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ひきこもりとしてのプライド

当たり前だが心身ともに健康であるという事はとても大切なことだ。BUMP OF CHICKENのsupernovaではないが、熱が出た時にあらためて私には身体があったんだな、と気が付くほど人にとって身体という存在は当たり前すぎるほど当たり前に意識と融合してしまっている。

私個人で言えば、まだまだ若者なので代謝もよく、傷の治りも早い、一日しっかりと睡眠をとれば大半の疲労は回復してしまう。

しかし、この健康体に対して心がまったく追いついてこない。心が死んでしまって身体がほとんど動かない時など、健康体はそのほとんどを持て余してしまっている状態だ。

既に70を超え、身体のあちこちにガタが来ている祖母からは、羨ましがられ勿体ないと言われる始末だ。もし自由にボディーパーツが交換できるのであれば身体だけでも譲って差し上げたいところなのだが…この健康的な身体が恨めしいとさえ思うことがある。

いわゆる「ギリギリ健常者問題」のようなものだ。心身ともに健常な人間と、障害を持つ人間というのはどこかでハッキリと区分されているわけではなく、色彩の濃淡のように緩やかなグラデーションとして存在している。ここに前者と後者を分かつ線を引くことにより、障害を持つ側に区分された人間は救われるかもしれないが、ギリギリのラインで健常者とみなされた人々は、他の健常者たちと全く同じように扱われるし、そう振舞わなくてはならない。

生活はかなり苦しいものだったが、それでも私なりに健常者を、人間を務められていた時期は確かに存在した。バイト先では深くモノを考えないお調子者のようにふるまって見せ、先輩には可愛がられ、ご飯を奢ってもらい、同期の仲良くなったメンツとは一緒にカラオケに行ったりなどもした。

何とか人間をやって見せていた頃の自分が偽物で、社会からリタイヤしてしまった今の自分こそが本物であるとも思わない。明るくお調子者を振舞っていた自分も本物だろうし、ひきこもりの自分だって本物だ。もしかすると、ふとしたきっかけですんなり社会復帰してしまうのではないかとさえ思っている。

根暗な自分だからこそ、人にはそんな汚い負の部分を見せないように明るく振舞って見せる。そんなことは大なり小なり誰でもやっていることなのだろうが、今回はそうした振る舞いが仇となってしまった話でもある。

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私のメンタルがほとんど死に至り、何もできない状態だった時、LINEから通知が届いた。お調子者をやっていた時のバイト先の同期からである。私がバイト先を離れ、社会からリタイアして2~3年目のことだった。

内容としては、久しぶりな事への挨拶、そちらは元気にしているか、こちらは今度都内でファッションショーのモデルとして出演することが決まったのでよければ遊びに来てほしいとのことだった。

上記のバイト先に勤めるまで、職場で友達を作ることなどできなかった私としては、初めて一緒に食事をしても苦でなく、オフの日にも一緒に遊びたいと思えるような関係を築くことのできた友達だ。そんな友達からの数年ぶりのLINEである。

私を忘れないでいてくれたことが素直に嬉しかった。お金なんてなかったが、誰かに借りてでもその友達の下へと飛んで行きたかった。なによりこんな私に声をかけてくれて、また遊びに誘ってくれることが何よりもありがたかった。

しかし、私はもうバイト先ではしゃいでいた頃の私ではないのだ。こんな状態の私と会ったら彼はなんと言うだろうか?「久しぶりー、元気?今何しているの?」彼は気軽に声をかけてくれるが「実は今、社会からリタイアしてしまって、うつ病で精神科に通っているんだけれど、リストカットやODがやめられなくてね…」そんなこと言えるわけがない。

わかっている。仮にこんな状態であることを打ち明けたとしても、彼が私に失望したり、それによって付き合う態度を変えたりすることなどないのだ。私が逆の立場だあっても変わらず接するだろう。故に、これは私のプライドの問題だった。

LINEへの返事を何度も考えた。こんな状態の私から声をかけられる友達などおらず、これはもう一度バイト先の皆ともつながれるチャンスではないか。今回は都合が悪いことにして、今度はこちらから誘わせてほしい。など、とにかく繋がりを絶たなければまた遊べる機会はあるのだ。なんでもいい、それっぽい返事の内容を考えなければ。

____結局私は何も返事することなく、既読スルーどころかLINEのアカウントを削除してしまった。

バイト先の友達からの誘いがあった当時は、様々な問題を抱えており、ありとあらゆることが手につかなくなっていた。自暴自棄になった私は人との関りを絶つという選択をとってしまったのだ。長年使っていたLINEアカウントだったので、地元の友達や、付き合いのある人物との連絡は殆どこのアカウントで行われていた。ひきこもりの私を人々と繋いでくれていた最後の糸を自らの手で切ってしまったのである。

その他、SNSのアカウントやコミュニティも葬り去った。メンヘラ状態になると自傷行為がやめられなくなるように、共同体や人との関りを自ら切り裂くという人脈的自傷行為に及んでしまうことがある。それでも、寂しがりやな私は、再び人との繋がりを求め、魂が腐りきった時には再び行方をくらます…そんな事をこれからも繰り返してしまうだろう。

結局、バイト先で仲良くしてくれていた彼とはそれっきりだ。連絡を取ろうにも連絡先を一切知らないし、それは向こうも同じことだろう。自身のプライドのために、今後長い付き合いがあったかも知れない友達を一人失ってしまった。それぐらい心が死んでいる時とは将来のことなど考えられないし、どうしようもない時期なのだ。

タイミングが悪かったのかもしれない。今もし彼から連絡があれば私は喜んで返事を返せるだろう。今はまだ遊べなくとも、いつかバイト先でふざけあっていたあの頃のように、食事でもしながら楽しく笑いあえる日があったかもしれない。

彼は元気にしているだろうか?あの日返せなかった返事のことも含めて話したいことは沢山あるのだ。そちらは変わりないだろうか?私と違い、男前で優秀な彼の事だ、きっとうまくやっているだろう。

コミュニケーション能力にも長けていたので、私以外にも沢山の知り合いや友人に恵まれていた彼が、わざわざ私に声をかけてくれたのだ。悔やまれることも多いが、それを想うだけで私は嬉しい気持ちになる。

あの日の彼に宛るべきだった返事をここに記し、今の気持ちの整理しながら今回のnoteを綴らせてもらった。

おいしいご飯が食べたいです。