殺人」を犯したり「社会に向かって復讐の刃を突き立てる」ようなことはしたくないのだ。私は私であるという尊厳を守ったまま、出来れば苦しまずに死なせてもらいたい。どうか、自らを絶望と狂気に明け渡してしまう前に、私は私のままで死なせてもらいたいのだ。

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あまりにも暗く、醜い文章が続いてしまったので、最後は私の大好きなホラーゲームである 零シリーズ、月蝕の仮面に登場する、とある入院患者の遺書を乗せて今回のnoteの締めくくりとさせてもらう。

ゲームの舞台となった島特有の精神病である「月幽病」という記憶を失う病に苛まれた患者が最後に綴ったものだ。

これをあなたが見ているという事は、
私はもう、この世界にいないという事です。

母は私が生まれた時、
私を守るように
この世を去りました。

父と兄も、事故によって
この世を去りました。

家族を失った私を支えているのは、
三人の思い出と、自分だけ生き残った
罪の意識だけです。

それなのに病は、それすら奪っていきます。

私の記憶の中にしか存在しない家族が
殺されていく
なのに私はどうする事もできない

私は私の中で
大切な人を殺しながら生き延びる

私にはもう耐えられません。
でも本当に恐れているのは
この罪の意識すら失う事。

全てを失っても何も感じない私
家族を再び殺めても何も感じない私

だから私は、記憶がわずかに
あるうちにこの世を去ります。

私が私であるうちに。


おいしいご飯が食べたいです。